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【裳華房】 メールマガジン「Shokabo-News」連載コラム 
松浦晋也の“読書ノート”

禁無断転載 → 裳華房メールマガジン「Shokabo-News」


第33回 スーパーカーという物語を消費する商品

   沢村慎太朗 著『スーパーカー誕生』(文踊社)

『スーパーカー誕生』カバー

 今回取り上げるのは、前回の裳華房メルマガ(Shokabo-News 2017年12月号)で紹介されていた一冊――『スーパーカー誕生』である。実は、先のメルマガを読んで興味を持ち、正月読書の一冊に選んだのだが、事前の予想以上に面白く、刺激に満ちた一冊だった。

 私は1970年代後半のスーパーカー・ブームの時はもう中学生から高校生だったので、直接その影響は受けていない。私よりも5〜10年程度年下、今40代後半から50歳ぐらいの人が一番強烈にスーパーカーに熱狂した世代だろう。
 池沢さとしの漫画『サーキットの狼』(1975〜1979、週刊少年ジャンプ連載)をきっかけとして、主に小学生男子の間に巻き起こったスーパーカーのブームは、本当にすごかった。多くの子供たちが、フェラーリだ、ランボルギーニだ、ロータスだと口走り、スーパーカー消しゴムをコレクションし、本物のスーパーカーを見学できるスーパーカーショーに詰めかけた。成人した今も、スーパーカーに憧れを感じる人は多いし、なかには本気で思い詰め、遂には成人後にスーパーカーを購入してオーナーになったという人もいる。
 確かに、あのブームは、1970年代後半の小学生の心に、強烈にスーパーカーというものの存在を刻印したといっていいだろう。

 で、ここで質問。「スーパーカーって何でしょうか?」

 おそらく、ぱっと定義を答えることができる人はそうはいないだろう(そのほとんどは、この『スーパーカー誕生』を読んだことのある人ではなかろうか)。
 具体名はいくらでも思い出せるはずだ。ランボルギーニ・カウンタック、ロータス・ヨーロッパ、ポルシェ911カレラRSにデ・トマソ・パンテーラにランチア・ストラトス――では、それらの共通点は何か。スーパーカーをスーパーカーたらしめている要素はなにか。最高速度か、加速度か、卓越したコーナーリング能力か、強力なエンジンやブレーキか。はたまた他のクルマと全く異なる、力強く印象的なスタイリングか。
 本書では簡潔にスーパーカーを定義する。すなわち、1)高性能であること、2)市販車であること、3)ミッドシップ・レイアウトであること。ミッドシップの高性能市販車がスーパーカーだというのである。
 ミッドシップだけは説明する必要があるだろう。
 自動車はエンジンを車体のどこに配置して、どの車輪を駆動するかで大きく区分することができる。現在、普通の乗用車で一番多いのがFF、フロントエンジンの前輪駆動だ。駆動部がすべて自動車の前に集中するので、人間と荷物のために多くのスペースを割りあてることができる。
 フロントは左右にステアリングできる必要があるので、スムーズな前輪駆動の実現には角度をつけた2つの軸をつないで動力を伝達する高性能の機械要素――等速ジョイントという――の発達が不可欠だった。それ以前、まだ等速ジョイントが未発達の時代からよく使われた形式がFRとRR、つまりフロントエンジンの後輪駆動、または後輪車軸のさらに後ろにエンジンを置いて後輪を駆動する形式だ。RRはFFほどではないが、車内スペースの有効活用が可能で、FRは前に重いエンジンがあるので、直進安定性が良い(本当はもっと色々な利害得失があるが、長くなるので割愛する)。
 そしてエンジンを前輪と後輪の車軸の間に配置し、後輪または四輪全部を駆動するのがミッドシップである。重いエンジンが車体の中心近くに配置されるので、左右の回頭性に優れるという特徴を持つ。現在、F1のようなレーシングカーはほぼすべてミッドシップ・レイアウトを採用している。
 本書におけるスーパーカーの定義はかなりストイックなもので、実はこの定義に従うと、RRのポルシェ911シリーズやFRを採用した一連のフェラーリ車がスーパーカーではなくなってしまう。著者はそのことを理解していて、本書では例外としてポルシェを取り上げているが、そこまでミッドシップにこだわるのには理由がある。レーシングマシンと同じエンジン配置ということが、商品としてのスーパーカーの成り立ちに大きく関係しているからだ。

 そもそもの始まりは、フェラーリ創業者のエンツォ・フェラーリ(1898〜1988)が、レースにしか興味がない人物だったことだった。レースをするには金がいる。フェラーリの市販車はレースのための資金稼ぎのためのものであって、エンツォにしてみればレースに勝って得たフェラーリのブランドを換金するための手段でしかなかった。
 1950年代、そんなフェラーリの市販車は、レース専用に作ったクルマに、最低限の公道用装備を付けたものだった。それが「あのフェラーリのレーシングカーに公道で乗れる」と富裕層に売れたわけである。
 ところで、レーシングカーと富裕層が欲しいクルマには大きな乖離がひとつある。レーシングカーはすべてが性能優先。乗り心地は最低限で構わない。が、フェラーリの市販車を買った顧客は、やがてレーシングカーそのものの乗り心地に我慢できなくなった。「レーシングカーの性能プラス最高の乗り心地を」というわけだ。1960年代に入ると、レーシングカーが、それまでのFRからミッドシップへと移行しはじめる。当然富裕層は、レーシングカーそのもののミッドシップ・レイアウトで、かつ乗り心地の良いクルマを欲しがることになった。
 が、これが難問だった。ミッドシップは、前後輪の車軸の間にエンジンを搭載する。そこは同時にドライバーが搭乗する空間でもある。レーシングカーなら簡単。人間に割り当てる空間を最小限にして性能を追求すればいい。が、富裕層が欲しがっているのは「最高の乗り心地」だ。快適なドライビングのためには、十分広くて豪華な室内空間をドライバーに提供しなくてはならない。
 レースしか頭にないエンツォには、顧客を満足させるという発想がなかった。市販車なら今まで通りFRでいいじゃないか。というわけで、フェラーリはミッドシップの市販車を発売しようとはしなかったのである。それどころか、この時期エンツォは、フェラーリの市販車部門を、レースの邪魔だとばかりに売り飛ばそうとすらしていた。
 ここで、フェルッチオ・ランボルギーニ(1916〜1993)という男が登場する。

 エアコンとトラクターの製造で財を成したフェルッチオは、フェラーリの自動車を購入。一度エンツォに会いたいと会社を訪問するが、エンツォにけんもほろろに扱われる。激怒したフェルッチオは、自らも自動車製造に乗り出し、エンツォを見返そうとした――というのは割と有名な俗説だが、実は嘘なのだそうだ。実際は、所有するフェラーリが故障し、部品を取り寄せたところ、自分の会社で作っているトラクターと同等の部品で、かつ値段がはるかに高かったことから、利に聡いフェルッチオが「フェラーリみたいなクルマは儲かるぞ」と参入を決めたのだという。
 フェルッチオは、ランボルギーニのブランドで高級スポーツカーを製造するにあたって、フェラーリとは逆の行き方を採用した。すなわち「レースには出ない。あくまで公道上での性能で勝負する」。すでにブランドを確立しているフェラーリに対抗する、真っ当な戦略である。そして、初の商品であるFRの「350GT」に続き、1966年、「ランボルギーニ・ミウラ」を発売した。カロッツェリアのベルトーネがデザインした流麗なボディ、ミッドシップに搭載された大排気量4リッターの12気筒エンジン、最高時速300kmを標榜する高性能、そしてなによりも市販車――著者が定義するところのスーパーカーの誕生である。

 ここから著者は2つの糸をより合わせてスーパーカーの歴史を描いていく。一本目の糸は実際に車両の開発を行った技術者たちへのインタビューだ。スーパーカーにまとわりついている様々な“伝説”を当事者の証言で洗い流し、実際はどうだったのかを追求していく。もうひとつの糸は、スーパーカーの設計そのものだ。車体の設計を読み解き、込められた意図を解読し、分かりやすく解説していくのである。
 設計を読み解くといっても、記述は難解ではない。著者が使う指標はたった2種類。ひとつは4つのタイヤの配置、つまり上から車体を見た場合にタイヤが構成する四角形の縦と横の寸法――それぞれホイールベースとトレッドという――である。もうひとつは駆動系を構成するエンジン、クラッチ、ミッション、デファレンシャルギアという機械要素がどのような配置になっているかだ。この2つだけを使って、様々なスーパーカーの設計意図とその実際を解説していくのである。
 インタビューと設計の解読――この2つの作業によって、スーパーカー・ブームの時に小学生男子(いや、女子もいたのであろうが)が熱狂したクルマの実際が、残酷なまでに明確に白日の下にさらされる。残酷? そうだ、解き明かされる事実は、かつての夢を地面にたたき落とすようなものばかりなのである。
 たとえばランボルギーニ・ミウラ。ミウラの特徴は、ミッドシップにエンジンを横置きに搭載したことだった。横置きにするとエンジンの前後長が短くなり、ドライバーにより広い空間を割り当てることができる。が、こうすると前輪と後輪にかかる荷重のバランスが崩れて走行性能が悪化する。つまりミウラは性能よりも「快適な車内」を優先した設計だったのである。サーキットでは、同時期に開発していたFRの「ランボルギーニ・ハラマ」のほうが良いラップタイムを記録したという。
 しかもミウラの作り込みは甘く、故障がちでもあった。設計者のジャンパオロ・ダラーラは「あのころはそうだった。まずプロトタイプを1台作ったら、2台目からはお客に売る商品だった」と、お粗末だった開発体制を振り返る。
 あるいは、あのランボルギーニ・カウンタック。カウンタックはエンジンをミッドシップに縦置きに搭載し、前輪と後輪にかかる荷重をうまくバランスさせた。十分な室内空間と縦置きエンジンを両立させるために、エンジンは2階建てとなった。つまり、エンジン本体の下にクラッチ、トランスミッション、デファレンシャルを配置したのである。が、下に各種機器が潜り込んだ分だけエンジンの搭載位置が高くなり、それだけ車両の重心は高くなった。結果、コーナーリングの性能は悪化した。

 伝説を剥ぎ取ってしまうと、ブームの時に子供たちが熱狂したどのスーパーカーも、なんらかの設計上・製造上の問題を抱えていたことが明らかになる。しかもその根本には「豪華な室内空間」と「ミッドシップ」「高価格少量生産」という商品の性格上からの矛盾した要請が横たわっている。
 本質的な矛盾故に高性能は夢の域を出ず、少量生産であるために高品質も幻想であったとしたら、いったいスーパーカーの商品価値はどこにあるのか。
 答えは「物語」である。これがスーパーカーだ。もの凄い技術の限りを尽くして製造された最高に高性能で最高に高級なクルマだという物語こそが、スーパーカーの価格を正当化する。オーナーは、スーパーカーにまとわりつく物語にこそ価値を認め、安からぬ支出をしてまで所有しようとするのである。
 そして、設計者の側も、その物語に忠実であろうとする。その結果、技術の進歩は、ついに架空であったはずの物語を現実のものとしてしまう。本書のラストに登場する2台のスーパーカー、「マクラーレンF1」と「ブガッティ・ヴェイロン」だ。共に億を超えるプライスタグをつけた2台は、押し出しの強いデザインに、一切の妥協を排した高品質、快適な室内空間、そして他のクルマを圧倒する超高性能を実現したのである。
 著者はヴェイロンに関する記述に続けて、以下のように書き、本書を締めくくる。
 「長い長い物語は、ここで終わったのである。」

 終わった? いやいや、今もフェラーリやランボルギーニ、ポルシェなどは商品ラインナップを維持し、新車を発表しているではないか。フォルクスワーゲン傘下のブガッティはヴェイロン後継の「ブガッティ・シロン」も発表した。それどころか、トヨタはレクサスブランドから「LFA」を販売したし、ホンダも久しぶりに「NSX」を発売する。全然終わってないのではなかろうか?
 が、ヴェイロンが時速400km超えを達成した今、スーパーカーには公道の限界が迫りつつある。いかに性能を上げても、もうその速度を維持して走る公道が地球上にないのだ。

 おそらく――スーパーカーが次なるスーパーさを備える場は、地球上ではなく、月か火星かの別の星であろう。月に、あるいは火星に超高速道路が建設される時、新たな風吹裕矢と共に、新たな物語が始まるのだろう。例えば、月の脱出速度は毎秒2.4kmほどだから、月のスーパーカーは宇宙に飛び出す能力を備えるかも知れない(無茶な、と、決めつけるなかれ。技術はいつだって不可能を可能にしてきた)。
 ちなみに、スーパーカー(Supercar)という言葉の始まりは、『サンダーバード』で知られるジェリー・アンダーソンが1960年に製作した特撮人形劇『スーパーカー』である。作中のスーパーカーは、空を飛び、海に潜るのであった。


【今回ご紹介した書籍】 
スーパーカー誕生
  沢村慎太朗 著/四六判/770頁/定価5217円(本体4743円+税10%)/2010年4月刊行
  文踊社/ISBN 978-4-904076-08-8
  http://www.bunyosha.com/category1/category11/entry60.html

『スーパーカー誕生』カバー 【編集部注】文藝春秋から2015年11月に文庫版(定価1408円(本体1280円+税10%))が発売されています。
  https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167904982


「松浦晋也の“読書ノート”」 Copyright(c) 松浦晋也,2018
Shokabo-News No. 342(2018-1)に掲載 

松浦晋也(まつうらしんや)さんのプロフィール】 
ノンフィクション・ライター.1962年東京都出身.現在、日経ビジネスオンラインで「宇宙開発の新潮流(*1)」を、「自動運転の論点」で「モビリティで変わる社会(*2)」を連載中。近著に『母さん、ごめん。−50代独身男の介護奮闘記−』(日経BP社)がある.その他、『小惑星探査機「はやぶさ2」の挑戦』『はやぶさ2の真実』『飛べ!「はやぶさ」』『われらの有人宇宙船』『増補 スペースシャトルの落日』『恐るべき旅路』『のりもの進化論』など著書多数.
Twitterアカウント https://twitter.com/ShinyaMatsuura
*1 http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20101208/217467/
*2 http://jidounten.jp/archives/author/shinya-matsuura


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