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【裳華房】 メールマガジン「Shokabo-News」連載コラム 
松浦晋也の“読書ノート”

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第35回 日本の事故調査に立ち向かった事故被害者家族

松本創 著『軌道 −福知山線脱線事故 JR西日本を変えた戦い−』(東洋経済新報社)

『軌道』(東洋経済新報社)カバー

 2005年4月25日の朝9時18分、JR西日本福知山線の宝塚駅発同志社前行き快速電車・列車番号5418M(7両編成)は、塚口駅−尼崎駅間のカーブで脱線、線路東側のマンション1階に突っ込む事故が発生した。運転士1名を含む死者107名、負傷者562名。1987年発足のJR各社にとっては過去最大の事故であり、国鉄時代を含めても桜木町事故(1951年)、三河島事故(1962年)などに匹敵する最大級の列車事故であった。
 事故調査の過程で運転士がかなりの速度超過のままカーブに入ってしまったことがわかる。運転士のミスが事故原因か――しかし運転士が、JR西日本がミスを犯した運転士に課していた日勤教育という強圧的な懲罰によって極度のストレスにさらされていたことが明らかになり、焦点はJR西日本の安全管理体制の妥当性へと移っていく。
 本書は、自ら妻と妹を失い、娘が重傷を負った事故被害者、浅野弥三一(あさの・やさかず)氏の、JR西日本との10年以上に及んだ戦いを描いていくノンフィクションだ。浅野氏が望んだのは、事故責任者を暴き処罰を下すことではなかった。二度と事故を起こさないシステム作りと、その前提となる組織の抱える問題にまで踏み込んだ事故調査と分析であった。
 著者は元神戸新聞記者のフリーランス・ライター。事故以前から浅野氏との交流があった。事故後に知人の選んだ道を、情に流されることなく淡々と、しかし乾ききることもなく絶妙の距離感で描き出していく。

 本書は、事故とその後の経緯を描く第一部、浅野氏の歩みとJR西日本の対応を描く第二部、事故被害者とJR西日本が合同で立ち上げた安全フォローアップ会議という場での議論とその後のJR西日本を描く第三部、という三部で構成されている。
 第一部を涙なしに読み切ることができる人は少ないであろう。ごく当たり前の家庭が、小さな偶然の積み重ねにより、まるで吸い寄せられるかのように事故に遭遇し、決して元に戻ることはない傷を負うプロセスは、日常のはかなさと貴重さを強く印象づける。が、それは本書のプロローグであり、主題は事故の後にある。
 浅野氏には在野の都市計画コンサルタントとして、住民の視点から都市計画を練り上げ、実現してきた実績があった。事故後、JR西日本はすべてを運転手の過失として事故を片付け、組織に責任が及ぶのを防ごうとした。その動きを浅野氏は察知し、自らの経験に基づいて行動を起こす。
 確かに直接の原因は運転士のミスかも知れない。が、それは事の最終段階でしかない。なぜきちんと運転士としての社内教育を受けた者が運転ミスをしたのか。遡っていけばそこには組織の問題が立ち現れる。いや、それ以前に人間だれしもミスをする。鉄道は公共交通機関である以上、人間はミスをするという前提に立って、「ミスが複数連鎖しても決定的な事故にならないシステム」を組み上げるべきなのである。それがJR西日本はできていたのか――浅野氏は、単なる処罰を超えた、事故を二度と起こさないための抜本的対策をJR西日本に求め、行動していく。
 浅野氏の主張は、JR西日本の組織改革を迫るものだった。だから今ある組織を守ろうとする向きにとっては大変に都合が悪い。責任はすべて運転士にかぶせてしまえば、組織や体制は温存できる。その方向でJR西日本は動こうとする。が、世間の目もあり、そう安易にことは収まらない。社長は何回も交代し、社内は混迷する。
 その中で、鉄道技術者出身の山崎正夫氏が社長に就任したことから、浅野氏の行動が実を結び始める。山崎氏の言動に技術者なりの誠実さを感じ取った浅野氏。浅野氏の主張に正当性を見いだした山崎氏。2人が協力することにより、前代未聞の「事故当事者と被害者が一堂に会して二度と事故を起こさないためには何をすればいいのかを分析する会合」がスタートする。
 もちろん、簡単に事は進まない。いくつもの思惑が交差し、複数の当事者の信念が衝突する。その中で山崎氏は社長としていくつものミスを犯し、その結果、社長退任を余儀なくされる。が、浅野氏の訴えに山崎氏が応じてスタートした会合は続き、成果を出すに至る。

 本書には2つの注目点がある。

 まず、巨大事故発生時に、「当事者を処罰する」ではなく「事故の根本原因を突き止めて次の事故を防ぐ」という方向で行動した被害者がいたということだ。これこそは、現代社会において必須の事故対応だ。にもかかわらず現代日本社会には、体制面でも心情面でも十分には浸透していない。
 この考えは、海外、特に米国の事故調査では徹底している。米国では、航空機や鉄道、海運などの交通機関の大規模事故の事故調査を担当するのは、国家運輸安全委員会(NTSB)という組織だ。その任務は、事故調査による原因究明と再発防止策の勧告である。NTSBの活動は、有料多チャンネルデジタル衛星放送のスカパー!で放送されているナショナルジオグラフィックチャンネルの番組「メーデー!:航空機事故の真実と真相」でとりあげられているので、ご存知の方も少なくないだろう。
 NTSBは他省庁から独立しており、独自の人事権と調査官の養成システムを持つ。その権限は大きい。例えば、事故調査にあたっての調査権限は警察の調査権限よりも上位にある。警察はNTSBの調査には従わねばならない。事故が犯罪の結果である可能性があっても、事故現場では警察の調査よりもNTSBの調査が優先する。また、NTSBは事故関係者に刑事免責を与えて証言を得る権限も持っている。NTSBの調査報告書を、警察が犯罪捜査の証拠として使うことはできないのだ。「自分が処罰される」という恐怖から、本当のことを言わない、という事態を回避するためである。「関係者を処罰する」よりも「同様の事故が再発することを防ぐ」ことを優先して、システムが組み上げられている。

 一方 日本では、かつては運輸省(現 国土交通省)が事故調査を担当してきた。が、それでは独立性が保てないということで、福知山線脱線事故後の2008年に、国土交通省本体から分離した外局として運輸安全委員会を設立した。しかし、運輸安全委員会の調査における警察との関係は、両者の交換した覚書で規定されている。覚書では、事故現場における調査は原則として警察が行うことになっており、警察の犯罪捜査の優先が明記されている。もちろん運輸安全委員会は、刑事免責の権限も持っていない。全然権限が弱いのだ。
 その状況下で、一被害者である浅野氏が起こした行動は、NTSBのような法の裏付けなしに、NTSB並みの事故調査と事故防止策をJR西日本に求めたものだった。この上なく正当な要求ながら、それを裏付ける法律も規則も日本にはない。しかもそれに応じるモチベーションは、組織を守ろうとするJR西日本に存在しない。絶望的な戦いが、山崎正夫氏というカウンターパートを得て動き出す様子は感動的だ。が、ここで感動してはいけないだろう。この感動は、当たり前のことができていない日本の現状と引き換えなのである。

 二つめの注目点は、懲罰的な日勤教育を含むJR西日本の組織体質を作り上げた当人であり、現役時代は「JR西日本の天皇」と呼ばれた、井手正敬・元会長のインタビューが掲載されていることだ。井手元会長は驚くほど率直にインタビューに答え、自分のやってきたことに間違いはなかったと真正面から主張している。読み進めていくと、その率直さは強い信念に裏付けられているのが見えてくる。井手氏には確信があり、熱意を持って運転士を厳しく締め上げる組織運営を推進してきたのだ。

「事故において会社の責任なんていうものはない。そんなのはまやかしです。組織的に事故を防ぐと言ったって無理です。個人の責任を追及するしかないんですよ。
鉄道に『絶対安全』なんてあり得ない。一つ事故があったから、ここを直そう。また事故があって、あそこを直そう……その積みかさね、経験工学なんですよ。むしろ、絶対事故を起こさないという慢心こそが事故を起こすんです。
   (中略)
管理すべき幹部が現場を歩いていなかったから、事故を防げなかったんです」
   (本書第II部 第6章 激動 統治者目線――井手正敬会見録2 より)

 この井手氏の言葉に、著者は「正直言って、これはこれで筋が通っていると思った」と書く。が、井手氏には「安全技術の進展の陰で犠牲になった者への視点がない」と続ける。
 私が思うに、井手氏の態度は、古い時代の認識なのだろう。機械の性能や信頼性が不十分だった頃は、安全性を向上するためには人間が機械を補うしかなかった。人を締め上げることで、確かに安全性は向上した。しかし、機械の性能が上がってきて、一部では人間の能力を凌駕するようになると、安全性の向上はシステムの組み方へと委ねられる。システムを操る人を締め上げるよりも、本質的に事故を起こしにくい、起こしても大事に至らないシステムを組むことが重要になる。そして事故調査と対策も、事故関係者を罰することで他の運行当事者に一層の自覚を要求するよりも、より一層事故を起こしにくいシステムを構築することへと力点が移る。
 このことに、1935年生まれの井手氏は気が付いていない。

 しかし、井手氏よりも7歳若い浅野氏は、都市計画コンサルタントの仕事の中でシステムの重要性を認識し、事故被害者・遺族となった時に敢然と戦ったのである。それは世界中の事故調査の有り様の潮流にも沿う行動だったのである。

 私は事故調査と対策のあり方という観点から本書を読み進めたが、それ以外にも様々な読み方ができるだろう。JR西日本の右往左往は、サラリーマン小説的に読めるだろうし、浅野氏の歩みを「男の孤高の戦い」として読み解くのもありだろう。
 しかし、是非とも覚えておいて欲しいことがある。背景には、日本の「事故調査を通じてより一層事故を起こさないようにシステムを改善していく」システムの欠如が横たわっているのである。


【今回ご紹介した書籍】 
軌道 −福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い−
  松本 創 著/四六判/368頁/定価(本体1600円+税)/2018年4月刊行
  東洋経済新報社/ISBN 978-4-492-22380-2
  https://store.toyokeizai.net/books/9784492223802/

「松浦晋也の“読書ノート”」 Copyright(c) 松浦晋也,2018
Shokabo-News No. 346(2018-7)に掲載 

松浦晋也(まつうらしんや)さんのプロフィール】 
ノンフィクション・ライター.1962年東京都出身.現在、日経ビジネスオンラインで「宇宙開発の新潮流(*1)」を、「自動運転の論点」で「モビリティで変わる社会(*2)」を連載中。近著に『母さん、ごめん。−50代独身男の介護奮闘記−』(日経BP社)がある.その他、『小惑星探査機「はやぶさ2」の挑戦』『はやぶさ2の真実』『飛べ!「はやぶさ」』『われらの有人宇宙船』『増補 スペースシャトルの落日』『恐るべき旅路』『のりもの進化論』など著書多数.
Twitterアカウント https://twitter.com/ShinyaMatsuura
*1 http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20101208/217467/
*2 http://jidounten.jp/archives/author/shinya-matsuura


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