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【裳華房】 メールマガジン「Shokabo-News」連載コラム 
松浦晋也の“読書ノート”

禁無断転載 → 裳華房メールマガジン「Shokabo-News」


第41回 優れた表現を襲う病んだ心

三島由紀夫 著『金閣寺』(新潮文庫)

 いったい何を言えば良いのか分からない──。

 2019年7月18日、京都市伏見区にあるアニメーションスタジオ、京都アニメーションに暴漢が侵入し、大量のガソリンを撒いて放火。死者34名、負傷者34名という大惨事が発生した。
 京都アニメーション、通称京アニは、21世紀に入ってから次々に秀作アニメーションを発表し、世界的にも高い評価を受ける、日本のアニメ制作における有力拠点であった。

 私が最初に京アニ作品を知ったのは、同社初の元請け(同社が主体となって制作する)作品『フルメタル・パニック? ふもっふ』(2003年)だった。「ふもっふ」という妙な修飾で分かるように、この作品には『フルメタルパニック!』という元となったアニメ作品がある。同名の賀東招二・原作のライトノベル(富士見ファンタジア文庫)を、京アニとは別の会社がアニメ化した作品だ。こちらも見ていたのだが、正直すでに40歳を過ぎていた自分にはどうにも面白くなかった。
 ところが、そこからの派生作品である『ふもっふ』は、いい加減感性がすり切れているおじさんにも面白かった。よく練られた脚本に的確な演出、そして大変美しい画面構成と動き──。「これは観て、得したわい」と私はほくそ笑み、それで終わるはずだった。もちろん京アニというスタジオ名など意識すらしていなかった。
 しかしその3年後、『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006年)が放送される。エキセントリックな少女とその周囲に集まる一見普通で実は異常なキャラクターたちを巡るSF風味のコメディは、そのあまりの面白さに一大ブームを巻き起こした。特に「ハルヒダンス」と呼ばれたエンディングでのダンスのアニメーションは、アニメーション技術の高さ、仕上げの丁寧さで、掛け値無しに世界中のマニアに大受けした。ちょうど当時はYouTubeが立ち上がった時期だった。まだ画面は小さく解像度は低かったが、『ハルヒ』は何者かがYouTubeに違法アップロードすることで世界に拡がっていった。消されても消されても違法アップロードは続き、続くことで「京アニ」は世界的ブランドとなっていった。
 京アニの快進撃が始まった。女子高生たちの日常を描いた『らき☆すた』(2007年)はこれまたダンスのアニメーションが評判となり、舞台となった埼玉県久喜市(旧鷲宮町)にファンが殺到して、「聖地巡礼」という、それまでマニアしか使っていなかった言葉を一般に広めた。同じく女子高生たちの、今度は軽音楽部の部活を舞台とした『けいおん!』(2009年〜2010年)は、微妙にオフビートな彼女らの日常を軽快にまとめ上げて大ヒットとなった。
 が、京アニの仕事は、単に「丁寧できちんと作り込まれている」だけではなかった。私がそれに気が付いたのは、2011年に公開された映画版の『映画けいおん!』を観た時だった。この映画では、ラストに主人公ら4人の女子高生たちが歩く様子を、彼女たちの上半身を描かず、脚だけで追う50秒近くもある長いカットがある。
 それを「若い女性の脚に執着するフェティシズム」と断ずるのは容易だ。しかし、50秒ものワンカットが実現していたのは、セリフと連動しつつも、弾むような脚の運びだけで、どれがどのキャラクターかを観客に分からせ、しかも彼女たち一人ひとりの感情の動きを印象付けるという、アニメーションとしては空前絶後の表現だった。
 京アニは単に「ウェルメイドの仕事」を目指しているだけではない。過去に存在しなかった全く新しい表現を、アニメーションという媒体で実現しようとしている──私は戦慄し、意識して京アニの作品を追っかけるようになった。
 近年の映画『聲の形』(2016年)、そしてテレビアニメと映画の両方で展開しつつあった『響け!ユーフォニアム』シリーズ(2015年〜)、その中でも特に映画『リズと青い鳥』(2018年)は、全編でアニメーションでしかできない繊細を極めた心理描写を展開していた。
 いや、おそらく「まだまだ極めてはいない」のだろう──と私は思った。京アニはさらに前に進むつもりだ。その成果は、いずれ観ることができる──そのはずだった。

 そのはずだったのに……。

 鋭く心に食い入る優れた表現ほど、逆説的に病んだ心を引き寄せる性質を持っている。そこに「目立つ」「世俗的名声」が加わると、劣等感と嫉妬をも刺激して犯罪を惹起することとなる。
 事件発生直後、Twitterで1980年のジョン・レノン殺害を思い出したと書いていた人がいたが、私が思い出したのは、美空ひばり塩酸事件(1957年)だった。当時19歳の美空ひばりが、同年齢の19歳の少女に塩酸を掛けられて火傷を負った事件だ。少女は熱狂的なひばりファンだった。何度も楽屋を訪ねたが、そのたびに面会を断られた。地方出身で上京し、住み込み女中の薄給でかろうじて生活する自分と、同じ年齢なのに才能に恵まれ、ファンに囲まれるひばり。その格差が愛情を憎悪に転化させる。彼女の手帳には「こんなに好きなのに…ひばりちゃんが憎い」「塩酸をかけて醜くなった顔をみたい」と書いてあったという。
 ジョン・レノン殺害にせよ、美空ひばり塩酸事件にせよ、そこには「憧れであり、同時にどうにもならないどん底の自分を嫌でも自覚させる絶望の対象」としての人間が存在する。だから「殺す」「醜くする」という発想が犯人に生まれる。が、もしそのような負の感情が「人」ではなく「物」、絶対的に美しい「物」に向かったとしたら──。

『金閣寺』カバー  今回取り上げるのは、日本文学の名作中の名作ともいうべき三島由紀夫『金閣寺』だ。三島は、現実のスキャンダラスな事件をモデルに小説を書くことが多々あり、『金閣寺』も1950年7月2日に発生した、金閣寺放火事件をモデルとしている。
 ここで、あまりに有名な『金閣寺』の粗筋を書く必要はないだろう。なんとかして一人の人間として生きようとする修行僧の溝口の前に、絶対的な美の象徴として金閣寺がたちはだかり、彼の生を妨げるという構図は、それだけ聞けば「なんぼなんでも、そりゃ無理があるだろう」と思わせるが、読んでいる間は三島の圧倒的文章力が、何の疑問も差し挟ませない。
 三島の『金閣寺』では、現実に起きたジョン・レノン殺害、美空ひばり塩酸事件の、レノンやひばりの位置に、金閣寺という建築物が建っている。人は人を愛し、人を憎むから、現実の事件が起きる。が、三島は人間の作り出した美の象徴を、人間と同等の位置に置くことで、「美と嫉妬」「生と美」「美と絶望」といった抽象的な観念を、非常に肉感的に描き出していく。
 三島の『金閣寺』は現実の事件をモデルにしつつも、内包する構図は、徹頭徹尾「美の人」であった三島の内面に密着した「美と生を巡る論考」であろう。実際の事件については、事件から30年近く経った1979年に、作家の水上勉が『金閣炎上』(新潮文庫)というドキュメンタリーを上梓している。事件を起こす前の犯人・林承賢に会ったことがあるという水上は、取材を重ねて林が生きていた抑圧的な環境を描き出している。

 話を京アニの事件に戻そう。
 私が感じたのは、「では、美の象徴たる金閣寺の代わりに、そこにアニメーションスタジオが代入されたならば」ということだった。

 アニメーション制作は集団の共同作業だ。最終的生産物にいかに先鋭な描写があり、視聴者の心が動かされたとしても、一枚ずつの絵を描き、レイアウトし、撮影し、編集する人々は、そこにいかなる参加意識と高揚感があったとしても、目の前にある己の仕事を為しているにすぎない。
 ジョン・レノンも美空ひばりも、憧憬と絶望の対象として、犯人の目の前に「いた」。しかし、共同作業の結果として作品を提出する京アニは、分け入ってもそこに「確たる存在」はいない。監督も、脚本家も、演出家も、作品の一部を担う「仕事」であって、最終成果物の「作品」とは等価ではない。アニメーションスタジオは金閣寺のような「物」ではないが、さりとて「人」かといえば人でもない。
 ところが、会社組織であるアニメーションスタジオが、あたかも「実体を持つ一人の人間存在」、すなわちジョン・レノンや美空ひばりであるかのように、犯人の憧れと絶望を引き出したとしたら。
 京アニの作品が描き出す繊細な感情の表現は──犯人に「人」ならぬアニメーションスタジオという抽象的な会社組織に憧憬と憎悪を抱かせる──それほどまでの高みに達していたということではなかろうか。
 だから犯人は、監督でもキャラクターをデザインしたデザイナーでもなく、スタジオの全員を殺害しようとしたのではないか……。

 注意して欲しい。これは、あくまで私の想像でしかない。むしろ三島のように小説として世に問うべき考えなのかもしれない(私に小説を書く能力はないが)。
 今回の事件では、犯人もまた大火傷を負っており、本稿執筆の段階では詳細な動機は不明だ。「俺の小説を盗んだ」という言葉が報道されているところから、もっとずっと雑駁な思い込みからの逆恨みである可能性は大きい。自分の推理への陶酔も、早急な断定も避けねばならない。

 ここで私が書くことができるのは、「この事件は実際に起きてしまった三島の『金閣寺』ではないのか、というおののきを、2019年7月23日時点の私は感じている」ということだけである。

 よりよい仕事を、よりよい表現をと一心に努力した結果が、突如の惨事であったなどということは認めたくない。そんなことがあって良いはずがない。明日はもっと良い仕事をしようという日々の営為が、そんなに簡単にお門違いの憎悪によって断ち切られて良いはずがない。34名もの人たちの、よりよい表現に至ろうとする努力が未完となってしまったことに、本当に、何を言えば良いのか分からない。
 事件からこっち、自分はネット配信で京アニの作品を見続けている。このシーン、この動きを作った人はもういないのかもしれないと思うことは、大変な苦痛だが、それでも止めることはできない。

 亡くなられた方々のご冥福を祈る。
 生き残った方々の心身両方の傷が早く癒えて、仕事に復帰できることを祈る。
 京都アニメーションという会社が再び、いまだかつてない表現を生み出すアニメーションスタジオとして、活動できるようになることを切に願う。


【今回ご紹介した書籍】 
金閣寺
  三島由紀夫 著/文庫判/384頁/定価693円(本体630円+税10%)/改版2003年5月発行/
  新潮社/ISBN 978-4-10-105008-9
  https://www.shinchosha.co.jp/book/105008/

「松浦晋也の“読書ノート”」 Copyright(c) 松浦晋也,2019
Shokabo-News No. 356(2019-8)に掲載 

松浦晋也(まつうらしんや)さんのプロフィール】 
ノンフィクション・ライター.1962年東京都出身.現在、日経ビジネスオンラインで「宇宙開発の新潮流(*1)」を連載中。近著に『母さん、ごめん。−50代独身男の介護奮闘記−』(日経BP社)がある.その他、『小惑星探査機「はやぶさ2」の挑戦』『はやぶさ2の真実』『飛べ!「はやぶさ」』『われらの有人宇宙船』『増補 スペースシャトルの落日』『恐るべき旅路』『のりもの進化論』など著書多数.
Twitterアカウント https://twitter.com/ShinyaMatsuura
*1 http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20101208/217467/


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