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【裳華房】 メールマガジン「Shokabo-News」連載コラム 
鹿野 司の“読書ノート”

禁無断転載 → 裳華房メールマガジン「Shokabo-News」

第6回 精神疾患の「現実」とは何か

『名作マンガで精神医学』(林 公一 著,中外医学社)

 一昔前に比べると、今では精神科や心療内科を受診することに対する敷居は、ずいぶん低くなったように思う。「うつ病はこころの風邪」というような、解りやすい標語がマスメディアなどを介して広がったおかげで(その副作用も確かにあるのだが)、「精神科なんて受診したら、回りからなんて思われるか解らない……」、というような、多くの患者を治療機会から遠ざけてしまうような感覚は、世間からある程度薄らいではいるだろう。
 しかし、そうはいっても、精神医学に関わる一般の理解はまだまだ乏しい。むしろ、解っているつもりで、実は全くの誤解をしていることも少なくない。それによって、多くの人が適切な医療の助けを受けられないでいる状況が続いている。
 今回紹介する『名作マンガで精神医学』の著者、林公一さんは、10年ほどもネット上で「Dr林の こころと脳の相談室」http://kokoro.squares.net/ という Webページを開設していて、これまでに2370件以上の相談に回答してきている。
 その回答の口ぶりは、表面的な柔らかさのようなものには一切頼らず、理性的かつ毅然とした態度で語られている。にもかかわらず、その芯に医療者とはこういう人物のことかと思わせる、深い愛情がはっきりと感じられるすばらしいものだ。
 この『名作マンガで精神医学』は、統合失調症を中村ユキ著『わが家の母はビョーキです』(サンマーク出版)、うつ病を細川貂々著『ツレがうつになりまして。』(幻冬舎文庫)、高次機能障害を柴本 礼著『日々コウジ中』(主婦の友社)、そしてパーソナリティ障害を佐藤秀峰著『ブラックジヤツクによろしく』(漫画 on Web) にそれぞれ主な題材として採用し、それ以外にも多数のマンガ作品のエピソードと、現実の相談例を交えながら、精神疾患の「現実」とは何かを、誤解なく伝えてくれようとして、それに成功している名著といえるだろう。
 例えば、統合失調症とは、第一に若い年齢で発症し、第二に幻聴と被害妄想が目立ち、第三に治療(投薬治療)すれば症状はおさまるもので、100人に1人が発症する極めてありふれた病気だ。そして、症状が収まったあとは、薬は欠かさず飲むことと、デイケアに必ず通うことの二つを愚直に守るだけで、実に多くの統合失調症の人々と、その周りにいる人々の恩恵になると林さんはいう。
 『わが家の母はビョーキです』には、それが明確に表現されている。しかし、それはこの作品のすばらしさの序盤でしかない。
 統合失調症は、前駆期や急性期については、患者の不気味な体験への興味や、そこにこころの本質に関わる何かがあるという認識から、古くから哲学者や芸術家、科学者も関心を持ち、物語としてもたくさんの優れた作品が作られてきた。しかし、多彩な症状がおさまり、社会復帰への道のりが始まると、傍観者たちはその地味な作業に興味を持たず、作品にもなってこなかった。しかし、このマンガは、その回復期を丁寧に描写したほぼ唯一の作品だと、林さんは高く評価している。
 私自身、『名作マンガで精神医学』を読む事で、精神疾患に対する理解を深めることができたし、すでに知っていたマンガ作品を再読したり、未読のものは是非読んでみたいという思いを新たにした。(余談だが、マンガは電子化されている率が高いので、思い立てば直ぐに購入して読む事ができる)
 また、「ストレス社会になり心の病が増えた」などというマスコミの論調に迎合するのは、「プロフェッショナルの取るべき姿勢ではない」とか「心の有り様の変化には、精神的な原因が無関係なことも少なくない」といった言葉に代表される、一般人がぼんやりとしたイメージで誤解していたことを、ずばりと切り分けてくれる心地よさも味わうことができるだろう。
 多くの人に一読して貰いたい著作だと思う。


◆『名作マンガで精神医学』
  林 公一 著/村松太郎 監修
  四六判/294頁/定価(本体1900円+税)/2012年5月発行/中外医学社/
  ISBN978-4-498-12938-2
  http://www.chugaiigaku.jp/item/detail.php?id=402

「鹿野 司の“読書ノート”」 Copyright(c) 鹿野 司,2013
Shokabo-News No. 286(2013-3)に掲載 


鹿野 司(しかのつかさ)さんのプロフィール】 
サイエンスライター.1959年愛知県出身.「SFマガジン」等でコラムを連載中.主著に『サはサイエンスのサ』(早川書房),『巨大ロボット誕生』(秀和システム),『教養』(小松左京・高千穂遙と共著,徳間書店)などがある.ブログ「くねくね科学探検日記


※「鹿野 司の“読書ノート”」は,裳華房のメールマガジン「Shokabo-News」にて隔月(偶数月予定)に連載しています.Webサイトにはメールマガジン配信の約1か月後に掲載します.是非メールマガジンにご登録ください.
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