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【裳華房】 メールマガジン「Shokabo-News」連載コラム 
鹿野 司の“読書ノート”

禁無断転載 → 裳華房メールマガジン「Shokabo-News」


第10回 辛い現実を相対化して描いた闘病記

吾妻ひでお 著『アル中病棟』(イースト・プレス、2013年)

 私の職業は、いわゆるひとつの自称サイエンス・ライターだ。自分のプロフィールを載せる必要がある時は、とりあえずサイエンス・ライターと書くことにしている。しかし、内心では自分の仕事のことを、限りなくフィクション要素を排除したサイエンス・フィクション、つまりSFだと信じている。
 どんな科学の内容を紹介するにしても、それはSFのアイデアとして面白いかという観点が常に心の中にあって、それが私の書くものの個性に繋がっていると思う。
 と、いうのは余談で、それくらいSFが好きな人間にとって、1980〜90年代にかけて、面白くて全ての作品を読み尽くしたいとさえ思わせてくれたマンガ家のひとりが、吾妻ひでおだった。
 彼自身がかなりのSFファンで、作品のテーマが必ずしもSFではなかったとしても、その表現のしかたや目の付け所に、自分と共通するSFマインドを常に感じることができて、それが心底心地よかった。
 しかし、1980年代の終わりころ、仕事が過密になり、そのストレスから失踪、そのままホームレスになったり、配管工になったり、さらにアル中になって強制入院に至るという壮絶な体験をしている。その一連の出来事が、『失踪日記』(イースト・プレス)という形で作品にになっているが、この最初のエピソードを雑誌で読んだ時、その芸術性の高さに度肝を抜かれた。
 なにしろ真冬のさなかに失踪してホームレスになり、寒い中の野宿で1週間一睡もできなかったあと、ゴミ捨て場に捨ててあった瓶の中の液体を舐め、それが捨てられたサラダオイルとわかって、「なかなかいける」とつぶやいて終わるのだ。こんな表現は、未だかつて見たことがなかった。
 『アル中病棟』は、失踪日記の最後に描かれたアルコール中毒の闘病部分を、8年ほどの時間をかけてより詳細に描いた、300ページを超える書き下ろし作品だ。
 大江健三郎は以前、自分は己の身に降りかかるすべての出来事が、それがたとえどんな困難や不幸であっても、その瞬間から、どう物語ったらいいかと考えはじめてしまう、という趣旨のことを語っていた。
 吾妻ひでおの『失踪日記』や『アル中病棟』にも、それと同じ、物語ることをなによりも優先してしまう作家性を見ることができる。
 アルコール中毒は一生癒ることはないと繰り返し語り、なんども自殺を考えたようなその現実は、普通に考えれば、想像を絶する苦しみでしかないだろう。
 しかし、どんなにつらい現実でも、というよりむしろ辛い現実だからこそ、読者に面白いと思わせるにはどう表現したらいいか考えることで、苦痛から少し距離を置くこともできるのだろう。それは、若干の個人的な体験からもそうなのだと思う。そして、こういう種類の相対化は、SFファンには最も共感できる部分でもある。
 『アル中病棟』は、過去のどの吾妻ひでお作品よりも絵の書き込みが緻密になっている。後書きの とり・みき との対談にも出てくるのだが、描くこと、物語ることが楽しくてしかたないということらしい。
 これからも永遠に消え去ることのない不安の中に生きるしかないにせよ、芸術を行うという喜びが吾妻ひでおの中にあることが、私にとってもとても嬉しく感じられるのだ。

 

◆『アル中病棟 失踪日記2』
  吾妻ひでお 著/B6判/336頁/定価(本体1300円+税)/2013年10月発行/イースト・プレス
  ISBN 978-4-7816-1072-6
  http://eastpress.co.jp/shosai.php?serial=1827

「鹿野 司の“読書ノート”」 Copyright(c) 鹿野 司,2013
Shokabo-News No. 294(2013-11)に掲載 


鹿野 司(しかのつかさ)さんのプロフィール】 
サイエンスライター.1959年愛知県出身.「SFマガジン」等でコラムを連載中.主著に『サはサイエンスのサ』(早川書房),『巨大ロボット誕生』(秀和システム),『教養』(小松左京・高千穂遙と共著,徳間書店)などがある.ブログ「くねくね科学探検日記


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