雑誌「生物の科学 遺伝」 2001年9月号
特集 生物の採集と法制度
特集にあたって
幸丸政明
自然状態で存在する生物を自分の手に収めるという行為は,生物としての人間の基本的な行動の一つであり,そのことが生きていくことと直結しなくなった現在でも,釣り,山菜・茸採り,潮干狩りなどアウトドアレクリエーションの形で人の暮らしの中にしっかりと根づいている.本特集のテーマである「採集」に人を駆り立てるものは知的好奇心の充足のほかに,「狩猟・漁労採取」への衝動があることも否定できないだろう.
自然状態で存在する動植物は,法律的には無主物とされ,無主物は「所有の意思で占有を始めたときに,その者が所有権を取得する(無主物先占)」ことになるが,ハンティング・フィッシング等のレクリエーションも採集も,自然あるいは野生生物というものが存在すること,それもできるだけ豊かな状態で存在することが前提となっている.それが大きく脅かされているのが現代であり,それを保全することが市民あるいは行政の重要な課題の一つとなっているのも現代である.
自然環境の保全を直接の目的とするものから,第一次産業の保護育成を目的とするものまで含めて,採集行為を規制している法制度はさまざまである.採集を仕事の重要な一部とする研究者,あるいは趣味として行うアマチュアのナチュラリストにとっては,そのような法律や規則の文言は決して馴染みやすいものではないだろうが,それらが求めるものを理解し遵守し,さらに進んで採集という行為を通して自らの活動基盤でもある自然の保全に寄与することは,現代の採集者の当然の務めでもあると思う.そしてそれは,私たち日本人の行動範囲が飛躍的に広がった今日では,単に国内の問題ではなく国際社会の一員としての行動規範として求められるものでもあろう.
しかしながら,一般の人にとって最も馴染みが深い自然保護の制度と思われる国立公園でさえ,そこに行っても現在立っている場所がどのような規制のあるところか判然としないのが普通であるから,法制度を遵守して採集を行うのは決して容易なことではない.そこが特別保護地区という国立公園の核心部であるならば,落ち葉一枚,枯れ枝一本すら持ち出すことは禁じられているが,単なる特別地域であるならば,おおっぴらにネットを振り回しても実は法律に抵触することはないし,指定植物以外の草本であればこれまたお咎めなしである.しかし,そのような事情を知らない観光客からは非難の目を向けられたり,あるいは公園の中は採集が自由なのだという誤解を植え付けてしまうかもしれない.
ここでは,生物採集の規制に関する法制度の状況を国際条約にまで敷衍して理解してもらうと共に,個々の制度の厳格な遵守・適用ということに固執するのではなく,生物保護の基本的考え方を踏まえて,採集者のとるべき行動について提示することを目指した.
こうした意図の下に本特集では,全体を大きく四つに分け,第一のパートでは生物多様性の保全にかかわる国内の法制度を概観し,それらが生物の採集に対してどのような規制を設けているのか理解を得たたうえで,必要な手続きについて具体的に説明した.第二のパートは海外での採集を想定し,生物を保護する主な国際条約について概説し,とくに採集と密接なかかわりをもつワシントン条約のしくみについて紹介し,さらに東南アジア諸国で採集を行う場合の各種の情報を実際の体験を交えて整理して紹介している.第三のパートでは,生物採集というかなり個人的な行為に,より社会的な意味をもたせる機会を提供するという意図で,生物多様性センターが実施している自然環境保全基礎調査を紹介し,研究者やアマチュア・ナチュラリストのこの分野への積極的な参加を呼びかけている.そして最後のパートにはQ&Aのコーナーを設け,採集や飼育を伴う調査・研究や理科教育の場で遭遇しそうな「法にふれそうな」行為を中心に取りあげた.
本特集が,採集に関する規制や必要な手続きに関する個別の知識の普及にとどまらず,多様な諸制度の相互関係を明らかにし,その理解に立って採集者が自然保護のセクターの一員として積極的に活動していただけるようになることに少しでも役立つことを願う次第である.
(こうまる まさあき,岩手県立大学 総合政策学部)
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