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「生物の科学 遺伝」2005年7月号(59巻4号)

特集 I  食虫植物

特集にあたって

長谷部 光泰

 食虫植物は誰もが知っているなんとも奇妙な生物である.しかし,どんな植物からどのように進化してきたのか,どのように種分化するのか,どんな分子メカニズムによって運動しているのか,消化液にはどんな消化酵素が含まれているのかなどなど多くの謎が残されている.近年,分子生物学を始めとした新しい技術を用いて食虫植物の謎にアプローチできるようになってきた.本特集では食虫植物研究の現状をまとめ,将来の展望を探る.

 まず,近藤勝彦先生に食虫植物の概説と食虫植物研究の歴史と現状についてまとめていただいた.

 次に,長谷部光泰は食虫植物がどんな植物に近縁でどのように進化してきたのかを概説した.意外にも,食虫植物は見ての通り特殊な形をしているために,それらの類縁関係はよくわかっていなかった.この10年ほどの間に遺伝子の塩基配列を直接比較する方法(分子系統学的手法)により,すべての食虫植物の類縁が明らかになったので紹介する.また,系統関係に基づいて捕虫葉がどのように進化してきたのかについて推論した.

 植物の進化の大きな特徴の一つとして頻繁に倍数体が形成されることがある.新しい種ができるときにも倍数体化に伴う生殖的隔離が大きくかかわっている.星 良和先生は,モウセンゴケ属の進化における倍数体進化の役割,さらに,モウセンゴケ属で顕著な染色体サイズ変化の役割についての最新の知見を概説,他の植物との相違点,類似点について議論していただいた.また,双子葉植物ではモウセンゴケ属だけに見られる特異な染色体の特徴についても考察いただいた.

 生物は競争とそれに伴う自然選択の結果として時間と空間を住み分けて生活史を営んでいる.個々の種が生活史をどのように進化させてきたかは進化学の大きな研究分野である.中野真理子・木下栄一郎・植田邦彦先生方には生活史の進化という観点からトウカイコモウセンゴケの種形成過程を探っていただいた.モウセンゴケとコモウセンゴケの交雑由来のトウカイコモウセンゴケは,集団ごとに環境にあわせて両親の特性をさまざまに種々選択し集団分化しつつあり,まさに進化の途上にある植物といえる.

 食虫植物には大いに多様化している群と遺存的な少数の種を含む群がある.前者の代表がウツボカズラ属で世界に100種近くが知られている.これらの種がどのように進化してきたのかについて,生物地理学的観点を含め倉田薫子・瀬戸口浩彰両先生に概説いただいた.同一種内での形態変化や遺伝子の変化は新しい種が形成される準備段階といえる.ニューカレドニアに分布する Nepenthes vieillardii の島内での種内多様性から,ウツボカズラがどのように進化しつつあるのかについて探求していただいた.

 ハエトリグサの捕虫葉は1回目の刺激のあと数十秒以内に2回目の刺激が加わると閉じる.これは偶然にものが当たったときには閉じず,確実に虫を捕らえる機構として知られている.上田 実先生にはこの記憶ともいうべき現象を司る化学物質探索の最前線を紹介していただいた.

 食虫植物の消化酵素については古くから多くの研究があるものの,タンパク質自体を精製し,遺伝子を特定した研究はこれまでになかった.世界で初めて同定されたウツボカズラの消化酵素の驚くべき特性を発見者である高橋健治先生に紹介いただく.

 本特集では食虫植物研究の最前線を紹介したが,同時に食虫植物という研究材料がまだまだ新発見の宝庫であることをご理解いただけるだろう.近代的な視点から新しい技術を用いて,この魅力的な植物の謎が少しでも明らかになることを願いたい.

(はせべ みつやす,自然科学研究機構 基礎生物学研究所)

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