『物理のための応用数学』(裳華房, 1988)
これは, 3年生向けの応用数学の教科書・参考書です。
物理学科の3年生のためにどういう数学のカリキュラムを組み立てるのがよいかは, 明確な標準が ありません。
私がこの本を書くまでは, 「物理数学」と言えば, 「偏微分方程式を解く」ことを主題とする本が主流でした。
確かに, 偏微分方程式は, 物理のいろいろの分野に出てきます。
それを解くことは, 重要です。
しかし, 実際に3年生の数学の講義を担当して 講義の組み立てを考えたとき, 偏微分方程式主体では, 何とも単調で, 自分自身がその単調さにとても耐えられないだろうと感じました。
この単調さは, 学生にとっても 多分同じはずです。
自分がそんなふうでは, とても学生についてきてもらえないでしょう (と思いました)。
そこで, 自分なりの『標準』として考えたのが, この教科書です。
ただし, 実際の「物理数学」の講義では, 関数論の復習を講義の中に含めました。 また, グリーン関数 (第9章) は, 下記の事情から書き下ろしたものであり, 正規の授業には含まれていません。
また, 合流型超幾何関数 (第6章) も, 3年生全体向けには 程度が高すぎるので, 講義した記憶は ありません。ただ, 学生の中に この前書きに書いたような疑問を口にした学生が 一人だけいました。そこで, 本書執筆の際に, そのことを思い出し, この第6章を書き加えました。 そういう意味では, この章が本書に加わったのは, その学生 S 君のお蔭によるものです。
あるとき (1987 年の冬), 通年の物理数学の授業が終わって, 学生たちが, グリーン関数の補講をしてほしいと言ってきました。
グリーン関数がどういうものなのか, 知りたいようです。
そこで, この本の第 9 章のような講義メモを用意して, 春休みに 十数人の学生を相手に 3 回の補講をしました。
[ 第 9 章は, 今でも時折なつかしく読み返すのですが, 学部学生のためのグリーン関数入門として, 読みやすく書かれています。 量子力学に出てくる「グリーン関数」は これとは 様子がかなり違いますが, 基本は同じです。]
それからしばらくして 6月頃に, 裳華房の編集者 (真喜屋実孜さん) がやってきて, 物理学科3年生のための数学の教科書を書くように依頼されました。
出版に携わる人は, 何か鋭い嗅覚のようなものを持っているのかも知れません。
そういう訳で, この本の執筆はトントンと進み, 夏休みの間には決定稿が出来上がり, 翌年3月に出版されました。
3年生の学生から何の得にもならない補講をしてくれと言われたのは, 約 40 年にわたる私の教員生活の中で, これ 1回だけです。 どうしてそういう話になったのかは, 今では思い出せません。
なお, 4年生からは, 次に書くように, 明治大学に移ってから, 1回だけありました。
『なっとくする複素関数』(講談社サイエンティフィク, 2000)
関数論 (あるいは複素関数論) は, 大学2年生で学ぶのが普通です。
複素関数論は, 大学生が学ぶいろいろな数学のなかで
(1) 大学生でも その全体を十分に理解できる
(2) 実際に役に立つ
(3) 美しい体系である(あるいは 美しさが感じられる)
という特徴があります。 多くの教科書の前書きには, そんなふうに書いてあります。
ところが, 実際に複素関数論の授業を受けている学生の感想は,
美しいどころか, ジャングルの中を歩かされているようだ ・・・
つまり, 何をやっているのか, どこへ連れて行かれるのか, 全然分からないようです。
私のこの本では, 関数論の流れを読者が ハッキリと掴むことを心がけました。
関数論が決して ジャングルではなく, 美しい一筋の流れであることを理解していただけると思います。
もちろん, ただ読むだけでは 正確な理解はできないので, 演習の問題もついていて, 実際に計算力がつくようになっています。
あるとき (1999 年の6月頃, このときには私は既に明治大学の物理学科にいました), 数人の4年生が, 関数論の補講をしてほしいと言って来ました。
(大学院受験のためのようでした)。
そこで, 夏休みに入ってから, 8人程度の学生を相手に, 回数は記憶にありませんが, 厳しい暑さの中を, 関数論の 集中講義 (もちろん バッチリ その場演習つき) をしました。 8人の4年生の中には, 大学院には行かずに就職するけれども, 関数論での複雑な気持ちを払拭しておきたいから ・・・ という学生もいました。 私の研究室のゼミ生は, 8人のうちの半分くらいだったでしょうか。もともと, 私のゼミは 人気が無いのです。 (その理由はお分かりいただけると思います。)
その集中講義で, たまたま「複素関数の微分可能」の意味を (おそらく 必死になって(笑)) 説明しているときに, 私の講義ノートには書かれていない 超なめらかという言葉が, 思わず私の口を突いて出たのです。 それも, たまたま, あの I 君が私に向けた目に「先生, そんなんじゃ 未だ分からないよ」というような表情を感じた時の咄嗟の出来事でした。
超なめらか というのは, その場で思いついた自家製の数学用語でしたが, 複素関数の性質を感覚的にうまく伝えるキーワードです。
それから数ヵ月後 (1999 年11月), 講談社の末武親一郎さんが 飛び込みで (誰の紹介も無しに) やって来られました。 「なっとくする複素関数」をぜひ書いてほしい, という依頼でした。
本が生まれるときには, いくつかの偶然が重なるものです。
そういうわけで, この本もスラスラと進み, 翌年 春 (2000 年4月) に出版されました。
もちろん, 末武さんご自身が 夏の「補講」を嗅ぎつけて来られたわけではありません。 そのとき 手にしておられたのが, 私が その 12 年前に付録として書いておいた 7ページの付録「関数論入門」でした。 あれを膨らませて 1 冊の本にしてほしい。 ただし「論」を省いてほしい ・・・ それが, ご希望の全部でした。
後から分かったことですが, この本の編集あたりを最後に, 末武さんは 講談社を定年退職なさったようです。 それだけに, この本に注ぐ熱意は並大抵ではなく, ほとんど毎週 1 回の定期便と言ってよいくらい, 実に細かいところまで疑問を指摘してこられました。 それにいちいち呼応する形で, 私は, これで どうでしょうか ・・・ と 改稿を重ねました。
かなり後にうかがったところでは, 末武さんは あの有名な "ブルーバックス・シリーズ" の屋台骨を担っておられた講談社の重鎮編集者とのことで, このような方に 定年前最後のお仕事として 私の原稿をお読みいただいたことを 物書きとして, 大変うれしく思います。
ちょっと脱線すると, この本の中には, 割り込みチャイム という仕掛けが用意されていて, 読者が つまづきそうになると, 私自身が大学生だった頃に疑問に感じたことを 著者にストレートにぶつける仕掛けになっています。ときどき, あれは 「なっとくする シリーズの標準メニューなのか?」とお尋ねをいただきます。あのチャイムの「ピンポーン」は, 我が家の玄関のチャイムの音をそのまま採用しました。 こどもたち (とくに 娘) が帰宅すると, あの音色のチャイムが鳴るので,「これだっ!」と思いつきました。
ただ, いま振り返ってみると, あのチャイムは, 末武さんも かなり鳴らしておられたのです。
本の束
今 これを書きながら, 末武さんとのやり取りの中で, "本の束 (つか)" という術語を教えられたことを思い出した。
束とは, 本の厚さを意味するらしい。
本書の目的から考えれば, この程度が 厚すぎもせず, 薄すぎもせず ちょうど良いと 私は 考えたのですが, 「なっとくシリーズ」の他書より明らかに薄い。 平積みにして売れる本ではないので, 「書店の書棚に縦に並べると, 痩せて見える, 背文字が小さな文字になる ので損をする, 売れ行きに影響するかも・・・」 ということなのでした。 自分の想定外だったので, これには 驚きを覚えました。
結局どうしたかというと, 無理に厚くしても意味は無いし, 読者も 数学の本まるまる 1冊を読んだという満足感が得られるだろうから ・・・ ということで, 納得していただきました。
「物性物理/物性化学のための 群論入門」(裳華房, 1996)
本書は, 群論を必要とする実験家を読者対象として, 書かれた入門書です。
群論というのは, 数学の一分野であるだけに, これを正確に身に付けようとすれば, 物理側から見たときの敷居の高さは, かなりのものです。 しかし, そういうことで 手間取っていては, 現場の役に すぐには 立ちません。
一方では, 化学の立場から群論への入門を容易にする企てが, 必要上 いくつもなされてきました。
しかし, 物理側から見た場合, それらの (化学からの) 入門書は, 基礎的な説明が全く不十分であり, 「納得した上で使いこなす」 ことができません。
別段 ここで (高校生のときから好きだった) 化学の悪口を言い立てるつもりはありませんが, 私が見る限り, 化学の本というのは, そこに書かれていることをそのまま使える場合には, 非常に役に立ちます。しかし, そこから一歩でも外れて応用する ・・・ となると, 途方に暮れる ・・・ そういうことが多いのです。 或る意味では, これは 化学という学問の性質上 やむを得ないことです。
一般に 物理屋さんは, 理屈が好きだと言われます。 それは, 確かにその通りです。
また, 一般に 物理屋さんは,「数学を使って厳密に論理を進めれば, 100 % 落ちる」と思う人がいるようです。けれども, こちらの方は 完全な誤解です。そんなことで 物理が理解できるのだったら, 力学の講義も電磁気学の講義も, 教える側の苦労は ありません。
物理を専門とする人は, (かつて 力学, 電磁気学, 熱力学などを学んだ経験から) 基礎概念を把握した上でないと応用に進めない ・・・ これは, 物理屋の欠点でもあると同時に, 長所でもあります。
長々と書き立てましたが, 要するに, なるべく基礎的なところを はしょらずに, しかも なるべく早く 読者にとって必要な応用力を身に付ける ・・・ ということを目標としたのが, 本書です。
この目的がどの程度果たされたかは, 読者の判断を待つしかありません。
Web で検索すると, 大学院の講義で参考書 あるいは テキストとして取り上げられているようです。 また, 大学院修士課程 あるいは 卒業研究の学部学生のゼミにテキストとして使われているようです。少数であっても, このような使われ方をしているのであれば, 著者として その目的を果たし, 努力が報われたように感じます。
「定年になって時間ができたら, 本を書こう」という人は, 何人も おられます。しかし, 定年を迎えると, 本を書く気力も同時に失せる ・・・ というのが 現実です。おまけに, 既に講義をしていない定年教授に本を書いてもらっても 売れないので, 出版社は喜びません。本というのは, やはり, 定年前の 忙しい時期にこそ, 生きた講義をしている最中にこそ 書くべきものです。
以上は, これから本を書こうと お考えの 私より若い方々のために, 老婆心から書き留めました。
そういう目で いま 自分自身を振り返ってみると, 不満を感じることは ありません。これは, 本を書く立場として 幸せなことなのでしょう。書き残したと思うことは, ほとんど ありません。
一方で, インターネットが普及したこの時代には, 本の評判を直接に知ることができる ・・・ という楽しみがあります。書評というものは, かつては, その筋の権威ある人が書いたものしか読めなかったのが, いまでは, 言わば素人読者の書評まで含めて, いろんな感想を知ることができます。 これは, 定年後の私にとって, 大きな楽しみです。 ときには, 思っても見なかった反響に, こちらがビックリすることがあり, それがまた楽しみでもあります。