第29回 阿片の向こうにアルカロイドの花園を見ていた星一
星新一 著『人民は弱し 官吏は強し』(新潮社)
大分さまざまな文献を読んで地固めをしたので、そろそろ批判的に読み解くことができるかと思い、『人民は弱し 官吏は強し』を再読してみた。星新一(1926〜1997)が、父・星一(1873〜1951)のつくった星製薬が、官吏の妨害にあって追い詰められていく様子を描いた長編小説だ。
が、まだ難しかった。ご存知の通り星新一はショートショートの大家であるが、この長編はまさにショートショートの手法で書かれていて、かなり色々なものをそぎ落としてある。そこを補い、しかも小説として書かれたストーリーの中から史実を拾い上げていくには、まだまだ読書量が足りなかった。
が、それでも見えてきたものがある。
星一にとってモルヒネ精製は、単なる第一歩であったということだ。彼の頭にあったのはアルカロイドだった。
アルカロイド――窒素を含み多くはアルカリ性を示す有機化合物の総称だ。アルカロイドはさまざまな薬理作用を持つ。モルヒネはアルカロイドの一種である。星一の指揮の下、星製薬はモルヒネを手始めに、コカイン(麻薬として有名だが、医療用には麻酔薬として使用された)、キニーネ(マラリアの治療薬)、アトロピン(散瞳剤)などのアルカロイドの精製手法を工業化し、薬剤として販売していったのである。
阿片利権に群がった者たちは、阿片、そして阿片から精製されるモルヒネを、なによりも金のなる木として見ていた。が、どうも星一は、モルヒネからの収益は存分に利用しつつも、むしろその先に、アルカロイド系薬剤を系統的に国産化し、販売するという、より大きな構想を持って動いていたようなのである。
本コラムの第26回[*1]に書いたように、本書には「台湾総督府高官の夫人が組織した婦人慈善会という組織が、星製薬の株式を大量に持っていた」という1918年(大正7年)のスキャンダルについては記述がない。だから、星一が完全に潔白かといえばそうではないのだろう。しかし同時に、星一は阿片のもたらす利権にこだわっていたわけではなかった。彼は阿片の向こう側に、アルカロイドという、より広大な薬の世界を見ていたのである。
*1 https://www.shokabo.co.jp/column/matsu-26.html
本書によると、そんな星に対して反感を持ち、その脚を引っ張ったのは、まず内務省だ。1916年、日本政府は「製薬および化学工業薬品の奨励法」という法律を作り、補助金を入れて製薬産業の高度化を図った。製薬を管轄する内務省は、内国製薬という会社を作り、そこに補助金を入れたのだが、その実、内国製薬の実権は、星製薬のライバルである三共製薬が握ってしまった。三共製薬が内務省に働きかけた結果である。これに星一は声高に反対して、内務省との関係を損ねてしまう。
この経緯を、本書は内国製薬ではなく国内製薬、三共製薬ではなく三原製薬とその社長の三原作太郎という仮名を使って描いていく。現在、三共製薬は合併の結果、第一三共という名称になっているが、本書が刊行された1971年はまだ三共製薬という名前だった。星新一は、名誉毀損にならないように仮名を使ったのだろう。
三原作太郎に相当する人物は、三共製薬創業者の塩原又策(1877〜1955)である。塩原は、高峰譲吉(1854〜1922)と懇意になり、高峰が発見した消化酵素のタカジアスターゼ(現在はアミラーゼという名称になっている)を事業化することで三共製薬発展のきっかけを作った。その後も、高峰の発見したアドレナリン、さらには鈴木梅太郎(1874〜1943)の発見したオリザニン(ビタミンB1)を事業化するなどの功績を残している。事業家としては、星一に匹敵する能力がある人だったといえるだろう。
違っていたのは、星は次々にアイデアを思いついては、高速の研究開発で事業化する技術指向のベンチャー経営者タイプだったのに対して、塩原は人間関係を軸に外部から事業の種を引っ張ってくるタイプの経営者だったことだ。タカジアスターゼもオリザニンも、塩原は海外からの輸入という形で事業化している。また、本書には、三原作太郎こと塩原又策が、官庁からの天下りを会社に迎え入れて、官庁街に人脈を張り巡らせていく様も描かれている。
星は後藤新平(1857〜1929)の後ろ盾を得ていたが、後藤の政敵である加藤高明(1860〜1926)も、星を後藤の財布とみて、星の敵に回った。本書には、加藤側の側近として政治家の安達謙蔵(1864〜1948)が本名で登場する。さらには加藤の妻は、三菱創業者の岩崎弥太郎(1835〜1885)の娘だった。つまり、この時点で、星は間接的に三菱財閥をも敵に回すことになったのだ。
そして1921年(大正10年)、阿片事件が起きる。星製薬が横浜税関に保管していた100トンもの生阿片が、国内法違反であると摘発された事件だ。第一次世界大戦後、阿片の価格は急落した。星一は、これをチャンスとみて阿片を大量に購入する。安価に原料を一括購入し、その後計画的にモルヒネへと精製していくことで利益をあげようとしたのである。その保管場所として彼が選んだのは横浜税関だった。阿片の国内持ち込みは法律で禁止されているが、税関が国内にあたるかどうかはグレーゾーンだった。星は、関係官庁に問題がないということを確認した上で、横浜税関に阿片を置いていた。
が、これが彼の敵からすれば絶好の攻撃目標となった。100トンもの阿片が持つスキャンダラスな印象は、星製薬に大きなダメージを与える。
……と、ここまで読み進んで、私は既視感を覚えた。この構図、見たことがあるぞ。
ライブドア事件だ。
堀江貴文氏率いるライブドアに、有価証券報告書に虚偽の内容を掲載したとの証券取引法違反の容疑で家宅捜索が入ったのは2006年1月のことだった。最終的に堀江氏は実刑判決が確定して収監され、ライブドアは買収と合併を経て会社としては消滅した(ライブドアブログなどのブランドとしては現在も存続している)。
私は、ロケット開発に関連して2004年に堀江氏の面識を得た。事件発生前、2004年から2005年にかけて何回かロケット仲間と共に面会している。その席で彼はロケットや宇宙の話題に専心し、事業の話をすることはなかったが――10年以上経っているのでもう書いてもいいだろう――1度だけ「我々は、みんなが先入観で固まっているところをひっくり返して新しいことをやっていく必要があるんですよ」と誰に言うでもなくつぶやいたのを覚えている。
株式の100分割や株の時間外取引など、この時期のライブドアは確かに社会システムを、当初想定していたのとは違うやりかたで使うという動きが目立っていた。
これは、星製薬の動きと似てはいないだろうか。厳しく阿片の取り引きを禁じている日本ではなく、阿片中毒患者が多数居住し、かつ総督が大きな権力を持っている台湾総督府への「原料の阿片を、モルヒネ含有量が多いが風味で劣るトルコ産に切り替えて、差分のモルヒネを医薬品として抽出する」という進言、あるいは法的にグレーゾーンだった横浜税関の倉庫に生阿片を保管する手法――共に「先入観で固まっているところをひっくり返す」行き方ではなかろうか。
先入観なしの新しいアイデアによる経営は、旧来のやり方からは“秩序の紊乱者(びんらんしゃ)”とされがちだ。
今でもライブドアを「カネだけの虚業だった」と思っている方がいるかも知れないが、実際にはライブドアは高い技術を持つソフトウェア技術者の集団だった。最終的にライブドアを買収したのは韓国のインターネット企業のNHN(現ネイバー)だった。まとめサービス「NAVER」で伸びた会社である。NHNの子会社となったライブドアは、現在はNHNジャパンと合併してラインという社名になっている。言わずと知れたSNSサービス「LINE」の運営主体だ。一世を風靡しているLINEは、ライブドアの技術力が基礎となって開発されたのである(もちろん、人の出入りの激しい業界なので、すべてがライブドア由来というわけではないが)。
星製薬とライブドアの事件は共に、すぐれた技術と、先入観を排した経営で伸びた会社を脅威と感じた旧来の業界が、政府を動かし、新興企業が抱えるグレーゾーンを突いて、徹底的に叩きのめしたという側面があるのではないだろうか。星一は、斬新な発想でショートショートの大家となった星新一の父だ。その発想力は本コラムの第24回[*2]でとりあげた『三十年後』を読んでも明らかであろう。そして、ライブドアは、フジテレビへの買収攻勢で、既存メディア業界にとっては明らかな脅威として認識されていた。
私には、ライブドア事件の法的側面を論じるだけの法律の知識はない。そして、財務を担当していた野口英昭氏の不自然なカッコ付きの“自殺”と、捜査を担当した沖縄県警の事件終結を急いだ奇妙な態度など、ライブドア事件にいまだ解明されていない闇があることも間違いないだろう。しかし、その後に起きたライブドアよりも遙かに規模の大きい粉飾決算事件――オリンパス、東芝など――で、誰一人として実刑判決を受けていないというのがどうにも腑に落ちない。
*2 https://www.shokabo.co.jp/column/matsu-24.html
1924年(大正13年)、加藤高明が内閣総理大臣に就任すると、星製薬と星一に対する圧力は一層強まる。台湾総督府からの粗製モルヒネ払い下げはなんの説明もなしに止まってしまった。銀行も星製薬への融資を渋り、星製薬は経営危機に陥った。
星のライバルたちは、台湾総督府の倉庫に山積みになった粗製モルヒネに群がり、加藤高明の憲政会にこぞって献金した。本書によると、その中心でもっともうまく立ち回ったのは三原製薬と三原作太郎、つまり三共製薬と塩原又策だった。阿片事件の裁判は二審、三審と続き、いずれも星は無罪を勝ち取る。が、失われた信用は戻ってこない。
この時期、星は新しい技術であった冷凍庫で事業を始めようとして、出資を集めていた。ところが政府はなんと全国の警察を動かして、潜在的な出資者へ「星への出資はまかりならん」と圧力をかける暴挙に出る。滅茶苦茶もいいところだ。結果、冷凍庫事業は空中分解する。
本書は、社債償還を目前に控えた1926年(大正15年)10月23日の星製薬株式総会における星一のあいさつで終わる。星一の最後の言葉が、本書のタイトル『人民は弱し 官吏は強し』だ。
新しい発想で動く“やんちゃ”な新興企業を、政府ぐるみで叩く社会はろくなものではない。星製薬の苦難から20年後、日本は太平洋戦争で焦土となり、敗戦を迎える。ライブドアを叩いた我々の社会は、この先どのような“敗戦”を迎えるのであろうか。ろくでもない社会にはろくでもない末路が待っているとしたら……。
【今回ご紹介した書籍】
『人民は弱し 官吏は強し』
星新一 著/254頁/定価572円(本体520円+税10%)/1978年7月刊行/
ISBN 978-4-10-109816-6/新潮社(新潮文庫)
http://www.shinchosha.co.jp/book/109816/
#電子書籍版もあり。
「松浦晋也の“読書ノート”」 Copyright(c) 松浦晋也,2017
Shokabo-News No. 335(2017-5)に掲載
【松浦晋也(まつうらしんや)さんのプロフィール】
ノンフィクション・ライター.1962年東京都出身.現在、日経ビジネスオンラインで「宇宙開発の新潮流(*1)」「介護生活敗戦記(*2)」を、「自動運転の論点」で「モビリティで変わる社会(*3)」を連載中。主著に『小惑星探査機「はやぶさ2」の挑戦』『はやぶさ2の真実』『飛べ!「はやぶさ」』『われらの有人宇宙船』『増補 スペースシャトルの落日』『恐るべき旅路』『のりもの進化論』などがある.
Twitterアカウント https://twitter.com/ShinyaMatsuura
*1 http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20101208/217467/
*2 http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/030300121/
*3 http://jidounten.jp/archives/author/shinya-matsuura
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