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【裳華房】 メールマガジン「Shokabo-News」連載コラム 
松浦晋也の“読書ノート”

禁無断転載 → 裳華房メールマガジン「Shokabo-News」


第32回 誰にでも親殺しになる可能性がある

NHKスペシャル取材班 著『母親に、死んで欲しい』(新潮社)

『母さん、ごめん。』カバー  私はこの8月、『母さん、ごめん。』(日経BP社)という著書を上梓した。およそ松浦の著書らしくないウェットな題名だが、副題は「50代独身男の介護奮闘記」。2014年7月から2017年1月までの2年半、認知症を発症した母を自宅で介護した記録である。これまで取材をして記事を書くことで生計を立ててきたが、自分の経験を書くことは初めて。大変ありがたいことに好評を得て、私の本としては過去にないほど売れております。

 母を介護する中で、私が何を考えてどのように行動したかは、実際に本を読んでもらうとして(はい、宣伝ですね)、介護経験の中から私は「認知症患者を含む老人の介護は、家庭のみに押しつけることができる仕事ではなく、社会的な事業として社会全体の問題として解決の枠組みを作っていかなくてはならない」という認識に到達した。
 「子供が年老いた親の面倒を見るのは当たり前」とか「家族の絆こそが問題解決の鍵」とか主張する人は、おそらく自分で直接介護をした経験がないのだろうと思う。やってみて分かったが、介護は、とてもではないが家庭のみで完遂できる仕事ではない。私は独身者だが、単に「独身だから介護できないのだ。結婚しないのが悪い」という問題でもない。たとえ子供の居る夫婦の家庭であっても老親介護の負担が加わると、家庭はきしみ、崩壊の危機に瀕することにもなりうる。介護の負荷により家庭が崩壊してしまえば、育児や教育、生計に至るまでの家庭が担ってきた社会的機能も崩壊する。つまり社会機能の少なからぬ部分が崩壊する。
 介護の問題を社会全体で、「介護する社会システムを構築する」という形で解決しないと、社会が崩壊するのである。

 それだけではない。無批判に「昔は家庭で老親を介護するのが当たり前だった」と、介護を家庭や個人に押しつけると何が起きるか――殺人が起きる。負担に耐えかねて、介護する者が介護される者を殺すのだ。それほどまでに介護によって心身両面にかかるストレスは大きい。「私は絶対にそんなことをしない」と断言できる人は、これまた実際の介護経験がない人であろう。
 もちろん、すべての子供が親を殺すわけではない。しかし、介護を家庭に押しつけることで、介護問題を抱える家庭を増やせば、母数が増えるので親殺しは増える。そして、すべての介護の責任を家庭に押し込むことで家庭内のストレスが増加すれば、それだけ耐えられない人も増えるので親殺しは増える。きびしいことを書くならば「子供が親の面倒をみるのは当たり前」「家族間の助け合いという美風で介護問題の解決を」と主張する人は、親殺しを教唆しているのにも等しいのである。

『母親に、死んで欲しい』カバー  「でも、そんなに簡単に介護のストレスで親を殺すなんてことがありうるのか」と思う方は、是非ともこの『母親に、死んで欲しい』を読んでもらいたい。2016年7月16日に放送された「NHKスペシャル 私は家族を殺した〜“介護殺人”当事者たちの告白〜」を基本に、取材意図や経緯などを加えた書き下ろしノンフィクションである。
 その内容は衝撃的だ。介護殺人をしてしまった当事者が、そのとき自分が何を考えて何をしたかを語っているのである。彼らはもともと異常な性格をしているわけではない。ごく普通の良識も愛情も備えた人たちだ。それがひとたび全面的な肉親の介護に巻き込まれると、精神的にも肉体的も余裕を失い、追い詰められ、ついには肉親を手にかけ、殺害してしまうのである。介護の関係も親と子だけではない、夫が妻を、妻が夫をという老老介護での殺人も紹介されている。

 本書冒頭のケースを紹介するなら――80歳過ぎの母親が転倒して骨折、入院中に認知症の症状が一気に進行してしまう。頻尿となり夜中に起きてはふすまを叩いて騒ぐ母。公的介護制度を利用するも追いつかず、同居の息子は倒れて救急搬送されるまで疲弊してしまう。そこで、成人以後は家を離れていた弟も家に戻り、息子2人で母の介護を行うことになる。が、弟が戻ってきて2か月後、その弟が母を殺害した。
 刑務所で服役中の弟もインタビューに応じた。久しぶりに家に戻り、変わり果てた母の姿にショックを受けたと語る。「私は母のことを、母の皮を被った化け物だと思っていました」(本書p.30)と。トイレで排泄に失敗し、大便まみれになった母を見た時、弟は殺害を決意したという。
 だが、弟は家を出て久しかった。それほどショックを受けたならば、殺すのではなく介護から逃げることもできたのではないか。なぜ逃げなかったのか。この疑問に対して弟は、絞り出すようにして答える。「家族…だから…です」

 このようなケースが、全部で11も掲載されている。読者は、感情をわしづかみにされてぐいぐいと揺さぶられるだろう。が、感情に流されるままに読んでしまっては、本書の真価を読み過ごすことになる。数多くのケースを精査することで、介護殺人に内在する傾向も見えてくるからだ。たとえば、介護の開始から数か月というような比較的短期間で殺害に至るケースが多い。長期にわたってじわじわと認知症の症状が進行するよりも、一気に悪化するほうが介護する者は強いストレスを感じるのだろう。また、認知症の症状の中でも性格の変化から、介護する者が受けるストレスが大きい、などなど。本書の価値は、ショッキングな内容にあるのではない。多数のケースを扱うことで、「介護殺人とはこういうものだ」という――言葉は悪いかもしれないが――相場観が見えてくるところにある。

 NHKは多くの取材記者と多額の取材コストを投入した物量戦的な取材を展開することが可能な巨大組織だ。その取材の方法論には問題もあるが、この「介護に起因する殺人」というテーマに対しては、NHKのやりかたが見事に功を奏している。過去の報道の中から、全国各地に散らばる介護が原因と思われる殺人を探し、裁判所や弁護士などを当たって実際の事件内容を確認、さらに罪を犯した当人にアクセスして、「その時の状況や心境を語ってくれる人」を探していく。「自分の犯してしまった罪を語る」――これはもっともつらく、追い詰められていた時期の自分を思い出すことだ。しかもNHKのカメラの前で語るということは、自分の罪を全国ネットで吐露するということである。当然、そこまでの決断ができる人は少ない。NHKは、取材の物量作戦で数多くの事例にあたり、「介護の実際を分かってもらえるなら」「誰にでも起こりうることと分かってほしい」と、カメラの前で語ることを決断できる人を見つけ出す。刑務所で服役中の人もいるし、執行猶予判決がでて、自宅で暮らす人もいる。「話せる人」を探すことで、取材班は「肉親を殺す」という行為の実際に迫っていく。

 本書を読めば「自分はそんなことをしないだろう」という自信には根拠がないことがはっきり分かるだろう。条件がそろえば、誰でも肉親を殺すかもしれないのだ。そして同時に、我々は「自分が殺される」ということも意識しなければいけないことに気がつく。誰でも老いて死ぬのだから、介護殺人は、殺す側と殺される側の両方から、いずれは自分にも起きうる「自分の問題」として考えねばならない。私たちは「自分が親を、配偶者を、殺してしまうかも知れない」と「自分が配偶者に、子供に殺されるかも知れない」という2つの想像力を持たねばならない。つらいことであるが、想像力を持つことで初めて、介護という巨大な社会問題に向き合うことができるのだから。


【今回ご紹介した書籍】 
母親に、死んで欲しい −介護殺人・当事者たちの告白−
  NHKスペシャル取材班 著/四六判/236頁/定価1430円(本体1300円+税10%)/
  2017年10月刊行/新潮社/ISBN 978-4-10-405608-8
  https://www.shinchosha.co.jp/book/405608/
  ※電子書籍版もあります。


「松浦晋也の“読書ノート”」 Copyright(c) 松浦晋也,2017
Shokabo-News No. 339(2017-11-1)に掲載 

松浦晋也(まつうらしんや)さんのプロフィール】 
ノンフィクション・ライター.1962年東京都出身.現在、日経ビジネスオンラインで「宇宙開発の新潮流(*1)」を、「自動運転の論点」で「モビリティで変わる社会(*2)」を連載中。近著に『母さん、ごめん。−50代独身男の介護奮闘記−』(日経BP社)がある.その他、『小惑星探査機「はやぶさ2」の挑戦』『はやぶさ2の真実』『飛べ!「はやぶさ」』『われらの有人宇宙船』『増補 スペースシャトルの落日』『恐るべき旅路』『のりもの進化論』など著書多数.
Twitterアカウント https://twitter.com/ShinyaMatsuura
*1 http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20101208/217467/
*2 http://jidounten.jp/archives/author/shinya-matsuura


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