第37回 消費税で日本は滅ぶ
トマ・ピケティ 著『21世紀の資本』(みすず書房)
私は機械工学科卒で物書きをしている、崩れ理工系というべき存在だ。その“崩れ”が、ここ数年、経済学に興味を持ってあれこれ読みあさっている。あれをしたいこれを作りたいと思っても、先立つ金はそう簡単に手に入らない。となると、経済学を知ってこの社会の金の回り方を理解しなくてはいけないだろう、と考えてのことだ。
が、崩れ理工系にとって、経済学はなかなかの難物だった。何を読んでも理解できた気分にすらならない。手がかりはどこにあるのか、と経済学における「保存量」を探したこともあった。物理学ならエネルギーや運動量のような保存量を手がかりに理解を深めることができる。四苦八苦したあげく「価値も貨幣も無から湧くので保存量ではない。保存量がないのが経済学の特徴である」と気が付くまで、かなりの時間がかかった。
そんな中で、一発で理解できたのが今回取り上げる『21世紀の資本』だった。発売されてすぐに世界的ベストセラーとなった経済書だ。
世間的には難しいということで、解説書がどっと出た本書だが、私が思うに、ちょっとの理工系センスがあれば、この本は楽に読み通すことができる。そして、ピケティの主張は大変恐ろしい。彼の思考をそのまま敷延していくと、消費税を増税しようとしている日本は、破滅へとつっぱしっていることになるからだ。それどころか、消費税に類する逆進性を持つ税を課している資本主義国家は、すべて破滅に向かっていることになるのである。
『21世紀の資本』でピケティが示すのは、“$r>g$”という簡単な不等式だ。
$r$ は資本の平均年間収益率。これは資本が資本を生む割合、もっと簡単に言えば投資により金が金を生む速度だ。
そして $g$ は経済成長率である。
このことは「金が金を生む収益は、労働の生む収益より大きい」とも言い換えられる。その意味は深刻だ。「資本主義においては金持ちは金を持つが故にどんどん富み、労働するしかない低所得層との格差がどんどん開いていく」ということだから。
ピケティの主張を「なんだ、また経済学者が勝手なことを言っている」と切り捨てることはできない。彼は18世紀以降の、古今東西様々な社会の莫大な統計を駆使して、$r>g$ が、資本主義における普遍的経験則であることを立証しているからである。分厚い本書のほとんどは、その立証過程の記述に費やされている。
つまり、本書の内容は「経済学者が勝手なことを主張している」わけではない。「過去の統計を精査し、整理し、現実の中から普遍的真理を見いだしている」のである。その手つきは自然科学的であって、むしろ理工系の教育を受けた人のほうが、本書を楽に最後まで読み通すことができると思う。
さらにピケティは、$r$ $\lt$ $g$ となり社会における経済格差が縮小したのはどんな時期かを探っていく。答えは戦争だ。戦争があると富裕層が溜め込んだ資産が破壊される。また、政府は戦争遂行のための資金を得るために厳しい累進税制を採用するので、富裕層の資産が政府に吸い上げられ、社会全体に循環する。制度はそう簡単に変えられないので、戦後しばらくは累進税制のもと、経済成長が続く。が、そのうちに富裕層の不満から累進制は緩められ、またも格差が拡大し始める。
経済格差が極端なまでに拡大した社会がとても悲惨なものになることを、私たちは知っている。多くの人が困窮のために消費に参加できない結果、経済成長ができず、国力が低いままとなるのだ。困窮する者の不満は社会不安を呼び寄せ、それを押さえつけるために政府は抑圧的な政策を採り、ますます社会不安を増大させる。すると今度は少数の金持ちが海外へと逃避し始める。
そんな事例は歴史上いくつもあるし、いま現在もそんな国は地球上に少なくない。
ピケティの分析によれば、資本主義国家ではそのままにしておくと格差は必然的に拡大する。格差を縮小するのは戦争だけだ。
しかし、戦争は人命を含む社会の富を破壊する。勝っても負けても、戦争をした国家は大きな傷を負うことになる。とするなら、悲惨な格差社会を避けるためには、戦争によらない格差の拡大を防ぐ方法を考えねばならない。
そこでピケティは、「資本税」というものを提案する。資本主義社会においては、資本が資本を生む速度が労働による富の創出速度より速いなら、その資本に課税して格差の拡大を防ごうというわけである。
21世紀のグローバル化した世襲資本主義を規制するには、20世紀の税制モデルと社会モデルを見直して現代社会に適合させるだけでは不充分だ。
(中略)
理想的なツールは資本に対する世界的な累進課税で、それを極めて高水準の国際金融の透明性と組み合わせねばならない。 (本書 p.539)
が、これはそう簡単なことではない。課税するためには社会にどれほどの資本があるかを国が把握していなくてはならない。しかし、その把握は大変難しい。とくにカネは、今やネットを通じて世界中を動き回っていて、その国の誰がどこにいかほど持っているかを把握するのは大変だ。それどころか「資本税を課税する」となったら、資本税のない国に富が逃げることも十分に考え得る。
それでもピケティは、解決策は資本税しかないと主張する。
むずかしいのはこの解決策、つまり累進資本税が、高度な国際協力と地域的な政治統合を必要とすることだ。(本書 p.603)
たしかにリスクはあるが、私にはまともな代替案が思いつかない。 (本書 p.603)
ピケティが本書で指摘した、$r>g$ の関係、そして経済格差と戦争ということを念頭において、日本の税制の歴史を考えてみよう。
まず所得税。日本の所得税は所得額が大きくなるほど税率が上がる累進課税を採用している。この制度が貧富格差拡大に対する一定の歯止めとなっている。
財務省の「個人所得課税の成立などの推移(イメージ図)」[※1]という資料を見てみよう。
※1 https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/income/033.pdf
1984年には15段階・最高税率75%だ。地方税と合わせた最高税率は88%である。そこから一気に所得税低減・累進性緩和が進行する。1987年には12段階・最高税率60%に、翌1988年には最高税率はそのままで段階が一気に6段階に半減。さらに、翌年の1989年には5段階・最高税率50%に、1999年には4段階・最高税率37%になる。その後若干の変化があって、2015年に7段階・最高税率45%となった。地方税最高税率もその間に下がり続けて10%となった。現行制度では、最高レベルの所得を申告すると、そのうち55%が税として徴収される。
実はこの図で、財務省は情報を隠している。1974年の段階では、所得税は19段階の累進制で最高税率は75%だったのだ。住民税の最高税率は18%で、合計の最高税率は93%。最高レベルの所得を申告すると、所得の93%が税として徴収されていた。
1970年代以降、日本の所得税は一貫して累進制を緩和し、貧富格差を拡大する方向で制度改正を行ってきたのである。
それでは相続税はどうか。所得税には、同時代における貧富格差を是正する機能があるのに対して、相続税には世代間の貧富格差を是正する役割がある。
所得税率の変化は財務省の「最近における相続税の税率構造の推移」[※2]という資料で知ることができる。
※2 https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/property/146.pdf
1988年には相続額5億円から最高税率70%が適用されてたものが、その後、1992年には最高税率はそのままで全体にグラフが下に下がり、1994年にはグラフの刻みが簡素化されている。さらに、2003年には比較的小さな相続にかかる税率はそのままで、高額の相続にかかる税率の刻みが簡素化され、なおかつ最高税率が一気に50%まで下がった。2013年には最高税率が55%に引き上げられるが、相続額6億円以上で新たな刻みを作る形で上がっているので、全体として相続税の累進制が緩和された状態は変わっていない。
ここで法人税はどうなっているかを調べてみる。法人税の推移に関する資料も財務省のWebページ「法人課税に関する基本的な資料」[※3]にある。
※3 https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/corporation/c01.htm
法人税は基本的に累進課税ではない。ただし、年商800万円以下とそれ以上で税率が異なる。年商800万円以上で税率を観ていくと、1981年以前は40%だったものが、1984年に43.3%まで微増する。その後、1987年からは段階的に引き下げられて1990年には37.5%となる。1998年から1999年にかけて再度税率が引き下げられて、一気に30%まで下がり、さらに2012年から再度の引き下げがあって、現在は23.4%となっている。つまり法人税は安くなっているのだ。
それでは、と、タイトルにも入れた消費税をみてみよう。
日本は1989年から消費税を導入した。消費税はすべての消費に対して等しい税率が課せられるので逆進性が強い。消費税率は3%から始まって、1997年に5%、2014年に8%と引き上げられた。
ピケティの分析と、日本の税制の推移とを重ね合わせると、恐るべき未来絵図が見えてくる。
税には、社会を政府の望む方向に形作る機能がある。1970年代以降、日本は一貫して社会の経済的格差を拡大する方向で、税制を変えてきているのだ。累進性の高い所得税や世代間の貧富格差を是正する相続税を引き下げ、資本が集積する法人にかける法人税の税率も下げ、その代わりに逆進性があり貧富格差を拡大する性質を持つ消費税を着実に引き上げているのである。
$r>g$ である以上、貧富格差は縮まらずに拡大する。それを逆進性を強めた税制が後押しする。先に見えてくる未来はひとつだ。極端なまでの貧富格差により、少数の金持ちと大多数の困窮者を抱える荒廃した社会である。加えて少子高齢化が進むのだから、この未来絵図は地獄絵図であるといっても過言ではないだろう。
日本は、税制を変えることにより地獄を自らのもとに引き寄せているのである。
今、我々の政府は、消費税を2019年10月から8%から10%へ引き上げようとしている。政府の借金が一千兆円を超える一方で、少子高齢化による社会保障・医療費の増大が進むから、だから景気動向に税収が左右されにくい消費税は上げねばならない、というロジックである。その先には消費税を20%に、という声も出ている。
が、その一方で、ピケティの指摘する通り、資本主義社会ではほっといても格差は増大する。そのような社会形態を採用しつつも、所得税・相続税の累進制を緩め、法人税を引き下げている現状は、政府は日本を極端な格差社会にしたいという意志を持つとしか受け取ることができない。
はっきり書こう。私は消費税は廃止し、累進課税を強めることが、日本経済を活発化させるほぼ唯一の手段だと考える。
消費税を引き下げる、ではない。廃止だ。
なにしろかつての厳しい累進税制下で日本は高度経済成長を成し遂げ、一億総中流と呼ばれた格差の少ない社会を構築したのだ。そして、1970年代以降の累進制を緩める税制改革と歩を一にして、日本経済は退潮局面に陥っていった。ここは、税制改革はすべて大失敗であったと認めるところから、もう一度始めるしかないのではなかろうか。
その上で、ピケティの言う資本税を導入するべきだ。
「資本税などということをしたら、大企業や金持ちから海外に逃げていく」と主張する人もいるが、実のところ国境を超えるのはそう簡単なことではない。そしてまた、ピケティも資本税についてはまずは0.1%というようなごく低率で開始し、徴税によって社会の中に資本がどれだけ存在するかの基礎データを積み上げるべきとしている。
『21世紀の資本』が示しているのは、格差の小さい、住みやすい・生きやすい資本主義社会を永続的に回していく方法論なのである。
なお、今年6月、マレーシアは6%かけていた消費税を廃止した。その後、政府は財源に苦慮しているものの、同国のGDPは7〜9月四半期で4.4%増加と一気に急伸した。
【今回ご紹介した書籍】
『21世紀の資本』
トトマ・ピケティ 著、山形浩生・守岡桜・森本正史 訳/A5判/728頁/
定価6050円(本体5500円+税10%)/2014年12月発行/みすず書房/ISBN 978-4-622-07876-0
https://www.msz.co.jp/book/detail/07876.html
「松浦晋也の“読書ノート”」 Copyright(c) 松浦晋也,2018
Shokabo-News No. 349(2018-11)に掲載
【松浦晋也(まつうらしんや)さんのプロフィール】
ノンフィクション・ライター.1962年東京都出身.現在、日経ビジネスオンラインで「宇宙開発の新潮流(*1)」を、「自動運転の論点」で「モビリティで変わる社会(*2)」を連載中。近著に『母さん、ごめん。−50代独身男の介護奮闘記−』(日経BP社)がある.その他、『小惑星探査機「はやぶさ2」の挑戦』『はやぶさ2の真実』『飛べ!「はやぶさ」』『われらの有人宇宙船』『増補 スペースシャトルの落日』『恐るべき旅路』『のりもの進化論』など著書多数.
Twitterアカウント https://twitter.com/ShinyaMatsuura
*1 http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20101208/217467/
*2 http://jidounten.jp/archives/author/shinya-matsuura
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