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【裳華房】 メールマガジン「Shokabo-News」連載コラム 
松浦晋也の“読書ノート”

禁無断転載 → 裳華房メールマガジン「Shokabo-News」


第39回 戦争に翻弄された交響曲と、その初演

ひの まどか 著『戦火のシンフォニー −レニングラード封鎖345日目の真実−』(新潮社)

『戦火のシンフォニー』カバー

 最初に訂正とお詫びを。バイク小説を取り上げた第36回で、私は現代のバイク小説の特徴は、登場人物とバイクという乗り物との間にのっぴきならない結びつきがないことだ、と書いた。
  https://www.shokabo.co.jp/column/matsu-36.html
 が、取り上げた小説『スーパーカブ』(トネ・コーケン著、角川書店)の3巻を再読していて、きちんとそのことが書いてあったことに気が付いた。3巻のラストで、大学推薦入学が決まった主人公の小熊は、バイク不可の寮への入寮を拒否して、自分で下宿を探すことを選ぶ。小熊は教師に向かって宣言する。「カブはお金を払えば誰にでも買える。私のカブもいい値段をつけてくれれば、いつでもお売りしますよ。でも私はそのお金で、きっと新しいカブを買う」。これは、自分とバイクとののっぴきならない関わりの宣言ではないか。そして、この3巻は以下の文言で締めくくられるのである。

 スーパーカブは小熊の誇り。

 あまりに大きな見落としを、私はしていたようだ。申し訳ありませんでした。

 さて、今回の読書のテーマは「音楽と戦争」だ。
 音楽と戦争には切っても切れない関係がある。人心を統一し、士気を鼓舞するためである。古代より現代に至るまで、洋の東西を問わず軍隊には軍楽隊がつきものだ。が、今回取り上げるのは、そういった実用品としての音楽ではない。テーマとなるのは、ドミトリ・ショスタコーヴィチ(1906〜1975)の交響曲第7番「レニングラード」と、第二次世界大戦において酸鼻を極める激戦地となった都市レニングラード(現サンクトペテルブルク)の関係である。

 バルト海にネヴァ川が流れ込むデルタ地帯は、古来より交易の要所として栄えてきた。18世紀、スウェーデンとロシアとの間の小競り合いで荒れていたこの地に、ロシアのピョートル大帝(1672〜1725)が、本格的な都市を造営する。街はキリスト教の聖人ペテロにちなみ「聖ペテロの街(サンクトペテルブルク)」と命名されたが、ピョートルは、ペテロのロシア語読みであり、事実上この名は「ピョートル大帝の街」を意味した。
 1917年のロシア革命によりソビエト連邦が建国され、街の名前は「レーニンの街」、レニングラードと変わる。そして1941年6月、ナチスドイツの対ソ宣戦布告とともにドイツ軍が侵攻してきた。9月、レニングラードはドイツ軍に包囲される。以来1944年1月までの約900日、同地は悲惨を極める包囲戦を戦うことになる。物資の流入が絶たれたことにより食糧は枯渇し、厳冬の期間中も暖房に使う燃料はない。ドイツの攻撃による戦死者のみならず多数の餓死者、凍死者が発生し、市内では餓死者の肉を食う人肉食が横行した。それでも、冬期に凍結したラドガ湖を経由して物資補給を受け、レニングラードは陥落することなく耐え抜いた──。

 ドミトリ・ショスタコーヴィチは、1906年に帝政時代のサンクトペテルブルクに生まれ、育った生粋の土地っ子である。ドイツ軍の侵攻が始まった時、彼はレニングラード音楽院の作曲科教授であった。独ソ戦が始まった夏、彼はレニングラードに捧げる交響曲を書き始める。世界的作曲家であった彼は、包囲開始直後に政府命令で、当時モスクワの首都機能が移転していたクイビシェフに空路で疎開させられ、そこで全曲が完成した。全4楽章、演奏時間80分近い堂々たる大作である。
 初演は1942年3月5日に、クイビシェフでサムイル・サモスード指揮、ボリショイ劇場管弦楽団により行われた。ソ連政府は、この壮大な交響曲を戦意高揚と連合国の連帯誇示に利用する。楽譜はマイクロフィルム化され、連合国各国へと渡った。アメリカでは、1942年7月19日、トスカニーニの指揮、NBC交響楽団によって初演が行われた。アメリカはその演奏を、全世界にラジオ中継した。
 そしてこの曲は、包囲下のレニングラードでも演奏された。レニングラード初演は1942年8月9日。カール・エリアスベルクが指揮するレニングラード・ラジオ・シンフォニーが行った。

 本書は、このレニングラード初演を担当した指揮者エリアスベルクとレニングラード・ラジオ・シンフォニー、そして彼らに活躍の舞台を提供したレニングラードラジオ局の活動を追ったノンフィクションだ。著者は、ヴァイオリニストであると同時に、クラシックに関する著書をもつ作家でもある。現在、サンクトペテルブルクには、このレニングラード初演だけをテーマとした博物館「ショスタコーヴィチ記念第235中学校内民間博物館」があり、関連資料を収集、展示している。この博物館が集めた資料と、現地の関係者・研究者へのインタビューに基づき、著者は1942年8月9日に戦火のただなかで行われた交響曲の演奏を描いていく。
 レニングラード・ラジオ・シンフォニーは、(当時の)新しいメディアであるラジオで音楽を演奏するために1931年にラジオ局内に組織されたオーケストラだった。「人民に質の高い音楽芸術を提供する」のがラジオ・シンフォニーの使命だった。
 しかし、開戦とともに、その役割は変質する。愛国心を鼓舞する番組に、勇壮な音楽を提供するのがラジオ・シンフォニーの仕事となった。団員も塹壕掘りや軍事教練などに動員されるようになり、演奏機会は減っていく。電力不足により、ラジオ放送もほとんどの時間が、ただ無意味なカチ、カチと鳴るメトロノームの音のみとなった。辛うじて、レニングラードが戦い続けていることを世界にアピールするための放送のみが継続する。1941年12月31日、飢えと寒さの中でエリアスベルクの指揮でチャイコフスキーの交響曲5番を演奏し、放送したのを最後に、ラジオ・シンフォニーは活動を停止した。
 1942年に入ると、状況はますます悪化する。寒さと飢えで死亡する楽団員も出るようになった。エリアスベルク夫妻もまた、餓死寸前にまで追い詰められる。
 この地獄のような状況は、厳冬期に入りラドガ湖の凍結で氷上を通る物資補給ルートが確保できたことで改善し始める。ラジオ局にも電力が供給されるようになる。が、放送番組をつくることができる人材はいない。わずかな宣伝放送の他は、無意味で気が滅入るようなメトロノームの音が流れる時間だけが増えていく。
 その状況に、レニングラード市の共産党第一書記であり最高指導者だったアンドレイ・ジダーノフが癇癪を破裂させた。彼はラジオ局に電話を入れて怒鳴った。「何でこんな陰気な雰囲気を作っている! 何か音楽をやらんか!」。最高指導者がそういうなら、従わねばならない。

 ここからのラジオ・シンフォニー復活と、その立役者となった芸術監督ヤーシャ・バーブシキンの活躍は、是非とも本書を読んでほしい。彼は、ショスタコーヴィチがレニングラード市に捧げると言っていた交響曲が完成し、初演されたことを知り、なんとしても包囲下のレニングラードで演奏しようと動き出す。しかし、やっと届いた楽譜を見てバーブシキンは頭を抱える。ショスタコーヴィチの交響曲7番は、別働隊を含む大編成のオーケストラで演奏する作品だった。戦闘と飢餓と寒さで、メンバーを失い、生き残った者も痛手を被ったラジオ・シンフォニーには、大編成のオケを組む余力がなかったのである。バーブシキンと体力を取り戻したエリアスベルクは、徴兵された音楽家を、前線から戻してくれるよう軍と掛け合う。
 演奏者たちも大変だった。本番までに、練習不足で鈍りきった楽器の腕前を取り戻さなくてはならない。7月25日から始まった練習で、エリアスベルクは徹底的にオケメンバーをしごいた。軍も協力し、演奏当日にドイツ軍が強襲をかけてこないように、事前に大規模な砲撃をかける作戦を立案、実行した。
 そうして、1942年8月9日。ショスタコーヴィチの交響曲7番「レニングラード」のレニングラード初演が行われた。
 聴いた者が口々に「素晴らしい演奏だった」と証言しているのだが、この演奏の録音は残っていない。ラジオ局は演奏のラジオ放送が精一杯で、録音をする余裕がなかったのだ。この劇的かつ歴史的な演奏は、その時聴いた者の心にのみ残る、幻の演奏となった。

 そして、物事は「めでたしめでたし」では終わらない。戦況の好転とともに、スターリンが戦前に作り上げた密告と粛正の日々が戻ってくる。

(松浦注:レニングラードの)封鎖が解ける直前、ラジオ委員会の芸術監督バーブシキンは「人民の敵」という理由で秘密警察に逮捕され、最前線ナルヴァに送られたその日に戦死した。死の直前、彼は友人のフリドレンドルに手紙を送っていた。 「僕は、我々の国の悲惨な年の歴史に、自分の仕事の成果が少しでも入っていることを誇りに思う」
   (本書「エピローグ──しかし、ミューズは黙らなかった」より)

 本書は、交響曲7番のレニングラード初演に焦点を絞っており、それは一冊の本としては成功している。が、ぐっと視点を引いて、ショスタコーヴィチ、ソ連という国、音楽芸術と政治──といった枠組みで捉え直すと、この交響曲には感動だけではすまない様々な問題が絡みついていることが見えてくる。
 ショスタコーヴィチは、1936年に共産党の機関紙プラウダで批判されたことがあった。スターリンの大粛正が進行する中、それは彼の生命の危機を意味した。彼は翌年初演した交響曲5番が絶賛されたことで名誉を回復したが、その後は音楽作品の中に様々な形で屈折した暗喩を込めるようになった。その研究はショスタコーヴィチの死後、そしてソ連崩壊後にかなり進み、現在では彼が単なるソ連の社会主義リアリズムを代表する作曲家ではなく、したたかかつ用心深く政治と渡り合い、自分の表現欲求を押し通したことが分かってきている。本書でも、ショスタコーヴィチがレニングラード初演に対して妙に素っ気なく、よそよそしい電報を送ってきたことが書かれている。
 交響曲7番には、単にファシズムと戦うレニングラード市民と共産党への賛美というだけではない側面が込められている。当時、レニングラード市民はナチスと戦うだけではなく、スターリンの弾圧をも耐えしのいでいたのだ。第1楽章の通称「戦争の主題」の、妙にお気楽で軽い曲調、その中に込められたレハールのオペレッタ「メリー・ウィドウ」からの引用(公使ダニロが酒場の女たちについて「彼女らは祖国を忘れさせてくれる」と歌うメロディが引用されている)──。
 加えて、ショスタコーヴィチは恋多き男であり、折々の浮気やら横恋慕やらの象徴も曲に書き込んでいるという説もあって、このあたりは彼のファンにとっては推理合戦の楽しい泥沼というべき状況である。

 それはさておき──2007年11月から12月にかけて、指揮者の井上道義氏が日比谷公会堂でショスタコーヴィチの15曲ある交響曲の全曲演奏を行った。交響曲7番は、2007年11月10日になんとサンクトペテルブルク交響楽団により演奏された。
 私はこの演奏を聴いて、「そうか!」と得心した。
 第4楽章はちょっと聞くと派手に鳴って、敵であるファシストに対する勝利を表現しているように思えるのだが、実はこの楽章、主に三つに別れていて、真ん中にかなり長いゆっくりした沈鬱な部分が挿入される。その上で、最後に第1楽章冒頭の雄大なメロディ、通称「レニングラード市民のテーマ」が戻って来て、全曲を締めくくる。
 この日、実演を聴いて初めて気が付いたのだが、ラストのレニングラード市民のテーマは、オーケストラ本体ではなく、舞台両脇の袖に控えたトランペット、トロンボーン、ホルンの別働隊が左右ユニゾンで演奏する。
 それで理解した。この第4楽章はラストの盛り上がりが戦争の勝利ではないのだ。三部分のうち最初の部分で戦争の勝利は終わっていて、中間の沈鬱な部分は「たとえ勝ってもスターリンの圧政は残り、レニングラード市民の苦悩は終わらない」という意味なのだ。その上でオケの別働隊が、ラストでレニングラード市民のテーマを演奏するということは、「ファシストへの勝利」ではなく「それでも苦難に耐えているレニングラード市民がんばれ」という応援歌なのではなかろうか。つまり、音楽的焦点は中央(のオーケストラ)ではなく、はずれたところにある別働隊の楽器群(疎外され、抑圧されたレニングラードの人々)にあるのだ。

 ……まあ、これは一介のショスタコマニアである私の勝手な解釈である。

 この連続演奏会は、井上道義氏が演奏会の最初や途中で曲を解説するというなかなか楽しいものだった。何回目だったかは忘れたが、氏はこんなことを話した。
 「知っていますか。昭和20年、米軍の爆撃機が爆弾が落としてくる中、この日比谷公会堂では、3日に1回もの割合でコンサートを開催しているんですよ」。
 音楽をあきらめなかったバーブシキンとエリアスベルク、レニングラード・ラジオ・シンフォニーの人々。「音楽をやれ」と癇癪を起こしたジダーノフ、そして空襲下の東京でも途切れることがなかった日比谷公会堂のコンサート──まこと人は、音楽なしでは生きられないのである。


【今回ご紹介した書籍】 
戦火のシンフォニー −レニングラード封鎖345日目の真実−
  ひの まどか 著/四六判変形/287頁/定価1980円(本体1800円+税10%)/2014年3月発行/
  新潮社/ISBN 978-4-10-335451-2
  https://www.shinchosha.co.jp/ebook/E017671/
  ※上記URLは電子書籍版。

「松浦晋也の“読書ノート”」 Copyright(c) 松浦晋也,2019
Shokabo-News No. 352(2019-4)に掲載 

松浦晋也(まつうらしんや)さんのプロフィール】 
ノンフィクション・ライター.1962年東京都出身.現在、日経ビジネスオンラインで「宇宙開発の新潮流(*1)」を連載中。近著に『母さん、ごめん。−50代独身男の介護奮闘記−』(日経BP社)がある.その他、『小惑星探査機「はやぶさ2」の挑戦』『はやぶさ2の真実』『飛べ!「はやぶさ」』『われらの有人宇宙船』『増補 スペースシャトルの落日』『恐るべき旅路』『のりもの進化論』など著書多数.
Twitterアカウント https://twitter.com/ShinyaMatsuura
*1 http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20101208/217467/


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