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【裳華房】 メールマガジン「Shokabo-News」連載コラム 
松浦晋也の“読書ノート”

禁無断転載 → 裳華房メールマガジン「Shokabo-News」


第48回 社会は自然の中にある

 『国道16号線 −「日本」を創った道−』(柳瀬博一 著、新潮社)
 『「色のふしぎ」と不思議な社会 −2020年代の「色覚」原論−』(川端裕人 著、筑摩書房)

 今回は、私の知己2人がそれぞれに刺激的な本を上梓したのでその2冊を。

『国道16号線』カバー  『国道16号線』は、神奈川県横須賀市からぐるりと東京を囲むようにして千葉県木更津市に至る長大な環状国道の16号線を主題とした博物誌といった趣のある本だ。
 国道16号線は、東京湾の海上区間を含む総延長348.4kmという長大さ、あるいはそこにまつわる文化的エピソードの豊富さから、これまでも様々な研究が行われ、「16号線もの」というべき多数の本が出版されてきた。私は本書をそれら「16号線もの」の決定版……ではなく、「総集編」と位置付ける。過去の16号線ものでは取り上げられなかった新たな視点が加わっているからだ。その視点とは地質学である。この視点を得たことで、本書はただの総集編ではなく、新たな知識の遠近法の中に16号線を位置付けている。
 著者の柳瀬氏は、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。……という現職よりも私には「日経ビジネス誌記者の柳瀬さん」というかつての職で認識されている。目から鼻に抜ける明晰な記事を書くビジネス誌記者だった。大学に転職し、以前からの執念であった国道16号線に関する興味と知識を本書で一気に爆発させている。
 これまで16号線は、いくつかに分割した上で分析を受けてきた。例えば──東京都八王子市から横浜に至る部分は「絹の道」と呼ばれ、明治以降、内陸の養蚕業が生産する絹を横浜から輸出するのに使われて栄えた。同時にこの道は、相模原市の旧日本陸軍相模陸軍造兵廠と軍港としての横浜を結ぶ軍事道路でもあった。敗戦後、陸軍相模陸軍造兵廠は相模総合補給廠となり、ベトナム戦争時は戦地に向かう、あるいは補給廠で修理を受ける米軍の兵器が行き来した。米軍が使ったことから、この道は戦後のアメリカ文化流入ルートにもなった。その象徴が八王子の呉服店の娘で、後にミリオンヒットを連発することになるユーミンこと松任谷由実だ──というように。

 が、柳瀬氏はそのような部分的な分析を受け入れつつも、300km超の長大国道を一気にひとつの視野に収めようとする。その観点の基礎が、地形だ。長大でバラエティに富む風景を見せる国道16号線沿いは、実は一つの地形で共通している。小さな水系が台地の端に作る谷と湿地──小流域だ。
 著者は、国道16号線が通る地域が小流域の連続であることを示す。そして、小流域は比較的少人数でも開拓可能で、しかも食糧と水に不自由しないということを指摘する。つまり巨大な組織や中央集権的権力でなくても開拓できるのだ。縄文以降の遺跡の分布からは、これら小流域に早くから人が住み着いていたことが分かる。
 逆だったのだ。国道16号線が最初にあったのではなく、少人数で回せる生産性に富む小流域という地形がつながって存在していたからこそ、そこを結んで道ができたのだ。
 では、なぜ小流域が連続する地形が関東平野に存在するのか。ここで著者は、地球物理学のプレートテクトニクスに踏み込む。関東平野付近では、オホーツクプレート、アムールプレート、フィリピン海プレート、太平洋プレートという、四つのプレートがぶつかる地球上で唯一の場所だ。このプレートの複雑な衝突が、隆起と沈降を起こし、そこに海進・海退の浸食が加わる。その結果、台地の端に多数の小水系があって小流域を形成する、関東の地形ができあがった。
 複雑なプレートの衝突が形成した地形の上に国道16号線が成立するという、なんとも壮大なビジョンである。
 この基本認識の上に、歴史・経済・文化など様々な人間社会の要素が重ねられていく。明治以降の軍の基地の分布、ニュータウンの造成状況、家康以前の江戸の繁栄、米軍の持ち込んだ音楽と日本のポップミュージックの隆盛、黒澤明「用心棒」が示す絹の道の経済効果、クレヨンしんちゃん一家が春日部に家を構えた理由──その手つきは、小松左京著『日本沈没』の中で、異変の実態を調べるために多種多様なデータを重ねていった田所博士を思わせる。浮かび上がってくるのは、プレートテクトニクスを起点とした、「地球に生かされている我々」の姿だ。

『「色のふしぎ」と不思議な社会』カバー  ポップなスピード感で駆け抜ける『国道16号線』に対して『「色のふしぎ」と不思議な社会』はずっと重い。読後、バスケットボールのような重いボールを思いきり投げつけられたような気分になる。
 テーマは人間の色覚の多様性──と書いて、すぐに理解できる人は少ないだろう。色覚異常と説明しても分からないかも知れない。かつて「色弱」「色盲」と言った現象だといって、はじめて「ああ、小学校でオレンジや緑の小さな円が集まった図形を見せられて検査を受けたあれね」と理解する人が多いのではないかと思う。日本眼科学会は2005年に用語改定を行い、差別につながりかねない「色弱」「色盲」という言葉を廃止した。現在は、見え方に応じて「1色覚」「2色覚」というような呼び方をしている。
 著者は言うまでもなく、科学技術と社会の狭間を行く小説を次々に発表する作家であり、同時にサイエンスライターでもある。自身も子どもの頃に「色盲」と診断されたことがある当事者だ。
 「オレンジや緑の小さな円が集まった図形を見せられる検査」は考案者の名前をとって石原色覚検査という。21世紀に入って小学校では、差別につながるとして石原色覚検査を行わなくなった。が、最近になって「自らの色覚の問題を自覚することなく就職時期を迎えるのはまずい」と検査の再開を求める声が眼科医から上がっている。
 この主張に社会的差別の復活を危惧する著者は、今現在、人間の色覚はどこまで医学と科学で解明されているのかという取材を始める。

 21世紀に入ってからの遺伝子工学の進歩で、色覚の研究は長足の進歩を遂げた。その結果分かってきたのは、かつての「色盲」「色弱」は、人間の色覚のごく一部しか観察していなかった、という事実である。
 我々の眼は、3種類の波長の光に反応する3種類のタンパク質をもち、このタンパク質の反応が神経の信号ととなり、脳内で処理されることで色覚が生まれる。このほか明暗にのみ反応するタンパク質があり、合計4種類のタンパク質が視覚の基本となる。
 実は魚類、鳥類、爬虫類の眼は5種類のタンパク質を使っている。ところが、哺乳類はこれが3種類に減ってしまっている。色覚に乏しいのだ。初期の哺乳類は夜行性だったので、色覚よりも暗視を優先してタンパク質を絞り込んで進化したと推測されている。
 では、人間を含む霊長類はというと、進化の過程で1度3種類に減ったタンパク質の中から変異体のタンパク質を作って、色覚を再度拡張している。森の中で緑の葉っぱの中から、食べ物となる色鮮やかな果実を見分けるように進化したのではないかという。が、霊長類の行動観察と遺伝子分析を付き合わせることから、必ずしも色覚が豊かだから食物採取に有利になるとは限らないことも分かってきた。
 ここに霊長類、そして人類の色覚に多様性が発生する余地が生じる。

 最新の生物学と医学が示す色覚の実際は、驚くべきものだ。かつて「色盲・色弱は人口の5%程度で男性が多い」とされてきた。ところが実際には、人口の4割程度が何らかの「色覚の違い」をもっているのだ。遺伝子の違いや変異によって、違いには様々な程度差がある。つまり「色盲」「色弱」は、異常でななく、人類という種があたりまえに抱える多様性のスペクトルだったのである。最近になって、自閉症は病気ではなく、通常の人も多かれ少なかれ抱えている多様性のスペクトルだということが分かってきたが、色覚でも同じ“コペルニクス的転回”が起きていたのだ。
 欧米ではこの考えに基づいて、航空機パイロット候補者の色覚を調べる検査が大規模に実用化されている。著者がそれを受けると、ほんの少し緑と赤の識別が劣る程度ということが分かった。かつての石原式検査は色覚の変異を検出できても、どの程度の変異かまでは判定できなかったのだった。「自分は色盲だ」という自覚が人生に落とした影を思い、著者は複雑な気分になる。
 著者は最終章で、このような色覚の多様性をどうやって社会が受け止めていくべきなのかを考察していく。俎上に上るのは、今もなお「色弱」「色盲」という言葉に振りまわされる日本社会の後進性である。
 科学は新たな知見に基づく新たな認識を提示している。かつてのように「色盲・色弱は異常だ」として、一部の職業には就けないというような差別を再度行うべきではない。むしろ色覚の多様性の存在を前提として、社会制度のほうを組み替えていくべきだ。「人の色覚にはけっこうなばらつきがある」ということから出発して、どんな色覚の持ち主でもハンデを感じることなく、当たり前に自分の人生を過ごすことができる社会を作っていく必要があるのだ。

 『国道16号線』が、プレートテクトニクスという「我々の身体の外にある自然」から、我々の社会のあり方を考察していくのに対して、『「色のふしぎ」と不思議な社会』は色覚という「我々の身体の裡にある自然」を通じて社会の抱える問題点を指摘する。この2冊は、我々の社会が、人間社会の内側の事情のみで成立しているのではなく、自然の用意した舞台の上という、限定された環境下でのみ成立している、という事実を指摘する。
 何千万年分もの地殻変動の上に国道16号線と、16号線にまつわる人の営みが成立し、数億年にも渡る生命の進化が育んできた生態の視覚機能のありようが「色覚の多様性を社会の中でどう扱うか」という形で、人間社会に影響する。ともに指摘する問題は、自然科学と人文科学との接点・境界面にある。その結果、両書は「人類社会が自然を支配し、包摂しているのではない。自然が作り出した限られた舞台の内側でのみ、人類社会は存続を許されている」という、当たり前の、しかし日頃社会の内側で生活を営み、人と人との関係の中で暮らしていると、なかなか意識しにくい事実を、ずばりと目の前に提示する。
 2冊まとめて一気に通読することをお勧めする。

 ところで──2020年11月27日現在、日本は新型コロナ肺炎パンデミックの第三波の中にある。感染者は指数関数的な顕著な増加を示しており、一部では医療が追いつかなくなる医療崩壊が起きる可能性が危惧されている。
 5月末には第一波をなんとか押さえ込んだのに、なぜ今こんな状態に陥っているのか。
 どうも、今回取り上げた2冊の指摘するところ──人類社会が自然を包摂しているのではなく、自然が人類社会の存続を許しているのだ──という認識が関係しているように思える。
 第一波の押さえ込みに力があったのは、北海道大学(現京都大学)の西浦博教授に代表されるパンデミック研究の専門家たちだった。彼らはウイルス、すなわち自然の性質を探り、それに社会を対応させることで第一波を押さえ込んだ。
 が、その後、政治が表に出て来た。政治は「パンデミックに対応していたら経済が回らない」とばかりに、経済を回す方向で政策を打ち出した。
 その結果がこの第三波ではなかろうか。
 ウイルスはウイルスの論理で動く。人間になんの斟酌もしてくれない。しかし、日本の政治はウイルスが、政敵や国民と同じように自分らに対して斟酌なり忖度なりをしてくれると勘違いしてしまったのではなかろうか。人の都合でウイルスを動かすことができると思い込んでしまったのではなかろうか。
 そうではないのだ。繰り返しておこう。人類社会が自然を包摂しているのではなく、自然が人類社会の存続を許しているのだ。人の都合でウイルスは動かない。人間がウイルスに対応していくしかないのである。

 私の危惧が正しいかどうかは、年末には判明するだろう。阿鼻叫喚の巷と化していないことを切に祈る。


【今回ご紹介した書籍】 

『国道16号線 −「日本」を創った道−』
 柳瀬博一 著/新潮社/四六判変型/230頁/定価1595円(本体1450円+税10%)/
 2020年11月/ISBN 978-4-10-353771-7
 https://www.shinchosha.co.jp/book/353771/

『「色のふしぎ」と不思議な社会 −2020年代の「色覚」原論−』
 川端裕人 著/筑摩書房/四六判/360頁/定価2090円(本体1900円+税10%)/
 2020年10月/ISBN 978-4-480-86091-0
 https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480860910/

「松浦晋也の“読書ノート”」 Copyright(c) 松浦晋也,2020
Shokabo-News No. 366(2020-11)に掲載 

松浦晋也(まつうらしんや)さんのプロフィール】 
ノンフィクション・ライター.1962年東京都出身.現在、日経ビジネスオンラ イン「Viwes」「テクノトレンド」などに不定期出稿中。近著に『母さん、ごめん。−50代独身男の介護奮闘記−』(日経BP社)がある.その他、『小惑星探査機「はやぶさ2」の挑戦』『はやぶさ2の真実』『飛べ!「はやぶさ」』『われらの有人宇宙船』『増補 スペースシャトルの落日』『恐るべき旅路』『のりもの進化論』など著書多数.
Twitterアカウント https://twitter.com/ShinyaMatsuura


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