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【裳華房】 メールマガジン「Shokabo-News」連載コラム 
松浦晋也の“読書ノート”

禁無断転載 → 裳華房メールマガジン「Shokabo-News」


第57回 阿片周辺の物事と人々

  『特務機関長 許斐氏利』(牧 久 著、ウェッジ)

 前回からの2か月で、日本の政治の様相は大きく変化してしまった。7月10日の参議院選挙を控えた7月8日、安倍晋三元首相が選挙応援演説で訪れた奈良市で暗殺された。逮捕された犯人がカルトの旧統一教会に生活を破壊された経歴をもち、「カルトと結んだ安倍元首相を殺そうと思った」と供述したことから、自由民主党と旧統一教会との関係が一気にクローズアップされた。安倍政権第二期のあたりから安倍元首相は旧統一教会との関係を深め、選挙に利用していたのである。その影響は暗殺から2か月近く経った今も続き、岸田政権を揺さぶっている。
 この暗殺に私は大きなショックを受けた。というのも、参議院選挙に当たって「いったいなぜ自民党はかくも変質してしまったのか」と考え続けていたのである。気が付けば私は小学生の頃、三角大福の1970年代初頭から自民党をウォッチングしているのだが、往時の自民党は「人権というものがあるのがおかしい」というようなことを公言する議員を在籍させておくような政党ではなかったのである。何かが影響して自民党の変質が進行している。が、一体何の影響なのか──。
 それに気が付いたのが、まさに7月8日早朝の起き抜けだったのだ。Twitterに書き込んだので証拠が残っている。

次々出てくる自民や維新の議員・候補の失言・不祥事の内容を分析するうちに「カルトが政治に決定的影響を与えている可能性」に気が付き、震えている。とするならこれらの党への投票は文字通り「私を殺してもいいですよ」になってしまう。陰謀論になってはいけないと、考えないようにしていたのだが……
  午前6:05 ・ 2022年7月8日
  https://twitter.com/ShinyaMatsuura/status/1545152161302032384

 その6時間後に安倍氏暗殺が発生し、自民党が旧統一教会とずぶずぶの関係にある証拠が次々に出て来たのだ。たまげるなんてものではない。天地がひっくり返るとはまさにこのことだ。
 ……いや、単に私が鈍かっただけだった。ニュースを掘り返し、様々な雑誌やニュースサイトのバックナンバーを探っていけば、第二次安倍政権発足当初から、鈴木エイト氏をはじめとした何人ものジャーナリストが、政権と旧統一教会との癒着を報じていたのである。私がそれに気が付いていないだけだった。
 今後、自民党に限らずすべての野党も含めて、日本の政治は脱カルトを真剣に実行しなければならないだろう。法的措置も含む対策を実行して、政治とカルトをはっきり切り離し、その上でカルトを社会から除去する必要がある。
 さもなくば日本の未来はない、といっても過言ではない。カルトは国民を蝕む存在であり、そのカルトを「組織票として便利」と政治が利用することは、政治が自ら国を破壊するということを意味する。政治権力が国を破壊し始めれば、もう手が付けられない。国は滅ぶのみである。私はこの日本という国で人生を全うするつもりなので、そうなっては大変困る。

 と、書評に不似合いな書き出しをしたのは、このところ続けている阿片を巡る読書の登場人物である岸信介(1896〜1987)が、殺害された安倍元首相の祖父であるからだ。それどころか、首相在任当時に旧統一教会を政治に引き込んだのが、岸その人であった。安倍晋三元首相が利用していた旧統一教会とのコネクションは、岸信介、安倍晋太郎(1924〜1991)、安倍晋三(1954〜2022)と世襲政治家三代に渡って維持されてきたのだ。
 このように考えると、第二次世界大戦の敗戦後から現在に至る80年近い日本の政治状況に、岸信介という人が及ぼした影響は非常に大きい。そして岸の政治への第一歩は、満洲で縁を得た東條英機への接近であり、その時に武器になったのが、里見甫経由で手に入れた阿片ビジネスの裏金だったのである。

 さて今回のテーマ。戦前日本と阿片をテーマに読書を進めていくと、何人か「あまり知られていないが、この人は阿片関係のキーパーソンらしい」という人物の名前に当たることがある。
 例えば、阪田誠盛(さかた・しげもり:1900〜1975)。南満州鉄道(満鉄)から関東軍参謀本部に転じ、昭和8年(1933年)に関東軍が行った熱河作戦(阿片の産地である熱河省を中華民国から切り取り、満洲国に組み入れた)では、阪田組という組織を作り熱河省からの阿片輸送を請け負った。その他、松機関という陸軍特務機関を仕切って偽札による経済攪乱などの謀略工作をいろいろと実施したようである。敗戦後の昭和24年(1949年)には香港からアメリカ産のペニシリン、ストレプトマイシンなどの医薬品を海烈号という輸送船で大量に密輸しようとして、逮捕されている。
 あるいは藤田勇(ふじた・いさむ:1887〜没年不詳)。「阿片王」里見甫と同じく新聞記者出身で、1919年には東京毎日新聞社長に就任している。その一方で政界の黒幕的な活動もしていて、どうにも得体が知れない。昭和12年(1937年)に、里見が上海に赴いて宏済善堂を設立して陸軍のための阿片密売を始める以前から、上海における阿片流通に関与していたらしい。
 大正から昭和前期にかけての中国大陸における阿片の闇取引を巡る人士は、今も有名人として名前が残る岸信介、里見甫、甘粕正彦、児玉誉士夫などだけではなく、あまり表に出てこない人がかなり関わっていたようなのである。

『特務機関長 許斐氏利』カバー  そこらへんの名前の出ない人のことをまとめた本はないか、と探して行き当たったのが、今回取り上げる『特務機関長 許斐氏利』である。
 本書が描く許斐氏利(このみ・うじとし:1911〜1980)という人もまた、阪田や藤田のように、戦前日本の闇の部分を駆け抜けるようにして生き、戦後は実業家となるも、これまた21世紀の今の視点からは分かり難い人生行路をたどった。著者の牧久(まき・ひさし:1941〜)は、日本経済新聞社の記者を経て同社副社長、テレビ大阪会長などを務めた後にノンフィクション作家に転身。他に『不屈の春雷 −十河信二とその時代− 上・下』(ウェッジ)、『昭和解体 −国鉄分割・民営化30年目の真実−』(講談社)などの著書を持つ。

 本書は1975年、陥落間近いサイゴンで日経の特派員を務めている著者のところに、本書の主人公である許斐氏利の息子、許斐氏連(このみ・うじつら)氏が訪ねてくるところから始まる。
 著者は氏連氏と親しくなり、その父に興味をもつ。
「詰めたらしく何本か指がない」
「日本にトルコ風呂(今で言うソープランド)を持ち込んだ張本人」
「射撃の達人」
「若い頃は陸軍の特務機関で暴れ回った」
などなど、尋常ならざる話が聞こえてきたからだ。ところが許斐氏利のことは容易に分からない。それからずいぶんと時間が経った2009年、著者のところに氏連氏から連絡が入る。
「父が死んで30年になります。父は若い頃に中国大陸やベトナムでしたことをほとんど話してくれませんでした。父のことを調べてくれませんか」。こうして著者の調査が始まった。
 調査は難航するが、意外なところで糸口が見つかる。昭和20年代、許斐氏利は福岡の地方紙「夕刊フクニチ」に自分のことを話し、それが連載記事になっていたのである。地方紙の連載を手がかりにして、許斐氏利の人生が見えてくる──。
 許斐氏利は、1911年に博多の金融業者の家に生まれる。が、許斐(このみ)という特異な姓で分かるように、その家系は尋常なものではない。福岡県宗像市にある宗像大社を司る血統、かつ戦国大名の宗像氏の重臣という武門の家柄だ。許斐は大柄な体格で運動神経は良く、博多の隻流館という道場の門弟となって武術の腕を磨いた。隻流館で教えていたのは双水執流という武術。スポーツ化した今の武道ではない。柔術と居合いを組み合わせた古武術である。命のやり取りを前提とした実戦的な格闘技と言ってよい。
 1932年、許斐氏利は明治大学に入学。ここで彼は右翼学生と交わり、行動右翼として活動し始めるのである。

 ここから後の許斐の人生行路はあまりに多彩、かつ様々な人物が絡むので、「頼むから本書を読んでくれ」と言うしかない。明治から昭和初期にかけての実業家で、同時に政友会のパトロンとして政界の黒幕でもあった辻嘉六(1877〜1948)、「五・一五事件」や「二・二六事件」の前触れと言われるクーデター未遂事件「三月事件」「十月事件」(共に1931年)を起こした陸軍軍人の橋本欣五郎(1890〜1957)、「アジアは一丸となって欧米の植民地支配に対抗すべし」とする大アジア主義の理論的支柱の大川周明(1886〜1957)、日本ファシズムのこれまた理論的中心人物の北一輝(1883〜1937)、尾張徳川家の家督を継いだ華族でありながら、橋本欣五郎など行動右翼に資金を提供し続けた徳川義親(1886〜1976)、戦後首相となる政治家の鳩山一郎(1883〜1959)、さらには前出の藤田勇、そしてなによりも許斐氏利が心服し、兄とも親とも慕った陸軍参謀の長勇(1895〜1945)──。
 戦争へと傾斜し、テロが頻発する時代の中、体格がよく武術を使う許斐氏利は、行動右翼の実働を担い、頭角を現していく。三国同盟に反対する吉田茂(1878〜1967)を脅迫し、二・二六事件では北一輝のボディガードを務め、やがて関東軍勤務となった長勇にスカウトされて特務工作員として中国大陸に渡る。壇一雄の小説『夕日と拳銃』(角川文庫ほか)で有名になった“満洲馬賊”伊達順之助(1892〜1948)から射撃を習い、持ち前の運動神経で達人の領域にまで到達する。
 1937年、長の指示で上海に向かった許斐は、同年7月の日華事変勃発と共に、上海に特務機関の許斐機関を組織し、そのトップとして蒋介石の国民党政府の諜報機関と文字通り血で血を洗うような抗争に突入する。さらに許斐は、上海派遣軍の参謀を勤める長勇に付き従って、南京に入城している。そう、南京虐殺の起きたその時その場所に、長と共に許斐はいたのだ。

 本書は第7章「日本陸軍の阿片工作」で、まるまる一章を割いて、主に上海における里見甫による阿片密売活動を分析している。主な情報源は、第54回に取り上げた佐野眞一『阿片王 −満洲の夜と霧−』でも参照している、東京裁判における里見の証言記録だ。が、著者の牧氏は佐野氏よりもかなり精緻に里見証言を読み込んで、阿片に伴うカネの流れを追跡している。アメリカは許斐が阿片で蓄財したのではないかと疑っていた。著者は、許斐氏利が阿片で儲けたという説には否定的だ。が、阿片密売で得た資金で活動し、同時に許斐機関の仕事で阿片を活用したのは間違いないとする。
 むしろ興味深いのは、里見の証言から浮かび上がってくるより大きな構図だ。阿片密売どころではなく、台湾、朝鮮半島、中国大陸からインドネシアやベトナム、フィリピンに至るまでの阿片流通に対する日本の役所たる興亜院の積極的な関与である。
 興亜院は1937年(昭和12年)に、対中国業務を一括して行う役所として設立された。が、設立には外務省が強硬に反対し、設立を後押ししたのが陸軍というところから分かるように、実態としては陸軍が中国大陸でのフリーハンドを得るために東京からサポートする役所という色彩が濃かった。
 その興亜院が中国大陸の満洲国及び日本軍占領地域での阿片の流通に積極的に関与したということは、まず阿片密売が単に満洲国のみならず、日本全体、つまり大東亜共栄圏全体にとっての利権と化していて、そこに日本政府が全面的に関与していたことを意味する。前回前々回で、満洲国が阿片でずぶずぶだった様子をみたが、興亜院の関与をみるに、大日本帝国全体が阿片でずぶずぶだったのである。
 あるいは、興亜院の設立には関東軍の出先が好き勝手に使っていた阿片密売の裏金を、東京の参謀本部が取り上げて一括管理するという意味があったのかも知れない。
 実は興亜院では、戦後日本政治においてキーパーソンとなる者が何人か働い ていた。その一人が後に首相を務める大平正芳(1910〜1980)である。興亜院時代の大平は、阿片行政に関与していたことが判明している。戦後の日本政界と阿片の裏金をつなぐルートとして、あるいは岸の他にこの大平の人脈というのがあり得るのかも知れない。

 1945年6月、3か月に及んだ沖縄の地上戦は米軍の勝利で終結する。沖縄の陸軍32軍参謀長を務めていた長勇は、摩文仁の壕で32軍の牛島満司令官と共に自決した。この時、許斐氏利はなんとしても沖縄に赴き、長と共に死のうとする。が、搭乗した飛行機が墜落し、その願いは果たすことができなかった。長の死を知った日、許斐は自らの左手の小指を切り落とした。
 許斐は、敗戦後、さらに左手薬指をも自分で切り落としている。これは、行動右翼からの引退、残りの人生を実業家として生きていくという覚悟の意味だった。そうして彼が始めたのが、銀座の一等地にキャバレーやバーを併設する巨大な社交場としての銭湯を作り、運営するという仕事だった。東京温泉である。ここでのサービスの一つとして、彼が上海で体験したトルコ風呂を持ち込んだことから、許斐は「日本にトルコ風呂を持ち込んだ男」ということになった。
 実際問題として、トルコのマッサージ付きの風呂は、筋骨隆々たる男性マッサージャーが力一杯ごりごりとマッサージするものだ。これが上海に来て、蒸し風呂の後に女性がマッサージを行うものに変化したらしい。それを許斐が日本に持ち込んだ。この時点では性的サービスを伴う現在のソープランドのようなものではない。東京温泉の「トルコ風呂」に追従した日本の性風俗業者が、現在のソープランドに相当する営業形態を考案したものと思われる。
 後に許斐は、北欧起源のサウナも日本に持ち込んだ。つまり現在、日本のあちこちにサウナがあり、我々が「整ったー」とか言ってサウナを楽しんでいるのは、元をたどれば許斐氏利と東京温泉から始まるのである。
 その一方で、戦後の許斐氏利は、趣味でクレー射撃を始め、なんと1956年のメルボルン・オリンピックに選手として参加している。伊達順之助に習い、上海で国民党諜報機関と命のやり取りをした銃の腕前だから、それはもう超絶的なテクニックを持っていたのだろうとしか言いようがない。後に日本クレー射撃協会の会長も務めている。さらには、子ども時代に通った隻流館を盛り立てて社団法人化し、初代理事長に就任した。
 他方で、“大柄で押しが利き、左手の指が二本ない不気味な人物”として、様々なもめ事の仲裁、フィクサーめいた仕事、あるいは総会屋めいたことも行っていた。1978年に、東京温泉社長を引退、2年後の1980年に胃がんのため68歳で死去。

 いやもう、実在したことが信じられないような規格外の人物である。彼の情念の濃さは、正直私の理解の外にあるが、同時にその情念は、どうも日本人の情念の根本から発しているようにも思える。はっきりとヤクザに近く、時には区別が難しいほど接近するが、身過ぎ世過ぎの稼業としてのヤクザでもない。むしろ素朴な正義感と暴力とが結合した“任侠”と呼ぶべきものだろう。長と許斐は、お互いを清水の次郎長とその一の子分の大政に喩えていたという。
 その任侠が、早稲田大学の図書館で独学した北一輝や、東京帝国大学印度哲学科出身で7か国語8か国語に通暁し、後にはコーランを翻訳した超秀才である大川周明と、「アジア」という概念で共鳴する。なぜなら、そこに「アジアを植民地として搾取する欧米」という共通の敵があったからだ。
 横暴なる欧米をアジアから追い出すには暴力の行使が必須だ。
 北や大川には、理念の実現に暴力のエキスパートが必要だった。逆に長勇や許斐氏利のような武人に憧れ、自らを正義の位置に置きたい任侠感覚の者は、北や大川から「自らの正義を保障し、暴力の行使を正当化する理論的基盤」を得る。
 が、そこには「アジアの長としての日本」という傲慢が隠れていた。八紘一宇とは諸国家を一つの家・家族とするという理念だが、背後には家長は日本であるという前提が存在する。
 結局、大東亜共栄圏で起きたのは家長たる日本による家庭内暴力だった。長に象徴される日本陸軍は、家族であるはずの中国の人民に阿片を売って謀略の資金を得ることに、少なくともその時は何の呵責も感じていなかったのである。

 最後に──東京温泉は、東京駅八重洲口地下でも「東京温泉ステーションプラザ 東京クーア」という銭湯を経営していた。私にとっては「ああっ、あそこはそうなのか!」という施設である。サラリーマン時代、残業が続いてどうにもこうにも疲れが溜まった時に、よく通ったのだ。東京クーアでは時折、全身に派手な刺青を入れた、そちら方面の関係者らしき人を見かけた。通常、そういう人は自分のシマの浴場からは出てこないものだが、と不思議に思っていたのだが、この本を読んで納得した。「経営者がこういう人ならば、それはあるだろう」と。

【今回ご紹介した書籍】 

『特務機関長 許斐氏利 −風淅瀝として流水寒し−
牧久 著/四六判上製/420頁/定価1980円(税込み)/2010年10月刊/
ウェッジ/ISBN 978-4-86310-075-6
https://wedge.ismedia.jp/ud/books/isbn/978-4-86310-075-6

「松浦晋也の“読書ノート”」 Copyright(c) 松浦晋也,2022
Shokabo-News No. 379(2022-8)に掲載 

松浦晋也(まつうらしんや)さんのプロフィール】 
ノンフィクション・ライター。1962年東京都出身。現在、日経ビジネスオンライン「Viwes」「テクノトレンド」などに不定期出稿中。近著に『母さん、ごめん。2──50代独身男の介護奮闘記 グループホーム編』(日経BP社、2022年6月刊)がある。その他、『小惑星探査機「はやぶさ2」の挑戦』『はやぶさ2の真実』『飛べ!「はやぶさ」』『われらの有人宇宙船』『増補 スペースシャトルの落日』『恐るべき旅路』『のりもの進化論』など著書多数。
Twitterアカウント https://twitter.com/ShinyaMatsuura


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