第58回 さようなら、鹿野司さん
『オールザットウルトラ科学』(鹿野司 著、ビジネスアスキー、1990年刊)
『サはサイエンスのサ』(鹿野司 著、早川書房、2010年刊)
『教養』(小松左京・高千穂遙・鹿野司 著、徳間書店、2000年刊)
「歳を取ると避けられないのは友人の死である」と書いていたのは星新一『祖父・小金井良精の記』だったか──2022年10月17日、サイエンス・ライターの鹿野司さんが長年の闘病の末に亡くなられた。享年63歳。
この連載は「松浦晋也の“読書ノート”」「鹿野司の“読書ノート”」という対で構成されているが、その一方を担っていた鹿野司さんだ。鹿野さんの担当分は2016年6月で休載となっていた。
鹿野さんとはじめて会ったのは1999年の秋、宇宙作家クラブ設立の準備会合の時だ。だが、それよりもずっと前に私は鹿野司という人物を知っていた。マンガを通じて知っていた。とり・みき『クルクルくりん』(1983〜1984、少年チャンピオン連載)というマンガに、「鹿野司クン」というキャラクターが出演していたからだ。背が低く、くりくりとしたつぶらな瞳をしていて、にも関わらずなにかというとバズーカをぶっ放す、エキセントリックなキャラクターだった。
同じ頃にアスキーが、パソコン雑誌『ログイン』を立ち上げ、そこで鹿野さんの「オールザットウルトラ科学」という連載が始まった。これにより、私は鹿野司が実在の人物であることを知った。とり・みきさんが、身辺の友人たちをモデルにキャラクターを造形して、自作に出演させていたのである。
私は長い間、キャラクターの鹿野司クンと実在のサイエンスライター鹿野司は同一だと思っていた。なので、初対面では大変驚いた。本物は中肉中背、体中にがっちりと筋肉を付けた精悍な人だったからだ。GIカットっぽく刈り上げた髪が似合っていた。
とり・みきさんが、自身のブログにアップした鹿野さんの追悼記事※で、「タミさんは野菊のような人だ」という自作の一コマを掲載している。伊藤左千夫『野菊の墓』と映画『ターミネーター』を引っかけたギャグだが、このターミネーターのモデルが鹿野さんだった。初対面の鹿野さんは、「くりん」の鹿野クンよりも、ずっとターミネーターに似ていた。ただ、その瞳に宿る純真とも天真爛漫とも受け取れる輝きは、「鹿野クン」と「鹿野さん」に共通していた。
※https://www.torimiki.com/l/%e9%b9%bf%e9%87%8e%e5%8f%b8%e3%81%95%e3%82%93/
気が付くと自分は、この「筋肉のがっちりとついた鹿野さん」にずいぶんと影響されている。鹿野さんは当時最新の折り畳み自転車、ドイツ製の「BD-1」に乗っていた。また、まだ珍しかったリカンベント(安楽椅子に座ったような仰向けに近い姿勢で乗る自転車。通常の自転車に比べて空気抵抗が小さいという利点を持つ)も保有し、がんがん乗り回していた。アメリカ製のBikeE(バイキー)という車種である。
鹿野さんにこの2つを試乗させてもらった自分は、BD-1を買い、さらにBD-1をリカンベントにコンバートするキットを見つけ出してきて「BD-1のリカンベント」を作った。そこから20年以上も続く自分のリカンベント人生が始まったのである。
しかし、鹿野さんは単に「面白いものを教えてくれる面白い先輩」ではなかった。やがて自分は、鹿野さんの人格の核にある、より固く、抜き差しならぬ理念と向き合うことになった。
鹿野さんの仕事は、科学エッセイと映像作品への科学考証・SF考証の2分野にわたっている。一般へはむしろ映像作品での貢献で知られているかも知れない。『鉄腕バーディDECODE』(2008〜2009)、『宇宙戦艦ヤマト2199』(2013)、『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』(2015〜2018)など。
科学エッセイはなによりも、8ビットから16ビット時代のパソコンキッズに多大な影響を与えた「オールザットウルトラ科学」であり、30年以上に渡る長期連載となった『SFマガジン』誌(早川書房)の「サはサイエンスのサ」であろう。
鹿野科学エッセイは「難しい話を易しく書く」という科学解説の基本に忠実であり、同時に「読者と同じ高さの視線を保ち」、さらには「誰もが想像していなかったような、新たな視点を提示する」という希有のものだった。とり・みきさんが追悼文に記した評価で、すべては尽きているという気がする。以下引用。
彼は自然科学やテクノロジー方面はもちろん、社会学や政治的な判断においても私のもっとも信頼する知識人だった。右にも左にも体制にも反体制にも与せず、是々非々で論理的・科学的に物事を判断、評価、批判した。
SNSには、一見、相対的・俯瞰的・論理的な態度をとっているように見せながら、その実、理不尽な権力に利するような言動に堕している、もしくは堕していることに自分で気づいていない輩が一定数いるが、彼はそうした連中とは一線を画していた。いや対極にあったといってもいい。
その意見表明や教示の仕方は、けして無知を馬鹿にしたり対立を煽るような攻撃的なものではなく、常に冷静で、しかし冷たくなく、やさしかった。現在のSNSや世界を蔽う空気とは正反対のものだ。
(鹿野司君のこと、2022年10月23日より)
https://www.torimiki.com/l/%e9%b9%bf%e9%87%8e%e5%8f%b8%e3%81%95%e3%82%93/
では、なぜ鹿野さんは、そのような態度で一貫し、科学エッセイを書き続けることができたのか。
鹿野さんとかなり激しくネット上の議論をしたことがある。2007年5月から6月にかけてのことだ。場所はmixiに書いていた日記のコメント欄。話題は経済成長著しい中国がこれからどうなっていくのか、だった。翌年に北京オリンピックを控えていた時期である。
私は中国共産党の政策に強権的な雰囲気を感じ取り、かなりの危惧を抱いていた。数多の王朝が展開した帝国としての中国の歴史は理不尽と残虐行為の連続だ。共産党中国もまた、その伝統に従ってしまうのではないか──。
それに対して鹿野さんは、一貫して楽観的だった。そんなことはない。中国は良い方向に向かう──その根拠としたのが、ゲーム理論のフォーク定理だった。無限回の繰り返しを前提とした「囚人のジレンマ」ゲームでは、プレーヤーが相互に協力し合うのが最適解となる、という定理だ。協力し合うことが利益を最大にするのならば、人は協力し合うようになる。大丈夫、きっと中国も内と外の両方で協力していくようになるよ──。
それに対して私は、フォーク定理は無限回の試行が前提であることを指摘した。現実では同じシチュエーションが繰り返すことはない。その意味では施行は常に一回限り、どんなに楽観的に見積もっても有限回であり、しかも人生やら国家やらの重大事における意思決定は有限の中でもかなり小さく、例えば数回程度でしかない。フォーク定理を楽観の根拠にはできないのではないか。
それに対して鹿野さんは「これはウィキペディアを見たのかな?」とチクリと一言入れて(白状しよう。図星であった)、「フォーク定理の無限回とは、数学的無限回の試行ということではなくて、いつが最終回か誰にもわからない状態だ」と指摘した。「つまり人生そのもの」ということだ。だから最終的にはフォーク定理の示すところに落ちつくよ──。
私は納得しなかった。そのためには、ゲームの参加者が「いつが最終回か誰も分からない」と意識している必要がある。現実はそうではない。歴史上の数多の悲劇は、「これを最終解決とする。これですべてを終わらせる」という意識から起きているではないか。フォーク定理のような普遍の科学から語るのでなく、中国ならば中国という土地の特性や中国人が培ってきたメンタリティというような個別の部分から考えていくべきではないか──。
これがきっかけになって、私は自分の内側に刻み込まれている「個別の中国」を見直すことになった。1986年に1か月ばかり中国を放浪旅行した経緯をmixi日記に連載し、後に同人出版の風虎通信さんで『中国1986』という同人誌にまとめたのだが、それはまた別の話だ。
あぁ、この時のログを鹿野さんに提示して、「今はどう考えていますか」と聞くことができたら、どんなによかったろう。が、それはもう叶わない望みである。ともかくこの時、私は鹿野さんの核にある極めて強固な信念に触れたのだ。それは「一般・普遍から考えていくなら、世界は、社会は必ず良い方向に向かう」ということだ。一般・普遍とは、人間関係や人間社会を超えた、科学に他ならない。
その確信があるからこそ、鹿野さんは科学を、「無知を馬鹿にしたり対立を煽るような攻撃的なものではなく、常に冷静で、しかし冷たくなく、やさし」く語ったのだろう。なぜなら普遍の知識たる科学が一般の人々に浸透するほど、世界は良くなっていくからだ。
しかし、なぜそのような確信を持つことができたのか──。これについて、SF作家の小川一水さんが、鹿野さんの訃報を聞いて興味深いエピソードをTwitterに投稿していた。
宇宙作家クラブで旅行したとき、鹿野さんは科学の良い面も悪い面もいろいろ見ているのに、どうしてそんなに前向き(希望的、明るい等と訊いたかな)なんですかと伺ったら、それはそうしようと決めたからだよ、とおっしゃっていたな。 小川一水 @ogawaissui
https://twitter.com/ogawaissui/status/1585361418597302272
「一般・普遍から考えていくなら、世界は、社会は必ず良い方向に向かう」は「自分がそうしようと決めた」ことだったのだ。それならば、なぜそう決めたのか、決めることができたのか。
『教養』は、SFの大先達である小松左京さんに、同じくSF作家の高千穂遙さんがインタビューし、その内容を鹿野さんが補足しながらまとめたという本だ。前書きによると、小松さんが抱える膨大な教養を引き出して文字化することを目指して高千穂さんが企画し、小松さんに話を持ち込み、鹿野さんにまとめを依頼した、という本だ。
実際、小松左京という人が宿していた膨大な知識が次々に開陳される面白い本なのだが、この本のラストで、鹿野さんは次のように語っている。
鹿野 今回の鼎談で、すごくよくわかったことがありますよ。それは小松さんの前向きさには、根拠がないということです。これこれの理由があるから前向きになれるなんていう根拠薄弱なものじゃなくて、それが思索の原点なんですよ。人間には、どんな困難も乗り越えられる力がある。そのことに対して、強い信頼感があって、だから、あれもダメこれもダメと、ぐだぐだ自己憐憫に浸るな、やる気になったらいくらでもうまい手があるといいきれる。ようするに、『夏への扉』ですよ。(同書 p.206)
これは鹿野さんにも言えることではないか。鹿野さんは小松さんに言寄せて、自分を語っているのではないか。
「一般・普遍から考えていくなら、世界は、社会は必ず良い方向に向かう」は、それが自分の原点であるとして、自分で決めたことだった。根拠なんかない。それを原点として、そこから歩みだそうと自分が決意したことだったのだ。
この決意を『夏への扉』だ、と譬えていることに注目しよう。ロバート・A・ハインラインの『夏への扉』(早川書房)は、友人に裏切られ、冷凍睡眠で未来へと飛ばされてしまった主人公が、タイムマシンを使って過去に戻り、人生をやりなおして幸福をつかみ取る、というSF小説だ。
鹿野さんのTwitterアカウントにある自己紹介には、次のように書いてある。
サイエンスライターです。が、自分ではフィクション部分を限りなく小さくしたSFをやっているつもり。
https://twitter.com/sikano_tu
鹿野さんは「一般・普遍から考えていくなら、世界は、社会は必ず良い方向に向かう」と「自分でこうだと決めた」のだった。決めるにあたっては、SFという小説ジャンルが深く影響したことは間違いない。むしろ鹿野さんは、それを「SFを現実にする」、あるいは「現実にSFを適用する」と認識していたのかも知れない。
SFに触れたからこそ得た確信に基づき、科学を語る──確信に根拠はない。ただ、SFを知りSFを読んで、感じるがままに自分でそう決めた。
別の言い方をするなら、自分の本然のままに、社会を良くする方向へと、鹿野さんは科学を語り続けたのである。
その精華たる「オールザットウルトラ科学」も「サはサイエンスのサ」も、共に長期連載だったこともあって、単行本になったのはごく一部でしかない。鹿野さんの示した洞察力は、その一部しか受容されていないのだ。なんとか、その全てを誰もがすぐに読めるようにしたいところなのだが……。
がっちりと筋肉の付いた体格だった鹿野さんだが、身体には慢性の病気を抱えていた。筋肉はむしろその病気を遠ざけるための対策だった。が、体質だったのだろう。病気は容赦なく鹿野さんの身体を蝕んだ。「どんなにきちんと摂生して運動しても、悪くなっちゃうんだよね」という嘆きを、何人もの友人が聞いている。
2016年の秋、「リカンベントを引き取ってくれないか」と鹿野さんから打診を受けた。「もうオレ、体が悪くなっちゃって乗れないから」。
そうしてやってきたBikeEが今、私の手元にある。これが形見になってしまった。
葬儀では参加者みんなで、「鉄腕アトム」を歌った。ほんの少しだけ歌詞を変えて。
こころやさし、かがくのこ、てつわんシカノ……どうにも泣けて困ったのだった。
【今回ご紹介した書籍】
●『オールザットウルトラ科学』
鹿野司 著/四六判/206頁/定価1200円(税込み)/1990年7月刊/
ビジネスアスキー/ISBN 9784893660725
※編集部追記※
読者の方からご連絡をいただきました。「マンガ図書館Z」にてPDF版が購入できます。
https://www.mangaz.com/book/detail/48251
また、米田裕氏による雑誌連載時のイラストの全てをまとめた『オールザットウルトラ科学まんが』も購入できます。
https://www.mangaz.com/book/detail/48241
●『サはサイエンスのサ』
鹿野司 著/四六判/270頁/定価1650円(税込み)/2010年1月刊/
早川書房/ISBN 9784152091048
https://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/113175.html
●『教養』
小松左京・高千穂遙・鹿野司 著/四六判/238頁/定価1600円(税込み)/
2000年11月刊/徳間書店/ISBN 9784198612665
※編集部追記※
『教養』はPOD形式による「小松左京全集」第47巻に収録され、デジタル・エスタンプ株式会社より販売されています(ISBN 978-4-910078-47-2)。
https://digitalestampe.com/index.php?dispatch=products.view&product_id=885
「松浦晋也の“読書ノート”」 Copyright(c) 松浦晋也,2022
Shokabo-News No. 381(2022-11)に掲載
【松浦晋也(まつうらしんや)さんのプロフィール】
ノンフィクション・ライター。1962年東京都出身。現在、日経ビジネスオンライン「Viwes」「テクノトレンド」などに不定期出稿中。近著に『母さん、ごめん。2──50代独身男の介護奮闘記 グループホーム編』(日経BP社、2022年6月刊)がある。その他、『小惑星探査機「はやぶさ2」の挑戦』『はやぶさ2の真実』『飛べ!「はやぶさ」』『われらの有人宇宙船』『増補 スペースシャトルの落日』『恐るべき旅路』『のりもの進化論』など著書多数。
Twitterアカウント https://twitter.com/ShinyaMatsuura
※「松浦晋也の“読書ノート”」は、裳華房のメールマガジン「Shokabo-News」にて隔月に連載しています。Webサイトにはメールマガジン配信後になるべく早い時期に掲載する予定です。是非メールマガジンにご登録ください。
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