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【裳華房】 メールマガジン「Shokabo-News」連載コラム 
松浦晋也の“読書ノート”

禁無断転載 → 裳華房メールマガジン「Shokabo-News」  記載されている価格は原則として原稿執筆当時のままです。


第71回 NHKで70年以上も行われた芸術的実験とその最後

『NHKの電子音楽』(川崎弘二 著、フィルムアート社)

 この連載では過去に数回、電子楽器や電子音楽に関する本やCDを取り上げている。
 私の興味は、電子楽器や電子音楽は科学技術と芸術との接点だというところにある。近代の光学や色彩の理論が、19世紀に印象派という一群の画家たちとその作品を生んだように、電子楽器と電子音楽によって、20世紀の音楽はそれ以前とは決定的に変化した。
 科学技術と音楽の関わりのなかで一番わかりやすいのは、音楽ビジネス面での変化だ。録音という形で音の保存が可能になり、ラジオという不特定多数に音楽を低コストで届けるメディアが登場し、さらには音の電気的増幅が可能になったことで、少人数の音楽家が、従来とは比較にならないほど大規模な大衆に向けて音楽を届けることが可能になった。
 これにより、音楽は「当たれば滅茶苦茶儲かるビジネス」になった。ビジネスになったことで音楽著作権という概念が明確になり、その周辺で、録音されたデータに対する原盤権のような付随する権利も社会制度として確立していく。かくして世界を覆うような巨大音楽産業が立ち上がり、その結果として世界中の人々を魅了できるようなポピュラー・ミュージックが発達した。

 それとは別に、芸術音楽の分野では、科学技術は、電子楽器・電子音楽という形で、従来の楽器ではできない新しい表現を科学技術で可能にする新しい手法として登場し、ポピュラー・ミュージックとは異なる形で展開した。その一部は、シンセサイザー音楽やノイズミュージックという形でポピュラー音楽にも影響を及ぼしたし、またポピュラー音楽の側も芸術音楽へと影響した。
 単純なフレーズを繰り返しつつ変化させていくことで、聞く者を陶酔の中に巻き込むミニマル・ミュージックは、おそらくそのルーツはアフリカの音楽にある。が、はっきりと意識してミニマル・ミュージックを始めたのはスティーブ・ライヒ(1936〜)のような芸術音楽の側の作曲家であり、初期にはテープレコーダーを使って短いフレーズを繰り返すという手法が使われた。この手法は、やがてサンプラーを使って既存楽曲の一部を切り取って何度も繰り返すという形でディスク・ジョッキー(DJ)につながり、あるいは繰り返しが陶酔を生むという点でサイケデリック・ロック、ドリーム・ポップ、あるいはオルタナティブやダンスミュージックというかたちで、シンセ、サンプラーといったテクノロジーと共にポピュラー音楽に浸透していく。

 そして、実のところ、電子楽器・電子音楽のうち、作品を録音テープに定着させて完成させる電子音楽は、ラジオ放送というメディアと不可分であり、その発展にはラジオ局という組織が密接に関係しているのである。

 本書『NHKの電子音楽』は、日本放送協会(NHK)が設置したNHK電子音楽スタジオで行われた様々な電子音楽の技術開発と、作曲家と技術者たちの協力で生まれた作品についてまとめた本だ。2段組にびっしりと文字が詰まったレイアウトで、全1432ページもある。巻末には、記述の出典を示す註記、加えて詳細な索引、そしてNHK電子音楽スタジオで制作された電子音楽作品の一覧が掲載されている。大変な労作だ
 著者は、本コラム「電子音楽の歴史をつづる大著2冊」※1で紹介した『日本の電子音楽 増補改訂版』(愛育社)の編著者でもある。

 ※1 https://www.shokabo.co.jp/column/matsu-11.html

 1925年(大正14年)の日本におけるラジオ放送開始から説き起こし、1950年代にNHK内部に電子音楽スタジオがたち上がり、芸術家と技術者が協力して芸術的にも技術的にも先鋭的な電子音楽作品を制作するようになる経緯を追い、最後に2000年のNHK電子音楽スタジオの終焉まで、75年にわたる日本における電子音楽の歴史を編年体で記述していく。
 NHKが日本における電子音楽制作の拠点であったということもあり、この本のかなりの部分は前著『日本の電子音楽』と重なる。NHKを中心にして、前著よりも一層細密に日本の電子音楽の歴史を追っていったものと考えて良い。
 ここまでいくと、『NHKの電子音楽』という書名は、「看板に偽りあり」と言わねばならない。本書のタイトルは「NHKを中心として記述された、日本の電子音楽史 決定版」というのが正確なところであろう。

 私の見るところ、本書の価値は三つある。

 まず、電子音楽の歴史の前史として、「ラジオ放送の発展の歴史」の重要性を指摘し、発掘したことだ。
 ラジオ放送が始まると、すぐにラジオ独自の「音だけによるドラマ」、すなわちラジオドラマというものが登場した。演劇には役者だけではなく舞台装置が必要なように、ラジオドラマには役者による発声だけではなく効果音というものが必要になる。すると、スタジオ内で現実の音を模擬する効果音を作り出さねばならない。
 ラジオがラジオドラマを生み、ラジオドラマが効果音に対するニーズを生み、効果音ヘのニーズが新しい音を作り出す技術を発達させる──最新の科学技術の粋であるラジオ放送を行うラジオ局において効果音の技術が開発されるようになり、その結果「音を加工する・音を作り出す技術」が蓄積されるようになったわけだ。この技術が、「では、これらの音を加工する技術を、音楽表現の強化に使ったらどうだろうか」という形で音楽に転用され、電子音楽へとつながっていくのである。
 第二次世界大戦後、芸術音楽の世界では、ヒトラーの好んだリヒャルト・ワーグナーの音楽のように、徹底した感情表現が政治に利用されて世界に惨禍をもたらした、という反省が発生する。そこから、「感情を煽るのではない、徹底的に数理的な構造としての音楽」という発想が生まれ、その一部が科学技術を利用した電子音楽を指向するようになっていく。その際に電子音楽の研究と創作の拠点となったのが、主にラジオ局が設立した電子音楽スタジオだった。
 西ドイツ放送は1951年にケルン音楽スタジオを設立し、1955年にはイタリア国営放送(RAI)がミラノ電子音楽スタジオを設立した。ケルン電子音楽スタジオでは作曲家のカールハインツ・シュトックハウゼン(1928〜2007)が、「少年の歌」のような初期の電子音楽の傑作を制作した。ケルンの動向に影響を受けた作曲家の黛敏郎(1929〜1997)と諸井誠(1930〜2013)がNHKに働きかけた結果、立ち上がったのがNHK電子音楽スタジオだったのである。
 なぜ黛と諸井がNHKに電子音楽スタジオ設立を働きかけたかといえば、そこには「音を加工し、新たな効果音を作り出す」技術が蓄積されており、しかも音を加工するノウハウを持つ技術者が在籍していたからなのだった。

 次に、そうやって成立したNHK電子音楽スタジオで生み出された数多い作品の一つひとつについて、本書では、そこで使われている技術と、制作した作曲家の芸術的意図の両面に渡って詳細に解説していることだ。
 たとえば、NHK電子音楽スタジオにおける最初期の作品となった黛敏郎「素数の比系列による正弦波の音楽」(1955)の説明では、まず黛が手本としたシュトックハウゼンの「習作1」という電子音楽の構造を、シュトックハウゼン自身の文章を読み解いて解析し、その上で黛がシュトックハウゼンが使った手法の何を取り入れ、何を棄却したかを探っていく。その手つきは細密であり、結果として芸術家が電子音楽という新しい分野を切り開くに当たって、どのようにして理性を活用したかが見えてくる。
 このような記述が1955年から2000年のNHK電子音楽スタジオの終焉に至るまでの数多い作品について行われているのだ。

 最後に──これは『NHKの電子音楽』というタイトルに反するようでもあるのだが──NHKの中でもNHK大阪(コールサインJOBKにちなんで“BK”と通称された)や、TBSのような民放ラジオ局、さらにはNTTで実施された技術者と作曲家の協力による電子音楽の制作に至るまでが網羅されていることだ。前著『日本の電子音楽』について、私はコラムの中で、NHK大阪のような地方局での電子音楽に対する取り組みの記述が足りないと書いたが(上記※1参照)、本書はそのあたりもきちんと網羅している。
 それだけではなく映画音楽、それも映画館でロードショー公開された商業映画のみならず、科学映画やメーカーのプロモーション映画に付けられた映画音楽についても、電子音楽の進出と浸透について記述している。

 それは、2段組1400ページ超という大著になるはずだ。本書には、20世紀後半に花開いた電子音楽という新しい芸術が、日本においてどのように展開したかという歴史が、ほぼすべて詰まっているといって間違いない。

 1960年代から80年代にかけて、さまざまな問題作、傑作を生み出し続けたNHK電子音楽スタジオは、1990年代から活動が低調になり、2000年頃に実質的な活動を終了してしまう。その後も2013年頃までは組織内の一部署として存続したようだが、もはや新たな作品を生み出すことはなかった。
 理由のひとつが技術の進歩にあったことは間違いない。かつては専門の技術者でなければできなかった、発振機や変調器を使った音の制作、あるい録音テープを切断・つなぎ合わせて行った音の切り貼りは、デジタル技術の発達により、パソコン内のデータ加工として容易にできるようになった。また、シンセサイザーに代表される電子楽器も急速に発達し、MIDI(Musical Instrument Digital Interface)という規格が制定されたことで、音楽の演奏データを相互に自由に交換できるようにもなった。
 つまり、NHKのような大きな組織が、相応の予算を投入して電子音楽専門のスタジオを常設する意義が薄れたのだ。「やりたければ、個人でパソコンその他諸々を買いそろえればいい」という時代になったのである。
 しかし、それでも第一線の音響技術者と気鋭の作曲家ががっぷり四つに組んで、新しい音楽表現としての電子音楽を制作する意義は依然としてあったはずなのだ。なのに、なぜNHK電子音楽スタジオはなくなってしまったのだろうか。

 著者は本書の最後で、その理由らしきものを、関係者の証言を並べるかたちであぶりだす。
 社会に余裕がなくなった──NHKで作られた電子音楽は、東京都渋谷区神南に立地するNHKに作曲家が通い、時には泊まり込み、技術者と徹夜をすることで制作されていた。そこにはNHKのプロデューサーも顔を出し、技術者や作曲家らとダベって作曲家と意見を交換した。時間と気持ちに余裕がある状態の中から次の作品のアイデアが生まれることもあった。
 1990年代以降、日本社会を覆ったコンプライアンス強化の流れは、そのような「創造的営為に必須である人間関係の余裕」を破壊してしまった。
 芸術音楽の作曲は、それだけの収入で生きていける仕事ではない。ほとんどの作曲家は、音楽大学や音楽学校の教師をしたり、あるいはテレビや映画、コマーシャルなどの劇伴音楽を作曲することで生活を支えている。コンプライアンス強化の結果、作曲家たちはそれぞれの仕事が忙しくなり、電子音楽のためだけにNHKに通い詰めることが難しくなってしまった。他方で、NHKの組織内でもコンプライアンスは強化され、技術者もプロデューサーも自由な発想で物事を進めることが難しくなる。
 電子音楽スタジオにたむろしてのおしゃべりは、自由な発想を生み出す根幹だったが、そんなことをしていると「仕事をさぼっている」とみなされるようになった。
 創作の土壌となる人間関係が失われた結果、電子音楽が作られなくなる。するとNHK経営陣は「電子音楽スタジオのような金食い虫なんかいらないのではないか」と考えるようになった。
 同じタイミングで、1950年代からの創作活動を支えた練達の技術者たちの定年退職が重なり、NHK電子音楽スタジオは消滅してしまったのだった。

 ここで1990年代から始まった衰退について、1991年のバブル経済崩壊から始まる「失われた30年、40年」を重ねるのは容易だろう。
 元禄時代、あるいは文化文政時代のように、経済が栄えるとき、同時に文化も栄える。NHK電子音楽スタジオは、高度経済成長前夜の1950年代から始まり、バブル経済絶頂の1980年代まで続き、バブル崩壊から始まる経済的衰退に先駆けて衰退し、消滅したのである。

 あくまで著者の興味と執念は、日本における電子音楽の歴史にある。しかし、通読して見えてくるのは、一国の経済が成長するとき、同時に先鋭で挑戦的な芸術も栄え、衰退局面に入ると芸術も衰退するという、身も蓋もない歴史の真理なのである。

 なお、本書の取り上げている電子音楽は、その一部をネットで聞くことができる。中にはサブスクリプションの音楽配信サービスで提供されているものもある。実際に聞きながら本書を読むと、電子音楽に対する理解は一層進むであろう。
 ただし、この大著を読み通すための時間は激しく増加することは間違いない。挑んでみようという方はお覚悟あれ。

【今回ご紹介した書籍】 

●『NHKの電子音楽
川崎弘二 著/A5判/1432頁/定価19,800円(税込み)/2025年7月発行/
フィルムアート社/ISBN 978-4-8459-2504-9
https://onlineshop.filmart.co.jp/products/978-4-8459-2504-9


「松浦晋也の“読書ノート”」 Copyright(c) 松浦晋也,2026
Shokabo-News No. 410(2026-7)に掲載 


松浦晋也(まつうらしんや)さんのプロフィール】 
ノンフィクション・ライター。1962年東京都出身。日経ビジネスオンラインにて足かけ4年にわたって連載してきた「チガサキから世間を眺めて」が今年3月に終了。近著に『ロケットサバイバル2030』(日経BP社)、『日本の宇宙開発最前線』(扶桑社)がある。その他、『母さん、ごめん。2』『小惑星探査機「はやぶさ2」の挑戦』『はやぶさ2の真実』『飛べ!「はやぶさ」』『われらの有人宇宙船』『増補 スペースシャトルの落日』『恐るべき旅路』『のりもの進化論』など著書多数。

X(旧Twitter)アカウント https://x.com/ShinyaMatsuura


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