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第12回 「一人で闇のなかを歩く人間のように」『方法序説』(デカルト 著,ワイド版岩波文庫)大学に入った初めの年で,猛暑だった.だから,この本を開くたびに呼び起こされるのは,蝉の鳴き声,先輩と食べた西瓜の味,打上げ花火の焦げた匂い,冷房の効かない古ぼけた寮の部屋などだ.そういったものたちの,むせ返るような夏の匂いがフラッシュバックしてくる――あくまで個人的な読書体験として. 当時,前学期に受けた授業にて,たまたま物理の先生がデカルトの「ワレ惟ウ,故ニワレ存リ(わたしは考える,ゆえに私は存在する)」を紹介し,「みなさんはこの話の続きを知っていますか?」と皆に問うた.恥ずかしながら,私は知らなかった. デカルトは一体,どのような文脈でこの言葉を紡いだのだろうか.ときとして言葉は一人歩きを始めてしまうが,本来,言葉というものは文脈の中で意味を語りつがれなければならない. それにしても,大学の講義というのは不思議なものだ.目の前で繰り広げられる先生のどんな一言が,その後の大きな世界との出会いにつながるか分からない.先生の講義は物理の講義であるにも関わらず,ずいぶんと含蓄のある授業であった. 夏休みに入ってすぐに,駅前の書店でこの本を買った. ところで,『方法序説』は自然科学の本ではないから,「編集子の本棚」で本書を紹介すると「なぜこの本を?」と首を捻る方がいらっしゃるかもしれない.実は,この本には,私が専門とする数学書を紐解くときはもちろん,ひいては,人生の岐路に遭遇したときに,啓示となるようなことが書かれているのである.少しデカルトの声に耳を傾けてみよう: 一人で闇のなかを歩く人間のように,きわめてゆっくり進み,あらゆることに周到な注意を払おう.そうやってほんのわずかしか進めなくても,せめて気をつけて転ぶことのないように,とわたしは心に決めた. デカルトは「紙の上で考えることの大切さ」についても言及している: 多少とも重要だと判断するすべてのことを,その真理の発見に応じて書きつづける,しかもそれを,印刷させようとする場合と同じくらいの周到な注意をもって書きつづけることが本当に必要なのである. 当時の私は,この箇所を特に気に入ったようだ.私の持っている岩波文庫ワイド版には,ここに赤いボールペンで綺麗に傍線が引かれている.以後,『方法序説』は私の読書の灯台として君臨することになる. あの読書体験から10年が過ぎた.仕事で先生方の原稿を読むとき,個人的に数学書を読むときに,私は注意深くテキストと対峙できているだろうか.「一人で闇のなかを歩く人間のように」「せめて気をつけて転ぶことのないように」自問自答する毎日である. 編集者π
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