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【裳華房】 メールマガジン「Shokabo-News」連載コラム 
鹿野 司の“読書ノート”

禁無断転載 → 裳華房メールマガジン「Shokabo-News」


第3回 科学とはどういう営みなのか

ロビン・ダンバー著『科学がきらわれる理由』(青土社)

 読書が好きな人ならば、きっと自分なりの、良い本とはこういうものだという規準を持っていることだろう。
 筆者の場合、それは読むことで自分の思考の幅を広げてくれるタイプの本だと思っている。それを読んだことをきっかけに、気がかりな事柄を読み解く手がかりが得られたり、違う解釈もあるだろうと、考えを発展させていけるもの。『科学がきらわれる理由』(青土社)は、そういうタイプの一冊だ。
 この本のタイトルは、内容をあまり正確には現わしていない。原著タイトルは“The trouble with science”で、科学をめぐる災難といった感じだろうか。決して、科学のネガティブな面を強調する本ではなく、むしろ科学離れが進む現代にあって、科学の意義や妥当性を検証しつつ、多くの人々に科学的な思考法を受け入れてもらうことを志向する。
 かつて、イギリスのC・P・スノウは『二つの文化と科学革命』(みすず書房)の中で、理系と文系という知的に優れた二つの文化が、互いを理解しあおうとしないことの不幸を嘆き、両者の交流を説いたことがあった。本書は、その正当な後継の書といってもいいかもしれない。
 著者のロビン・ダンバーは、英国霊長類学会の会長を務めたこともある、霊長類の行動生態学と進化心理学の分野でイギリスを代表する研究者だ。ヒトの言葉の起源と、ヒト科霊長類の集団の大きさを結びつけたユニークな仮説でも有名で、ダンバー数という、各個体と安定した関係が維持できる個体数の認知的上限を表す用語もある。
 その彼が、ロンドン大学在職中、学部1年生向けに、科学とはどんな行為なのかを解き明かした講義をもとに、本書はまとめられた。
 まず冒頭、ダンバーは、これまでの科学哲学の流れについて、簡単にして当を得た概観を行っている。このまとめが実に手際よくて、フランシス・ベーコンからデビッド・ヒューム、カール・ポパー、トマス・クーン、イムレ・ラカトシュなど、科学哲学における有名どころの思想のキモと、その問題点が簡潔明瞭に語られる。仮説・検証モデルから反証、パラダイム論、さらに相対主義やポストモダニズムまで、科学論の重要キーワードはほぼ網羅されて、その種の迷路のような論議は苦手と感じる人でも、素直に通読できるだろう。
 さらに、専門分野を生かした視点から、科学とはどういう営みなのかが語られる。たとえば経験科学の方法は、人類に普遍的なだけでなく、多くの鳥類や哺乳類の生活においても、重要な特徴だとダンバーはいう。世界にある規則性について学び、次に何が起きるかを予測することは、生き残りの基礎といえる。その素朴な行為の発展が、科学の進め方の基本的姿勢だというのだ。
 しかし、ならば何故、科学は理解されにくいのだろう。その理由は、人の知能が、霊長類特有の複雑な社会の中で、いかに生き延びるかを目的に発達したからだという。
 人は、ある立場に置かれた人がどう感じるか、感情移入して理解できる。これは複雑な社会に適応するべく、人がとりわけ高度に発達させた能力だ。これがあるから、人は物語を楽しむことができ、現在のような文明や文化を築き上げることができたのだが、それがゆえに論理的な思考は必ずしも上手ではないし、心のないものに心を読みとる傾向までももっている。
 これが、中でも長足の進歩を遂げた科学の分野(ある分野の科学が急速に発展した理由も、ダンバーは理に叶った説明をしている)を、理解しづらくしているという。そしてこの仮説から、ダンバーは科学教育のあり方にも論を進めていく。
 ひところ、日本の理科教育の現場でも、過度な相対主義的な考え方が広まって、科学的な世界解釈が、恣意的に選べる多くの解釈の中の一つにすぎないと主張されたことがあった。その種のバカげた考えに対抗し、現実的に世界と向かい合うとはどういうことかを考える上でも、本書は面白いきっかけを提案してくれるのではないかと思う。


【今回ご紹介した書籍】 
 『科学がきらわれる理由』 ロビン・ダンバー 著/松浦俊輔 訳
 四六判/314頁/定価2860円(本体2600円+税10%)/1997年6月発行/ISBN978-4-7917-5554-7/青土社(版元品切れ中)

「鹿野 司の“読書ノート”」 Copyright(c) 鹿野 司,2012
Shokabo-News No. 279(2012-9-27)に掲載 


鹿野 司(しかのつかさ)さんのプロフィール】 
サイエンスライター.1959年愛知県出身.「SFマガジン」等でコラムを連載中.主著に『サはサイエンスのサ』(早川書房),『巨大ロボット誕生』(秀和システム),『教養』(小松左京・高千穂遙と共著,徳間書店)などがある.ブログ「くねくね科学探検日記


※「鹿野 司の“読書ノート”」は,裳華房のメールマガジン「Shokabo-News」にて隔月(偶数月予定)に連載しています.Webサイトにはメールマガジン配信の約1か月後に掲載します.是非メールマガジンにご登録ください.
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