第4回 動物たちの心の世界が様々な形で描かれた2冊
『動物感覚』 『動物が幸せを感じるとき』
(テンプル・グランディン,キャサリン・ジョンソン 著,NHK出版)
脳神経科学分野のサイエンス・エッセイの名手、オリヴァー・サックスの著書に『火星の人類学者』(早川書房)という本がある。この火星の人類学者 とは、コロラド州立大学の動物行動学者、テンプル・グランディン教授のことだ。
彼女はいわゆる自閉症(アスペルガー症候群)者で、他者の心の動きが直感的にわからない。まるで火星人の人類学者のように、分析的にしか他者の心を理解できないというのが、このあだ名の意味なのだ。
一方で彼女は、動物の心の動きについては、おそらく他の人間には真似のできないレベルで直感的に把握できる。それは自分の心の動きと、動物たちの心の動きがとても良く似ているからだという。
『動物感覚』と『動物が幸せを感じるとき』(ともにNHK出版)には、その彼女の際だった個性で読み解いた、動物たちの心の世界が、様々な形で描写されている。
彼女が語る動物の心は、どちらかというと主観的な解釈のようで、科学的な分析とは言えないと感じる部分も多い。
しかし、彼女が動物の心理に基づいて設計した屠畜場は、今ではマクドナルドやケンタッキー・フライドチキンなど、全米の大手ファースト・フード・チェーンのほとんどで採用されているのだそうだ。
彼女は、動物の心を直感的に把握して、家畜たちが何を恐れ、何によって動きを止めたり、人に逆らうかも理解できる。そこで、それを未然に防いで、滞りのない屠畜場システムが設計できるのだ。その設計は経済効率が高く、結果として大手チェーン店が次々彼女に設計を依頼するようになったわけだ。
彼女の、動物の心が理解できるという主張は、これによってある程度は、証明できているともいえるだろう。
同時に彼女は、この屠畜システムのことを人道的だともいう。死にゆく動物たちが、死の直前まで恐れを感じないことは、倫理的というわけだ。こう聞くと、なにか微妙な違和感を感じつつも、なるほどそういう見方もできるかも知れないという、言葉の意味の微妙なズレのようなものを感じないだろうか。
人間どうしの社会的コミュニケーションには、「心の理論」の存在が欠かせない。心の理論とは、他者の考えを直感的に把握したり、空気を読む事ができる能力のことだ。いわゆる自閉症者は、それが成長段階の早い時期に、何らかの原因で障害されて、発達が遅れたり、十分に発達できなかった、少数派の人々だと思われる。
その空気の読めなさが、個性的な視点をもたらすことが多々ある。多数派の人々がお互い空気を読みあって、知らず識らずなんとなく合意してしまっていることに、マイノリティたちは気づけない。それがゆえに、それまでになかった別の視点を提供できる。テンプル・グランディンに限らず、個性的で突出した学者や芸術家には、自閉症傾向を読み取ることができることが多いのも、そこに秘密がありそうだ。
他者の心がわからないと、その人はしばしば変わり者扱いされて、ある種のハンディキャップを負うことになる。それは一種のマイノリティ問題でもある。また、健常者でも、人の心の理解が不得意だったり、若いうちは未熟でよくわからないということも普通だろう。そういう意味では、いわゆる自閉症者と健常者との間に明確な境目などない。
そしてもちろん、自閉症者も学習し成長できる。テンプル・グランディン自身も、今では多くの講演をこなし、聴衆を笑わせることすらできる。これは、大人になってからでも外国語が学べるのと同じことだ。彼女の内面にある心の理論は、ネイティブな発音とまではいかないものの、必要十分なコミュニケーションが可能なレベルにまで成長しているわけだ。
この二冊は、自閉症者と健常者、そしてさまざまな動物たちの心について、多くの思索の材料を提供してくれることだろう。
◆『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』
テンプル・グランディン,キャサリン・ジョンソン 著/中尾ゆかり 訳/
四六判/464頁/定価3520円(本体3200円+税10%)/2006年5月発行/
ISBN978-4-14-081115-3/NHK出版
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000811152006.html?trxID=C5010101&webCode=00811152006
◆『動物が幸せを感じるとき 新しい動物行動学でわかるアニマル・マインド』
テンプル・グランディン,キャサリン・ジョンソン 著/中尾ゆかり 訳/
四六判/368頁/定価2420円(本体2200円+税10%)/2011年12月発行/
ISBN978-4-14-081515-1/NHK出版
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000815152011.html?trxID=C5010101&webCode=00815152011
「鹿野 司の“読書ノート”」 Copyright(c) 鹿野 司,2012
Shokabo-News No. 281(2012-11-27)に掲載
【鹿野 司(しかのつかさ)さんのプロフィール】
サイエンスライター.1959年愛知県出身.「SFマガジン」等でコラムを連載中.主著に『サはサイエンスのサ』(早川書房),『巨大ロボット誕生』(秀和システム),『教養』(小松左京・高千穂遙と共著,徳間書店)などがある.ブログ「くねくね科学探検日記」
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