第14回 活動量や位置情報などの物理的なデータから人間の心理を読み解く
矢野和男 著『データの見えざる手』(草思社)
人間の創造的な活動、音楽や絵画や彫刻や建築や科学や技術などなど、あらゆるものには、二つのフェーズがある。
一つはあるスタイルを精緻に極めていくもので、その完成度の高い創造物には誰もが感動するものだ。もう一つは、いわゆるコペルニクス的転換のことで、岡本太郎が言った「芸術は爆発だ」という言葉の意味するものだ。つまり、それまでのとらわれ、常識の殻を打ち破って、以前とは全く違ったものの見方、世界の切り取り方が示される。
『データの見えざる手:ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則』(草思社)で紹介される研究は、この後者の科学の一例といっていいだろう。
たとえば、「人間の幸福感は身体運動の多さで計測できる」とか「従業員の幸福感が高まると生産性は向上する」といきなりいわれても、これまでの常識で考える限り、まともに信じることはできないと思う。しかし、ウェアラブルセンサによる計測が、そんな意外な事実をいくつも明らかにしている。
この研究で使用されるウエアラブルセンサの一つは、左腕に装着するリストバンド型の加速度センサで、腕の動きを毎秒20回、24時間計測し続けるものだ。その程度のことで何が解るのかと疑問に思えるくらいだが、長期間(著者はこれを8年間装着している)多人数から得られた膨大なデータから、動かしがたい法則が明らかになってきた。
人間の活動は、自由意志でコントロールできると信じられている。
しかし、実際に左手の動きのデータで見ると、動きの周波数ごとの出現頻度が、ボルツマン分布になっているという。
人は起きている間に、1日平均7万回ほど左腕を動かしているが、その半分が毎分60回以下、4分の1が毎分120回以下、8分の1が毎分180回以下になっている。つまり、周波数が高い(動きが激しい)ほど出現頻度が少なく、周波数が低くなると出現頻度が多くなって、片対数のグラフにするときれいな直線を描く。
それくらいはありそうなことだが、驚いたことに、この分布を意志の力で変えることはできないらしい。つまり、ある帯域の作業を、この分布を越えて続けようとしても、集中力を欠いて続けられなくなるという。
逆に、ある作業の周波数がわかれば、それを1日にどれくらいできるかが計算できる。たとえば原稿を書く作業の帯域は毎分50回〜70回なので、1日の活動時間のうち約29%が限界になる。
人間集団による行動が、心とは無関係な物理で記述できる例は、たとえば自動車の渋滞が粉体の動きと同じ方程式で記述できることなど、これまでにもあった。しかし、一人の人間の活動にも、こういう分布が現れるというのは、今までにない視点で面白い。
著者でありこの研究のリーダーでもある矢野和夫さんは、もともと日立で半導体の研究をしていた物性物理の専門家だった。ところが、部門の廃止に伴って新しい事を始めることになり、ウエアラブルセンサによる人間行動分析にたどりついたという。
これまでにない継続的な人間の活動データを、保存則をイメージするなどの、物理学的なものの見方で解釈、分析できたのが、この発見の原動力だったのではないかと思う。
また、別のセンサを使ったコールセンターでの調査では、業務内容が、相談の受付でもセールスでも、日本でもアメリカでも、オペレーターの体が休憩中に活発に動いているほど、全体の受注率が高まるという。これは、休憩中に同僚たちが楽しく会話していることの顕れだった。
活動量や位置情報といった物理的なデータから、人間心理、さらにはビジネスの改善まで繋がっていく様々な事例がどれも面白く、この分野の可能性を感じさせる。
◆『データの見えざる手 −ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則−』
矢野和男 著/四六判/256頁/定価1650円(本体1500円+税10%)/2014年7月発行/草思社
ISBN 978-4-7942-2068-4
http://www.soshisha.com/book_search/detail/1_2068.html
http://www.soshisha.com/book_wadai/books/2068.html
「鹿野 司の“読書ノート”」 Copyright(c) 鹿野 司,2014
Shokabo-News No. 304(2014-10)に掲載
【鹿野 司(しかのつかさ)さんのプロフィール】
サイエンスライター.1959年愛知県出身.「SFマガジン」等でコラムを連載中.主著に『サはサイエンスのサ』(早川書房),『巨大ロボット誕生』(秀和システム),『教養』(小松左京・高千穂遙と共著,徳間書店)などがある.ブログ「くねくね科学探検日記」
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