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雑誌「生物の科学 遺伝」別冊14号
はじめに−「発生・分化・再生」特集にあたって

浅島 誠


 動物の発生は丸い一個の受精卵から始まる.その後,各々の種 speciesに独自の卵割様式や形態形成運動を通して,やがて種に“固有”の形をつくっていく.その形づくりと器官形成のしくみは,単純なものから複雑なものまでいろいろである.しかしながら,このような発生の過程での器官形成や形づくりのしくみの理解については近年大きな進歩がみられ,それを分子の言葉で語ることが少しずつ可能になってきている.それらを概観することがこの特集の一つの目的であるが,その前提となっているのが,各生物のもっている生物現象の面白さである.

 地球上に存在するといわれている約3000万種の(あるいはさらに多くの)生物には各々固有の形と構造と機能があり,それだけ多種多様である.この生物の多様性こそが生命科学の柱であり,その数だけ生物の現象があるといってもよいであろう.最近のゲノムDNAの解読はその一歩であって,それで生命科学の理解がつきるのではない.むしろこれは基礎となるデータであって,それをもとにして生物現象へのアプローチが始まろうとしているのである.

 そのような中で,最も興味深い現象の一つに再生がある.生物には再生能力があって,その能力は生物のもつ最も生物らしい現象であるといえる.私たちヒトのゲノムがほぼ完全に読みとられてしまったといっても,再生現象を含むいろいろな現象(学習や本能,器官形成のしくみ,細胞内情報伝達のしくみなど,分子から個体,生態系と環境まで)は理解されたわけではないのである.

 今回,この特集ではまず,いろいろな動物のもつ発生や細胞分化の様式に基盤をおきながら,各生物のもつ興味深い再生現象をとりあげてみたい.

 「再生」研究には三つの側面がある.

 私たちヒトを例にとれば,血球は見かけ上は変化していないようにみられるが,常に作られては壊され,壊されては作られていく.その過程と制御は体内の中で非常に重要で,驚くべき恒常性をもっている.この恒常性の維持機構の解明が,その一つの面である.血球を例にとり,それを数にして計算してみると,血球はヒトの体のなかで毎秒8000万個つくられて,8000万個壊されていく計算になる.しかもこの膨大な数の増殖と分化において,通常はほとんど間違いが起こらない.もし,増殖と分化の過程で大事なところの遺伝子に変化が起これば,血液ガンのようになってその個体にとって命とりになりかねない.これは単に血液だけではない.皮膚も生殖細胞も,体内のあらゆる組織や器官において,その程度の差こそあれ,成体になっても細胞の増殖と分化と破壊が起こっている.これは何とも不思議で,かつ生命の生命たるゆえんのものと思われる,非常に興味深いテーマである.これは一般的に生理的再生といわれているものである.

 二つ目は,私たちは体に傷を受けたような場合,それを自分の力で治す力をもっている.傷の損傷治癒もこれまた生命らしい現象で,しかも通常元通りに治る.また,肝臓や腎臓の一部を切りとっても,残った部分に代償性肥大という現象が起こり,体の中である一定の大きさを保っていることができる.このような物理的損傷の修復による再生現象も,生物界にあまねく存在している.本号では,体を切ってもつくり直して再生するヒドラやプラナリアのもつものすごい再生能力,日本で発見されたヤマトヒメミミズの体節の切断と再生の現象,コオロギやツメガエルの肢(脚)の再生などを紹介しているが,その現象の面白さに対する分子生物学的アプローチは,今,まさに始まったばかりといえよう.そのアプローチによって,生命の奥深さと調節機構,美しさがみえてくると同時に,各々の種のもつ“固有の再生の仕方”と,その奥にひそむ何らかの“共通のシステム”がうっすらとみえてくる.

 三つ目は,このような流れとは並行しながら,かつ,新しい方向性をもつ「再生科学」である.それは,幹細胞(stem cell)とか胚性幹細胞(ES細胞)などの多分化能や全能性をもった細胞をin vitro(試験管内)にとりだしてきて,そこから組織や器官をつくりだし,さらには形づくりのしくみを理解しようとするものである.それらは従来の生物科学の方法や考え方の域を超えて,今,応用科学としての生命科学へと歩を進めつつある.このような方向の研究により,成体の中にある幹細胞や未分化細胞の研究にいちだんと拍車がかかり,新しい細胞治療法へと変化をとげて発展しようとしている.本号では,そのあたりの現状,再生医療の可能性についても紹介する.

 上記のように,今回の特集は,基礎生物学としての発生・分化・再生の問題をメインテーマにおきながらも,最近起こってきている再生科学とはどのようなものかについてもご理解いただけるような構成になっている.このようにしてみると,再生の研究は古くて最も新しい重要なテーマの一つであり,生命科学全般において,いま,大きな流れと発展がみられる.そのあたりのことを概観するのがこの特集の目的である.

 現代生物学の再生の研究は,私たちの生命観を変えるほどの魅力的な内容と展望を含んでいる.まさにいま,装いも新たに,大きな新しい生命科学の扉が開かれようとしているのである.読者の中からこのような再生の現象に興味をもち,この巨大なテーマにチャレンジしようという方が出てくるなら,望外の喜びである.

 なお,各記事はどれも最新の内容について平易な解説がなされているが,さらに読者の理解を助けるため,巻末に「用語解説」を付した.あわせてご参照いただければ幸いである.

(あさしま まこと,東京大学大学院 総合文化研究科 生命環境科学系)



         

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