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「生物の科学 遺伝」2000年8月号(54巻8号)

特集・都市の生物−生物からみた都市の姿

−「都市の生物」の特集にあたって−

唐沢孝一

都市環境と多様な視点

今から17年前の『遺伝』(1983 年8 月号) で「都市の鳥の生活」を特集したことがある.当時,東京都心部にヒヨドリやキジバト,ハクセキレイなどがつぎつぎに進出し,都市環境への野鳥の適応生態が話題になった.都市化によって自然の失われた都市環境になぜ野鳥が進出してきたのか,また,どんな鳥が都市環境に適応し,都市における人と野生生物との共存はいかにあるべきか,といった視点からの特集であった.都市環境を人間の目ではなく野鳥の立場から見直す作業を通して,もう一つの都市像をあぶり出そうというものであった.

今回の特集「都市の生物」は,17年前の特集「都市の鳥の生活」と同じスタンスに立って企画されている.前回と異なるのは,都市に生息する野鳥だけではなく,植物や昆虫,魚類,哺乳類などさまざまな分野の都市生物を取りあげ,それぞれの生物の生活を通して都市化や都市環境を検討している点である.

ただし,「さまざまな分野の都市生物」を取りあげたいが,それなりの制約がある.その理由は,誌面の制約があること,都市環境と関連づけた研究が必ずしも充分ではないこと等である.今回の特集で取りあげた生物は,都市化や都市問題と関係があり,話題性のある分野を中心に選択したものであり,客観的基準によって取捨選択したものではない.

ここでは,生物と都市との関係を意識しながらフィールドワークをしている何人かの研究者・ナチュラリストにご登場願い,都市生物の生態についてそれぞれの立場から自由にご執筆いただいた.特集を通して,生物と都市環境や都会人の生活様式等の関係を考えるヒントが少オでも得られれは幸いである.また,特集全体として都市生態系としての統一性にやや欠ける印象もあるかもしれないが,生物の立場から環境をみるということ自体が,人間を中心とした一つの尺度や人間の頭脳で考えた「統一性」で環境を計ることを意味していない.都市という人工環境を多種多様な生物を通して評価しようとした場合,その評価結果も一つではなく多種多様であるところに都市生物研究の味と奥の深さがあるといえる.複雑な都市環境を,さまざまな生物の視点を借りて複眼的に把握することによって初めてその実像が解明されるのではあるまいか.

影響を与え合う都市生物

 一口に都市といっても,都市の成立した歴史や気候風土は同一ではない.また,同じ都市の中に自然度の高い河川や公園緑地もあるし,繁華街や官庁街,商店街など多様な人工環境が含まれている.実際の都市は,さまざまな環境要素がモザイク的に組み合わさって構成されている.

東京都心部を例にとれば,大手町や丸の内のようなビル街に隣接して皇居のような自然度の高い緑地が残存している.本特集中の「都市の中の雑草」(岩瀬 徹 氏)では,街路樹の根元の「植えマス」に生えるオオバコやセイヨウタンポポなどの視点から都市環境を見直し,同時に,自然度の高い皇居の野草にもふれている.都市といえば帰化植物が優占する劣悪な環境という印象が強いが,皇居にはオドリコソウ,ヒメウズ,カントウタンポポなどの農村的な野草も残存している.都市に自然度の高い環境を取り戻そうとするときに,都市の原風景としての野草の存在意義はきわめて大きいものがある.同様に,メダカの生態を通して,水などの優れた水系の重要性を理解することができる.

他方,都市生物は相互に影響を与えながら生活している.その中で,他の生物に最も大きな影響を与えている存在は人そのものである.人は,都市生態系の一員でありながら,同時に,生態系そのものを根本的に改変できる立場にある.したがって,都市生物は何らかの形で人の影響を受け,同時に人にも影響を与えている.また,都市生物同士が互いに密接に関係しながら生活している.

例えば,イヌを連れて公園を散歩している人が,イヌの毛づくろいをしたり,糞をさせることがある.毛づくろいで棄てられた獣毛は,シジュウカラにとっては格好の巣材であり集められて産座に敷きつめる.棄てられた糞はセンチコガネなどの食糞性昆虫の餌として利用される.しかし,イヌを飼うマナーが向上し,糞を持ち帰ったり土に埋めるなどの処理が徹底するにつれて都会の食糞性昆虫は減少しているという.また,餌台などで野鳥への給餌が普及してヒヨドリやシジュウカラなどが増加すれば,多くの都市昆虫が捕食されてしまうが,毒針をもち鳥の捕食圧を回避できるチャドクガやドクガ等は捕食されずに増加し,人への害を増幅してしまう.

他方,都市鳥と人との関係も複雑である.人の廃棄する生ゴミの増加に伴ってハシブトガラスが急増するにつれて,ツバメやヒヨドリ,キジバトなどのヒナや卵が捕食される事例が増えている.都市環境の変化に伴って生態的特性の異なるドブネズミとクマネズミの栄枯盛衰や,都市化に伴って増加した都市適応型のキイロスズメバチやコガタスズメバチなどの生態も興味あるテーマであり,都市環境への巧みな適応生態は驚くばかりである.都市生物の生態研究は,有害生物の駆除法や人との共存の方法,あるいは生物からみた都市の種多様性など,さまざまな都市問題を考えるヒントが含まれている.

都市生物の生態は,常に流動的である.建物の構造の変化や,棄てられる生ゴミの量や回収方法が変わっただけで生活が一変してしまうこともある.本特集は20世紀末の日本の都市生物の生態の一断面を記録したものであり,10年後,20年後の都市生物と比較することによって新しい価値が生じてくる可能性もあろう.

(からさわ こういち,東京都立東高等学校)



         

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