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【裳華房】 メールマガジン「Shokabo-News」連載コラム 
松浦晋也の“読書ノート”

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第23回 化石の中の遺伝子を追い求めて

ペーボ著『ネアンデルタール人は私たちと交配した』(文藝春秋)

『ネアンデルタール人は私たちと交配した』カバー

「助けてくれ、ここから出してくれ!──おれたち……おれたちは、ここへおっぽり出されて、この連中につかまって、いったい何をさせられていると思う?──ネアンデルタール人との交配だぜ!──品種改良用の、種附けだぜ──一九三〇年にイスラエルでおこなわれたカルメル山の洞窟の発掘をおぼえているか? あそこのタブン洞窟からは、後期ネアンデルタール系の人骨が、スクール洞窟からは、ホモ・サピエンス系の人骨が出たのを知っているか?──プレ・サピエンスから、ホモ・サピエンスのブランチを導き出すのに、人為交配が行われたということ……」
 (小松左京著『 果しなき流れの果に』「第八章 追跡」より。
 ACI Sokendaiの「小松左京コーパス」[*1]から引用。本文中の「交配」と「人工交配」の語に傍点あり)
 *1 http://aci.soken.ac.jp/databaselist/BC001_01.html

 小松左京は、そのキャリアの最盛期に、宇宙の秩序を形作る者とそれに逆らう者との相克をテーマとして、いくつかの小説を執筆した。長編『果しなき流れの果に』、中編「結晶星団」、短編「ゴルティアスの結び目」……上の引用は『果しなき流れの果に』の一節。宇宙の秩序を守り、宇宙そのものを進化させようとしている者たちが、時を超えて未来人をネアンデルタール人のただ中に放り込み、交配による意図的な進化の加速を行おうとしているシーンだ。
 文中に出てくるカルメル山の洞窟というのは、イスラエル北部のカルメル山の斜面に位置するナハル・メアロットという渓谷にある洞窟群のこと。アフリカで発生した現生人類とその類縁種が世界全域に広がるにあたって通過した交差点のような場所だと考えられており、我々ホモ・サピエンスの化石と、ネアンデルタール人の化石が非常に近い場所で発見されている。このことから、ナハル・メアロットは2012年にユネスコの世界遺産リストに登録された。
 ナハル・メアロットの化石から小松左京は想像力の翼を拡げたわけだが、ここに来て、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの混血が実際にあったとする研究がでてきた。ネアンデルタール人の化石から遺伝子を取り出して解析し、現生人類の遺伝子と比較した結果、そのような結論を得たのである。

 そのものずばりの題名『ネアンデルタール人は私たちと交配した』は、ネアンデルタール人の遺伝子解析チームを率いた生物学者スヴァンテ・ペーボが、研究の過程を振り返ったドキュメントだ。
 ペーボは子どもの頃からエジプトに興味を持っていた。一時は歴史学を志望するが、自分には合わないと感じて生物学の道を選ぶ。そして「エジプトのミイラから遺伝子を抽出して分析できないか」と、自分の嗜好と専門を一致させることを思いつき、古代の遺物からの遺伝子抽出と分析を一生の仕事として選択した。
 遺伝子解析技術の進歩が、彼に味方した。1970年代半ばに、機械で一気に遺伝子を解析する遺伝子シーケンサーが発明された。1980年代初頭、ペーボが古代遺物からの遺伝子抽出と解析を志した段階で、すでに道具は揃っていたわけである。
 最初の研究対象であったエジプトのミイラからは、首尾良く遺伝子を抽出することができた。彼は、大きな科学的成果が得られそうな研究対象を求めて、様々な遺物に手を出していく。乱獲によって19世紀に絶滅したシマウマの一種のクアッガ、オーストラリアで独自の進化を遂げたフクロネズミ、フクロオオカミなどなど。分析により進化の道筋が明らかになることが、これらの研究で判明した。
 と同時に、彼は遺物からの遺伝子解析の困難にぶつかることになった。遺伝子シーケンサーは、微量のサンプルを一気に増殖させて増やして解析を行う。つまり、ほんの少しでも遺物のものではない遺伝子が混ざっていたら、結果が汚染されてしまうのである。昆虫や植物、微生物などの遺伝子や、標本に素手で触れたヒトの表皮細胞など、生きていて遺伝子を持つものはすべて汚染源となる。ペーボは偏執的にクリーンな環境を追求し、最終的に遺物から遺伝子を取り出す際に踏むべき手順を確立した。
 1993年に彼は、アルプス山中で見つかったミイラ化した遺骸「アイスマン」の遺伝子解析を行った。解析は成功したが、得られた結果は面白いものではなかった。5000年前に死んだアイスマンは、現生人類とほぼ変わりない遺伝子を持っており、その意味では現代人の遺伝子解析結果と変わりなかったのである。もっと古いサンプルを解析して人類進化の過程を解明したい――ペーボの研究課題は、より困難な人類の化石からの遺伝子抽出へと移った。もちろん一朝一夕に研究は成らない。まずマンモスを対象にして古生物の遺物からの遺伝子抽出と解析の技術を確立し、さらには化石の骨髄部分から遺伝子サンプルが本当に得られるかどうかを調べ、そして何よりも遺伝子解析の速度を加速する「次世代シーケンサー」の実用化により、やっと化石から得たサンプルで遺伝子解析を行う環境が整った。
 2006年、ペーボのチームはネアンデルタール人の遺伝子へのアタックを開始した。研究開始にあたってペーボは、2年以内の完全解読を宣言した。この解析の過程を記述した第11章以降が、本書の白眉というべきだろう。
 詳細に説明される遺伝子解析の過程も面白いが、それ以上に興味深いのが、研究を進めるにあたって避けては通れない生臭いマネジメントだ。これだけの規模の研究となると必要となる資金も桁違いに大きくなる。必要なだけの次世代シーケンサーを導入するための資金調達に、ペーボは四苦八苦することになる。
 また、研究チームも組織の垣根を超えて組み上げる必要がある。それぞれの専門分野から優秀な研究者をかき集め、モチベーションを共有していかねばならない。これまでの協力者が一転してライバルとなって行く手に立ちふさがることもある。
 そして、なによりも良質の化石サンプルが必要だ。サンプル入手において重要なのはコネと――そしてここでも――カネだ。

 最終的にペーボのチームは、ネアンデルタール人の遺伝子解析に成功し、現生人類の遺伝子との比較から、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスが交雑していた可能性を指摘することができた。さらに研究の過程から、ネアンデルタール人ともホモ・サピエンスとも異なる系統の絶滅人類の遺伝子を発見し、デニソワ人と命名した。
 が、現在もペーボの研究成果には異論があり、人類学の世界では議論が続いているのだそうだ。

 研究者本人が執筆した、研究活動という営為の実際が分かるドキュメントという意味で、本書は『東京大学マグナム望遠鏡物語』(吉井譲著、東京大学出版会、2003年刊行)と一対になる本と言える。『東京大学マグナム望遠鏡物語』は、研究に必要な望遠鏡をハワイに建設するために天文学者である著者がたどった七転八倒の難路の話だ。
 研究者は、浮世の泥の中でもがきつつ、なおかつ自分の目的に向かってじりじりと進まねばならない、なかなか大変な商売なのである。もちろん得がたい報酬もある。「今、これを知っているのは世界で自分たちだけだ」という至福のひとときを持つことができるのだ。


【今回ご紹介した書籍】 
ネアンデルタール人は私たちと交配した
  スヴァンテ・ペーボ著、 野中香方子訳/四六判/368頁/本体1750円+税
  2015年6月刊行/978-4-16-390204-3/文藝春秋/ISBN978-4-10-347301-5
  http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163902043


「松浦晋也の“読書ノート”」 Copyright(c) 松浦晋也,2016
Shokabo-News No. 324(2016-5)に掲載 

松浦晋也(まつうらしんや)さんのプロフィール】 
ノンフィクション・ライター.1962年東京都出身.現在,PC Onlineに「人と技術と情報の界面を探る」,日経トレンディネットで「“アレ”って何? 読めばわかる研究所」,日経テクノロジーで「小惑星探査機はやぶさ2の挑戦」を連載中.主著に『われらの有人宇宙船』(裳華房),『飛べ!「はやぶさ」』(学習研究社),『増補 スペースシャトルの落日』(ちくま文庫),『恐るべき旅路』(朝日新聞出版),『のりもの進化論』(太田出版)などがある.Twitterアカウント https://twitter.com/ShinyaMatsuura


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