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【裳華房】 メールマガジン「Shokabo-News」連載コラム 
松浦晋也の“読書ノート”

禁無断転載 → 裳華房メールマガジン「Shokabo-News」


第24回 大正の起業家による奇想PR小説

星 一 著『三十年後』(新潮社)

『三十年後』カバー

 星薬科大学という薬学専門の私立大学がある。創設者は星一(ほし はじめ:1873〜1951)。1910年に星製薬を創業し、「クスリはホシ」という宣伝と共に日本を代表する製薬会社に育て上げた起業家であり経営者であり、同時に衆議院議員を務めた政治家でもあった――と書くよりも、現在では「作家・星新一の父」と紹介したほうが通りはいいかもしれない。
 今回紹介する『三十年後』は、その星一が1918年(大正7年)に著した小説だ。ただし、星が行ったのはアイデア出しだけらしく、実際の執筆は作家の江見水蔭(1869〜1934)が担当している。この年、星は45歳。星製薬の経営者と衆議院議員を兼務しており、多忙を極めていた。アイデアは湧いても、執筆に割く時間はなかったのだろう。私の手元にあるのは、2015年に出版された、息子・星新一(1926〜1997)が適宜要約した版だ。出版にあたっては新一の娘である星マリナが尽力し、巻頭に「はじめに」という文章を寄せている。

 舞台は大正37年の日本。西暦に直すと1948年、つまり実際の昭和23年である。大正8年に引退して30年間もの間、南洋の島に隠棲していたかつての政治家、嶋浦太郎が91歳にして東京に帰ってくるところから始まる。名前を見れば一目瞭然。嶋浦太郎とは浦島太郎だ。出版時の現在である大正7年から、一気に30年後の社会を見通し、それを「30年間日本を離れていた老人」の目から、大正7年の現代人に解説していくわけだ。
 物語は、まず社会に起きた目に見える物質的な変化を描くところから始まる。自動車はすでに過去の遺物となっており、交通の中心は「滑走せずに屋上から昇降する」自家用飛行機と地下鉄、さらには「靴や下駄にしかけのある自動歩行機」が担っている。
 貧乏な人はどこにもいない。共産主義を適用したかと問う嶋浦翁に、「夢枕」という機械があてがわれる。寝ている間に学習を行う睡眠学習機だ。かくして嶋浦翁は30年の間に起きた社会の変化を知ることになる。
 30年間に起きた変化と一番根本にあったのは――

「危険思想をなんか抱く者はようするに脳の一部に病所があるからで脳の一部に病所がある以上は、その人の身体は完全でない。つまり健康に異常があるに相違ないからである。これに的確にきく薬を服(の)まさしむれば、思想が平均してくる。健康が平均してくる。危険な考えを持ちようがなくなってくるというという結論でございましょう」(本書p.39)

 星一の夢見たユートピアは薬に支えられたものだったのである。

 夢枕は嶋浦翁に語る――すべての人を健康にする薬が発明されたので、皆が健康になり、健康である以上思想は健康であるので罪を犯すこともなくなり、その結果警察のような秩序維持のコストが不要になった。それどころか繁文縟礼的事務も減り、政府は随分と小さくなった。日本は薬を海外に輸出して富み栄える。輸出した薬で健康になった諸外国の人々も健康な思想により争いは無益と知ったので、軍隊も廃止されることになっている。
 以下、新薬による社会の変化が次々に登場する。筋力を強化する筋肉薬の登場で、力の勝負である相撲は単なる薬の効果となってしまい絶滅した。頭が明晰になる薬で、芸術的才能はありふれたものになり、誰もが音楽家であり小説家であるという状態になったので職業的芸術家も消えた。もちろん不老回春薬があるので、誰もが若い姿のままで120歳以上の長寿を全うする。嶋浦翁も不老回春薬を服用して若返り、17歳の少女に恋して真剣に結婚を考えるようになる。

 かなり呆然とする内容だ。なにより「それ、ほんとにユートピアか?」と突っ込みを入れねばならない。薬により人の思考を制御して平和な世界を築くというのは、むしろディストピアではなかろうか。
 『三十年後』から14年を経た1932年に、オルダス・ハックスリー(1894〜1963)はディストピア小説『すばらしい新世界』(原題:Brave New World)を発表した。最終戦争後、安定を至上の目的として形成された社会で、人間は社会階級別に培養され、睡眠学習でそれぞれの階級に必要な知識を刷り込まれて育つようになる。不快な感情は「ソーマ」という薬品の服用で抑制され、誰も孤独も不安も感じない。そんな社会に、管理されることなく育った「野蛮人ジョン」が紛れ込んだことから社会の安定が崩れ始める――。
 『三十年後』では社会をよりよくするものとして描かれるテクノロジーは、『すばらしい新世界』では抑圧的で安定した社会を維持するために機能する。ハックスリーは、若い時に医学を勉強しており、また後年は神秘主義に傾倒しメスカリンやLSDといった麻薬を自ら使用している。おそらくハックスリーは、イギリスが中国に阿片を販売して巨利を得ていたことから、社会をコントロールする薬「ソーマ」を思いついたのではなかろうか。
 ハックスリーと比較すると、星一は驚くほど楽観的だ。「健康とは、不健康とは、一体どのような状態のことなのか」と深く思考することなく、「身体が健康なら思想も健康」という単純な命題ですべてをぶっちぎっていく。

 本書の中ほどで、嶋浦翁は脳に軽い病気があると診断されて、治療薬を勧められる。自分が病気なものかと怒る翁が試しに薬を使うと「口中ただ爽やかにして、なんの刺激も感じなかったが、まもなく急にあたりが明るくなったかと思うほどハッキリしてきた」(本書p.56)。どこか覚醒剤を連想させる記述だ。
 星一が『三十年後』において社会変革の原動力に据えた薬を麻薬と読み解くと、そこからは運命の皮肉を感じられるようになる。というのも、星製薬成長のきっかけのひとつは、阿片からのモルヒネの精製だったからだ。モルヒネ精製にあたって、星一は政治家の後藤新平(1857〜1929)のバックアップを受けていた。やがて星は内務省と不仲になる。内務省は後藤の政敵だった加藤高明(1860〜1926)、そして急成長する星製薬に危機感を感じた財閥系製薬会社と結びつき、星製薬は彼らから徹底的に叩かれることになる。現実の星一は、モルヒネで社会を変えようとして敗れたのだ。
 モルヒネを巡る星一と星製薬の苦難を、息子の星新一は「医療用モルヒネの精製に成功した星製薬が、官僚機構のいじめにあって敗北する」との構図でとらえて『人民は弱し 官吏は強し』(新潮文庫)を執筆した。が、実際には後藤、星、さらには日本における阿片用ケシ栽培の先駆者である二反長音蔵(にたんちょう おとぞう:1875〜1951)の関係は、必ずしも星新一が描くような理想主義的なものではなかったようだ。そして、昭和に入ると阿片は、中国大陸で阿片王・里見甫(さとみ はじめ:1896〜1965)などを通じて、関東軍の資金源となっていくのである。

 本書後半は、若返った嶋浦翁が、「長生きに飽きた」とする老人たちの反乱を鎮圧に赴くという急展開を見せる。薬で長生きできるようになった者らが、「長生きに飽きた」と反乱を起こすというシニカルな視点は、そのまま息子の星新一に引き継がれたのだろう。ラストには薬の発明者が登場するが、ここまで書けばそれが誰かは分かるだろう。つまり本書は、薬というものを宣伝する星製薬のためのPR小説であり、おそらくは政治家・星一のための自画自賛の宣伝でもあったのだ。
 だが、さすが星新一の父というべきか、それだけでは終わらない。なんと、ラストは駄洒落オチなのである。こんなくだらないオチをゴーストライターを務めた江見水蔭が勝手に付け加えたとも思えないので、これは星一自身の発案なのだろう(たとえ江見の発案だとしても、少なくとも星はそれを承認している)。

 薬を信じ、薬に理想を夢見て、結果的に自分の人生の陰画としても読めるユートピア小説を出版した男は、その小説のラストを考え得る限り一番くだらない(褒め言葉)駄洒落で落としていた。星一、恐るべし。


【今回ご紹介した書籍】 
三十年後
  星一 著、星新一 要約・解説、星マリナ 監修/新書判変形/158頁/
  定価(本体1001円+税)/2015年9月刊行/新潮社/ISBN 978-4-10-910056-4
  http://www.shinchosha.co.jp/book/910056/


「松浦晋也の“読書ノート”」 Copyright(c) 松浦晋也,2016
Shokabo-News No. 326(2016-7)に掲載 

松浦晋也(まつうらしんや)さんのプロフィール】 
ノンフィクション・ライター.1962年東京都出身.現在,日経ビジネスで「宇宙開発の新潮流」,日経テクノロジーで「小惑星探査機はやぶさ2の挑戦」を連載中.主著に『われらの有人宇宙船』(裳華房),『飛べ!「はやぶさ」』(学習研究社),『増補 スペースシャトルの落日』(ちくま文庫),『恐るべき旅路』(朝日新聞出版),『のりもの進化論』(太田出版)などがある.Twitterアカウント https://twitter.com/ShinyaMatsuura


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