組換えDNA実験の技術は,生命科学の新たな展開の導火線となった遺伝子工学の中核となる技術として,広く社会的に話題となっている.そのために,専門の研究者以外の人々の間にも,この技術の内容と今後の応用の方向を理解したいという関心が高まっている.このような情況にこたえて,組換えDNA実験技術の生み出された背景と現状,さらには将来への展望を,専門外でありながらも一歩立ち入って理解したいと望む人々にわかりやすく解説し,それによってこの技術の将来を単なる夢としてではなく,科学的な基礎のもとに広い視野からとらえるのに役立つようにとの意図のもとに,本書を企画した.
第T部では,組換えDNA実験技術を理解するために必要な遺伝学の基礎知識を,この技術が開発されるまでの遺伝学の発展の歴史を概説することによって紹介した.組換えDNAに関連した分野では,遺伝学に固有な学術語や技術の開発にともなって新しくつくられた術語が少なからず使われており,それらの専門用語がしばしば専門外の人々による理解を難しくしている.そのような点に配慮して,第T部ではできるだけ基本的な専門用語を解説するようにつとめた.
第U部では,組換えDNA実験の基本となる材料や方法を選ぴ,それぞれについて詳しく解説した.地球上の生物は多種多様であり,実際に組換えDNAを行なう場合には,あつかう生物や遺伝子の種類によって用いる方法にもさまざまな改良や工夫が必要である.しかし,本書は組換えDNAの解説書として,基本的な手続きを理解していただくことを目的としたので,“なぜそのような材料や方法が必要なのか”,“技術開発にどのような工夫がなされてきたか”また“今後どのような技術の改良が望まれるか”などを中心に概説した.本書を読まれて,より専門的で具体的な内容に興味をもたれた読者は巻末に掲げた参考書をお読みいただきたい.
第V部では,この技術が生命現象の理解にどのように貢献し,また医療や農業などの分野での応用にいかされるかを,現状から将来への問題にわたって,幅広くとりあげている.第T部,第U部にくらべて各論的色彩か強いが,執筆者の方々のそれぞれの専門分野についての個性的な内容が,読者を啓発してくれるものと期待している.
本書の執筆を分担された方々は,現在わが国の組換えDNA研究分野の第一線で活躍しておられる研究者である.本書の企画に賛同され,多忙な研究活動の中で,“わかりやすく,しかも学問的水準を下げないように”という難しい条件を配慮して執筆下さった諸氏に深く感謝申しあげたい.なお,原稿の推敵・編纂にあたっては執筆者に加え,鎌田 博,米田好文,鈴木康弘の諸氏より貴重な助言をいただいた.また,藤吉好則,向井康比己,山本雅敏,橋本 一,大隅正子,松島 久,矢崎和盛 諸氏のご好意により,本文の理解に有用な原図,資料などを提供していただいた.厚く御礼を申し上げたい.最後に,分担執筆原稿の調整・編集に多大の労をとられた裳華房の岡 五十氏に感謝の意を表わしたい.1986年6月
飯野徹雄
自然科学書出版 裳華房 SHOKABO Co., Ltd.