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【裳華房】 メールマガジン「Shokabo-News」連載コラム 
松浦晋也の“読書ノート”

禁無断転載 → 裳華房メールマガジン「Shokabo-News」


第8回 歴史を左右するパンデミック

『史上最悪のインフルエンザ』(クロスビー著、みすず書房)

 人類はこれまでに随分色々な病気を克服してきた。が、それでも新しい病気は次々とやってくる。エイズが世間一般に認知されたのは1980年代のことだ。1997年には香港で強い毒性を持つH5N1型の鳥インフルエンザによる鶏の大量死が発生。H5N1は人間にも感染し、死者を出した。2002年には中国広東省でSARS(重症急性呼吸器症候群)が、あわや世界的規模の爆発的感染拡大(パンデミック)かという事態を引き起こした。
 パンデミックは人類の社会と歴史にぬぐい去ることのできない大きな影響を与える。中世欧州を襲ったペストの大流行は、人口の減少を招き国力のバランスを変動させ、さらには宗教や文芸にまで影響を及ぼした。人間社会の栄枯盛衰はパンデミックと共にあると言ってもいい。
 そこで、今回は20世紀の事例を見てみたい。1918年から19年にかけて世界的大流行となった「スペイン風邪」、スペイン・インフルエンザのパンデミックである。世界人口が20億人ほどだった当時、少なくとも5億人以上が感染したと推定されている。死者数は世界保健機関(WHO)の推計で4000万人。 ただし諸説あって、死者1億人とする説もある。
 当時、欧州では世界史上初の総力戦であった第一次世界大戦の真っ最中だったが、こちらの戦死者数は確認できるだけで約1000万人。他に未確認の行方不明者が800万人ほどあるので、最大1800万人が死んだことになる。 近代兵器を投入した4年を超える戦争の死者の2倍以上もの命を、スペイン・インフルエンザは1918年春から翌1919年秋にかけての1年半であっさりと刈り取っていったのである。

 『史上最悪のインフルエンザ』はスペイン・インフルエンザに初めて歴史学の光を当てた本である。原著出版が1976年で、翻訳は1989年の改訂版に依っている。このためインフルエンザ・ウイルスに対する科学的な解説は古くなっているが、それ以外の部分では今なお読むに値する。感染拡大の様子から世界各地における状況の推移、社会への影響など、パンデミックが持つ多面的な様相を可能な限り網羅した力作だ。今回は、その中から、パンデミックが起きたことによる“歴史のif”をピックアップしてみよう。

 スペイン・インフルエンザは、その名称とは異なり、1918年3月に最初の流行が北米大陸で発生した。4月には敵側のドイツ軍でもインフルエンザが蔓延する事態となる。この時、参戦していなかったスペインのみが、病気に関する報道規制を行わなかったために、スペイン由来と誤解されて「スパニッシュ・インフルエンザ」という名前が付いた。
 感染拡大の段階で、すでにスペイン・インフルエンザは人類の歴史と絡まり合っている。1918年3月は、第一次世界大戦の最終段階だった。当初欧州での戦争に対してモンロー主義に基づく中立を保っていたアメリカは、ドイツが潜水艦による無差別な商船攻撃を開始したことで態度を変えて1917年4月に参戦した。1918年初頭は動員体制が整い、欧州に大量の兵士を送り込むべく国中が大騒ぎになっていた。全米各地で募兵が行われ、大量の志願者が集まってきた。新兵訓練のためのキャンプは拡充されたが、施設が間に合わず、兵士たちは兵舎に詰め込まれて寝起きした。戦時公債を売りさばくためのキャンペーンが全米を巡回し、各地でお祭り騒ぎを繰り広げていた。
 募兵も、キャンプも、公債購入キャンペーンも、すべて大量の人々が一ヵ所に集まる。第一次世界大戦は、インフルエンザ・ウイルスに、格好の感染拡大の場所を提供していたのだった。米国内で感染した兵士は、そのまま欧州に送られる。最前線では、死と隣り合わせの極限のストレスと、極度の疲労に晒された兵士の免疫が衰弱していたことは間違いない。かくして、あっという間に欧州戦線の各所でインフルエンザは猛威を振るうようになった。
 もうひとつ、考慮しなくてはならないことがある。総力戦では、国家がその能力の限りを尽くして衝突する。そのためには、大量の物資を輸送し、国家経済を回転させねばならない。物資の輸送に伴い、人が動く。
 日本では1918年9月に、最初の集団感染が確認されている。アメリカで発生した流行が、戦争を通じて欧州に渡り、おそらくは物流に伴う人の交流に乗って、日本にやってきたのだ。アメリカでの発生から6ヵ月ということになる。

 実はインフルエンザは、ペストなどと違い、20世紀以前には世界的規模のパンデミックを引き起こした形跡がない。欧州では、古くは冬になると流行する季節病と思われていた。インフルエンザの語源はイタリア語の「影響」を意味するインフルエンツァ(influenza)であり、英語圏に入って読みが「インフルエンザ」となった。日本では平安時代以降、何回かの全国的流行の記録が残っており、幕末に蘭方医がインフルエンザの概念を持ち込み「流行性感冒」(流感)と翻訳した。
 インフルエンザ・ウイルスは突然変異を非常に起こしやすい。その生態をごく大ざっぱに説明するなら、通常は鳥や豚の体内に潜んで突然変異を繰り返しており、その中から人間への感染性を獲得したものが、冬の流行を引き起こす。人に適応した株の出現には、鶏や豚と人が常時接触している場所、つまり養鶏や養豚が関係してくる。
 そして時折、大きな突然変異で多くの人々が免疫を持たない株が出現し、パンデミックとなる。感染経路は主に、せきやくしゃみなどによる飛沫感染。つまり人が高密度で活動していることが大規模な感染拡大の条件となる。
 これでわかるように、インフルエンザによる世界規模のパンデミックには3つの人為的条件が必要になる。まず、養鶏・養豚の普及、次に都市における高密度の居住環境の出現。19世紀までにこの2つの条件は揃い、局所的な流行を引き起こしていたのだろう。社会を構成する人々に免疫が行き渡れば、流行は終息する。おそらくは世界に拡がる前に地域社会の中に免疫が行き渡っていたので、世界的パンデミックにはならなかったのだろう。
 20世紀に入って、最後の条件が揃った。すなわち、世界規模での高密度な人の移動である。突然変異株の出現と、物流を促す第一次世界大戦がぶつかったことで、スペイン・インフルエンザは、一気に世界中に拡がったのだろう。もしも、1918年春の段階で第一次世界大戦が起きていなかったら、あるいはその前に終わっていたなら、パンデミックの様相はかなり違ったもの――おそらくはもっとゆるやかで1年半というような急速なものではなく、数年にわたるものになっていたのではないだろうか。

 本書が描き出すもっとも劇的な“歴史のif”は、パリ講和会議に関するものだ。第一次世界大戦は1918年11月11日に休戦協定が発効、同年12月から6ヶ月もの長丁場のパリ講和会議が開催され、1919年6月28日に、戦後の世界体制の枠組みを定めたベルサイユ条約が調印された。
 会議の舞台となったパリは、まさにパンデミックの真っ最中だった。あらゆる関係者がインフルエンザに感染し、体力を消耗していった。
 1919年4月3日、ついに会議のためにパリに滞在していたウッドロウ・ウィルソン米大統領(1856〜1924)がインフルエンザを発症してしまう。ウィルソンは急進的な平和主義者で、世界平和のために敗戦国に過酷な賠償責任を課すべきではないと考えていた。一方、交渉に参加したイギリスのデビット・ロイド・ジョージ首相(1863〜1945)やフランスのジョルジュ・クレマンソー首相(1841〜1929)は、長期にわたった戦争で疲弊した自国の経済を建て直すため、敗戦国のドイツに対して可能な限り高い賠償金を求めるつもりだった。
 ウィルソンがインフルエンザに倒れたこの時期、議論は大きく進展し、ウィルソンはドイツに賠償金を課することを受け入れた。条約には具体的な金額が記入されておらず、後に破滅的なまでに高額の賠償金をドイツに負わせる根拠となった。やがて経済危機に陥ったドイツでは、アドルフ・ヒトラー(1889〜1945)率いるナチスが「ヴェルサイユ体制の打破」を主張して勢力を伸ばしていった。ヒトラーは国家元首となり、世界を第二次世界大戦へと巻き込んでいくことになる。
 もしもウィルソンがインフルエンザで倒れず、気力体力ともに充実した状態で交渉に参加していたら――言っても詮無いことではあるが、ヒトラーが台頭せず、第二次世界大戦がなかった世界もありえたかも知れないのだ。

 本書の著者クロスビーは、もう一つ、はっきりしたスペイン・インフルエンザの影響を指摘している。パンデミックが猛威を振るっていた1918年秋、アメリカでは議会の選挙があった。ニューメキシコ州の上院議員選挙では、共和党の有力者であるアルバート・フォール(1861〜1944)が立候補していた。ウィルソンは、フォールに個人攻撃を加えて落選させようとするが、ちょうどフォールの息子と娘が相次いでスペイン・インフルエンザのために亡くなってしまう。選挙民の同情を集めたフォールはわずかな票差で当選した。
 フォールの当選により、上院は民主党と共和党が同数となり、外交委員会の委員長を共和党が獲得した。これは、ウィルソン大統領の外交政策を大きく妨げることとなった。
 第一次世界大戦後、ウィルソンの平和構想に基づき、国際連盟が発足する。しかしアメリカは、まさにフォールの当選によって米上院外交委員長に就任した共和党のヘンリー・カボット・ロッジ(1850〜1924)が強硬な反対運動を展開したため、結局国際連盟に加盟しなかった。
 これももう運命としかいいようのない展開だ。アメリカが国際連盟に加盟していたならば、国際連盟の影響力はかなり強化されていただろう。その後の第二次世界大戦への道筋はかなり違ったものになっていたかも知れない。

 ここで紹介した事例は、本書のごく一部だけだ。クロスビーは、ウィルソンの交渉相手であったロイド・ジョージやクレマンソーが、インフルエンザに罹った前後でどのように態度を変えたかも論証していくし、アメリカ交渉団スタッフの発病にも注意を払っている。有能なスタッフがインフルエンザで長期間活動不能になったり、肺炎を併発して死去したことは、ウィルソンの交渉力低下に大きな影響があったとしている。

 この手の“歴史のif”は、えてして粗雑な想像に終わることが多い。ウィルソンが万全の体調でパリ講和会議に臨んでいたとしても、結局はドイツに巨額の賠償金が課せられたかも知れない。アメリカが国際連盟に加盟していても、第二次世界大戦は避け得なかったかも知れない。
 それでも、スペイン・インフルエンザの事例は、滔々たる歴史の流れが小さな微生物やウイルスによって左右されている可能性を教えてくれるのである。


【今回ご紹介した書籍】 
史上最悪のインフルエンザ −忘れられたパンデミック−
   アルフレッド・W・クロスビー 著 西村秀一 訳/
   A5判/496頁/定価4840円(本体4400円+税10%)/2009年1月発行/みすず書房/
   ISBN978-4-622-07452-6
   http://www.msz.co.jp/book/detail/07452.html


「松浦晋也の“読書ノート”」 Copyright(c) 松浦晋也,2013
Shokabo-News No. 289(2013-6)に掲載 

松浦晋也(まつうらしんや)さんのプロフィール】 
ノンフィクション・ライター.1962年東京都出身.日経BP社記者を経てフリーに.現在,PC Onlineに「人と技術と情報の界面を探る」を連載中.主著に『われらの有人宇宙船』(裳華房),『増補 スペースシャトルの落日』(ちくま文庫),『恐るべき旅路』(朝日新聞出版),『コダワリ人のおもちゃ箱』(エクスナレッジ),『のりもの進化論』(太田出版)などがある.ブログ「松浦晋也のL/D


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