第9回 正しい知識の不足を象徴する2冊
『原子力発電ABC』(東京電力株式会社)
『反原発、出前します−高木仁三郎講義録−』(反原発出前のお店編、七つ森書館)
この1年ばかり、日経BP社が運営するWebサイト“PC Online”[*1]で受け持っている連載「人と技術と情報の界面を探る」[*2]で、「原子力発電を考える」と題するシリーズを書いている。
2011年3月11日の東日本大震災で、 東京電力・福島第一原子力発電所の原子炉冷却が不可能になり、大量の放射性物質が漏れ出し、拡散した。この時、自分は何も分かっていなかった。「あれ、制御棒が挿入されたということは臨界は止まったんだろ。なぜ冷却が必要なんだ」と思ったくらいだ。臨界停止後も生成した放射性同位体が大量の崩壊熱を出し続けるという、当たり前のことに気がつかなかった。あわてて、東電のホームページやら政府関係ページを漁り、原子炉のなんたるかを調べ始めたが、なかなか原子炉という機械の理解にたどり着かなかった。「こうなれば、こうなる」という仕組みが見えてこなかったのである。
人間が作った機械である以上、当然設計時には「ああなったらこうなって、こうなったらああなる」という脈絡が見えているはずだ。その見えているところで事故になったのか、なにか設計段階では見えていないところで事故を起こしたのか、それとも設計では見えていても製造や施工で何かを見落とした結果事故が起きたのか、事故が起きてしまった現在の目から見返すならある程度までは理解できるだろう。そう考えて自分の勉強がてら、連載を開始したのだった。
今回紹介するのはその過程で読んだ2冊だ。
『原子力発電ABC』は、日本に原子力発電が導入されようとしていた1958年という時期に、東電の社内報に連載された記事を一冊の本にまとめたものである。巻頭言を当時の菅礼之助会長(1883〜1971)、高井亮太郎社長(1896〜1969)、木川田一隆副社長(1899〜1977)が順番に寄稿しており、これだけでも当時の東電が原子力発電に多大な関心を抱いていたことが分かる。
社内報連載のまとめなので、一般向けパンフレットに毛が生えた程度の内容を想像する方も多いだろう。が、本書の内容はそんなものではない。高度にして正確、かつわかりやすく、しかも多岐に渡っている。核分裂を巡る核物理学の原理解説から始めて、各種原子炉の構造と動作原理、国内外のウラン資源の分布、さらには当時の国内外の原子力開発体制に至るまでを、 全180ページの小冊子にコンパクトにまとまっている。
例えば高速増殖炉だ。高速増殖炉の「高速」が何を意味するか、あなたはご存知だろうか。答えは、核分裂の引き金となる中性子が、高い運動エネルギーを持っているからだ。核分裂反応で飛び出した中性子はそのままでは非常に高速だ。高速だと次のウラン原子にぶつかったときに核分裂反応を起こす確率が低くなる。普通の原子炉は、核分裂を起きやすくするために、減速材を使って中性子の速度を落とす。高速増殖炉は減速しない高速の中性子を使って臨界を維持するから“高速”増殖炉なのだ。
ここで疑問が生じる。「では、核分裂を起こしにくい高速中性子をつかって、どうやって臨界を維持するのか」と。ところが、現在市中に出回っている一般解説書には、私が読んだ限りではこの疑問に明確に答えたものはなかった。みないきなり「高速増殖炉は、炉内でプルトニウム239を生産して、 炉で消費する以上の核燃料を生産する原子炉」というところから説明を始めてしまい、もっと根源的な「高速中性子で臨界を維持する方法」を説明していないのだ。
しかし『原子力発電ABC』は違う。 まず中性子の速度を落とすための減速材の説明で 「(ウラン235の核分裂反応を起こすための中性子の速度は)毎秒2km程度であることが必要なのに、分裂によって生まれた生まれたての中性子は非常に勢いがよくて、その速度が毎秒約20,000kmである」(同書p.48)と、中性子の速度を具体的に記述。さらに、増殖炉と高速増殖炉が違うことをきちんと説明し(増殖炉は核燃料が増える原子炉。減速材を使って中性子の速度を落とす増殖炉も成立する)、その上で高速中性子をそのまま核分裂反応に使用する高速増殖炉の原理について次のように説明する。
「(減速材を使う増殖炉は)出て来た中性子をできるだけ経済的に連鎖反応に参加させるという考え方だが、もうひとつの方法は、最初の中性子、すなわち分裂によって発生する中性子の数を増してやることである」(p.81)
その上で、様々な核種が1回の核分裂反応で発生する中性子の個数を比較し、高速中性子によるプルトニウム239の核分裂反応が、 より多くの中性子を発生させることを指摘する。そうして、減速材を用いない分、プルトニウム核燃料をぎゅっとまとめて配置した炉心で高密度に高速中性子を発生させて臨界を維持。臨界に寄与せずに炉の外側に逃げ出す中性子は炉心周囲に配置したウラン238にぶつけてプルトニウム239に変換させるという、高速増殖炉の基本アイデアを読者に理解させるのだ。
これほど至れり尽くせりの、原理にまで立ち戻った理解しやすい解説が、1958年という段階で東電の社内報に連載されていた――つまり東電の社員は技術職、事務職を問わず、基本的に全員がこれを読んでいたのである。
福島第一原子力発電所の事故後、東電社内で原子力部門があたかも“会社の中の会社”のように他部門との関係が薄くなってしまっていたことが報道された。それは、多分に「原子力という良く分からないものは専門職に任せておこう」という、社内の雰囲気に起因するものだったらしい。特に事務職から見た原子力部門は「良く分からない専門用語を扱い、原子炉のお守りをする人達」という印象が強かったという。逆に原子力セクションもそれをいいことに独立性を高めていったようである。
しかし、1958年当時の東電は違った。原子力という新しいエネルギー源の到来を控えて、全社員がその原理と実際を根本から理解しようと努めていた。あるいは、社員は「面倒臭いなあ」と思っていたかも知れない。が、本書の存在は、経営側は原子力の正確な知識を、全社員に理解させる必要があると考えていたことを意味する。
この姿勢が50年以上継続していたら、福島第一の事故もかなり様相は変わったかも知れない。現地はもとより、本店に詰める関係者も、官邸に向かった者も、メディア対応を担当する者も、等しく原子力に関する深く正確な知識を持ち、的確に事態に対処できていたかも知れない。海水注入を巡る混乱で先般亡くなられた吉田昌郎所長が一芝居打たなくとも良かったかもしれない。いや、それ以前に原子力発電所の安全性により慎重であるべきという社内コンセンサスが形成され、福島第一の安全設備が強化され、東日本大震災にも耐えていたかもしれない。
しかしそうはならなかった。事故が起きた時、東電本店はテレビ会議で「吉田ぁっ」と叫び、所長を呼び捨てにしてなんとかしろと要求するしかできなかったのである。
もう一冊の『反原発、出前します』は、反原発の論客であった核物理学者の高木仁三郎(1938〜2000)が、1991年5月〜6月に行った反原発の講義をまとめたものである。編者である「反原発出前のお店」は、高木が組織した原子力資料情報室が始めた、出前のように注文があれば講師を派遣して、反原発関連の講義を行うというプロジェクトで、現在も継続している。プロジェクト発足にあたっては講師を養成する必要があり、同書にまとまった高木の講義は、「反原発出前のお店」の講師養成のために行ったものである。実際のまとめ作業は、講義を受けた者たちが行ったらしく、一部高木とは別の名前が記された囲み記事が組み込まれている。私が読んだのは、1993年の初版だが、福島の事故後の2011年4月には新装版で復刊している。
反原発論者の中でも高木は、専門知識に基づく実証的姿勢で際立っていた。原発推進側も「高木さんとは議論ができる」と彼の姿勢を評価していたという。そのことは彼の作った組織が「原子力資料情報室」という名称であることからも明らかだろう。「反原発なんたら会議」でも「原発いらないかんたらネットワーク」でもない。資料と情報を集める拠点なのである。
本書でも高木の実証的姿勢は際立っており、まず原子力発電の基本的な概念から始めて、基本原理から導き出される危険性、さらに原理としては可能でも実装された技術としての危険性とひとつずつ解きほぐしていく。圧巻は、実際の原発事故を分析していく第二部であり、スリーマイル事故、チェルノブイリ事故に始まり、福島第二原子力発電所3号機で起きた再循環ポンプ破壊事故(1989年1月)、美浜原子力発電所2号機で起きた蒸気発生器配管ギロチン破断事故(1991年2月)を、当時集められる限りのデータを集め、その経緯を解説していく。後半は核燃料サイクルの検証と疑問提示に割かれており、高木が核燃料サイクルにともなう六ヶ所村再処理工場の稼働に強い危機感を持っていたことがうかがえる。
本書を読んでいくと、高木の反原発の姿勢の根本には「人間が作り上げた工学という学問体系に対する不信」があることが見えてくる。工学は理学が解明した自然現象を、人類社会に役立つ道具として組み上げるための知識体系だ。高木は、原子力の巨大なエネルギーを前にして、人間の知恵がそれを御することができると確信できなかったのだろう。だから彼は、自らの理学と工学の知識を駆使して原子力発電に反対し続けた。
私は、この姿勢には少々違和感を抱く。というのも、開発と生産の現場をずっと取材して、ここ20年程のコンピューターの進歩で今までできなかったことがどんどんできるようになってきたのを見聞しているからだ。たとえば本書の中で、高木は加圧水型原子炉や高速増殖炉に必須の蒸気発生器(熱交換器)が抱える脆弱性を指摘しているのだが、本書刊行後の20年で、熱交換器の設計も製造も長足の進歩を遂げた。製品内部の欠陥を探る技術もコンピューターによる可視化技術で従来とは比べものにならないほど精度が向上している。高木の記述には、そのような技術革新による設計・製造両面での進歩が考えに入っていない。
いま、彼が生きていたらどう考えたかは興味あるifだが、残念ながら高木は2000年10月にガンのためにこの世を去ってしまった。そして、現在再稼働準備に入っている原子力発電所の炉のかなりの部分は、私が指摘した技術革新以前に設計・製造されている。高木の指摘は、今なお現役の原子炉については生きている。
福島第一原子力発電所の事故を調べていくと、事故拡大と原子炉の安定停止はほんとうに紙一重であったことが見えてくる。制御棒が炉内に挿入され、臨界が停止した後、炉内に水を循環させる電力さえ続けば、あのような事態にはならなかった。実際、福島第一5号機と6号機は1つだけ非常用発電機が生き残ったので、1〜3号機のようにはならなかった。
すべての電源が失われる事態に立ち至る前段には、「これぐらいなら大丈夫だろう」という積み木崩しに似たプロセスが何十年も続いていた。「これでも大丈夫」「これくらいなら大丈夫」――もちろん大丈夫だ、その時は。しかし積み木を抜き続けていけば、どこかで積み木の山は崩れるのである。
積み木の山の崩壊を防ぐには、なによりも関係者全員が正確な知識を持つ必要があった。そして高木仁三郎のような、根拠のある指摘を行う反対者との胸襟を割った対話の継続が必要だった。高木の前に、胸を張って提出できる対策を実施し続ける必要があった。
『原子力発電ABC』と『反原発、出前します』は共に、我々の社会全体に正しい知識が不足していることを示しているのである。
[本文で紹介したWebサイトのURLアドレス]
*1 PC Online
http://pc.nikkeibp.co.jp/
*2 連載「人と技術と情報の界面を探る」
http://pc.nikkeibp.co.jp/article/NPC/20080312/296077/
【今回ご紹介した書籍】
『原子力発電ABC』
東京電力株式会社 編
A4判/180頁/非売品/1958年発行/東京電力株式会社
『新装版 反原発、出前します −原発・事故・影響 そして未来を考える−[高木仁三郎講義録]』
反原発出前のお店 編、高木仁三郎 監修/
A5判/272頁/定価2200円(本体2000円+税10%)/新装版2011年4月発行/七つ森書館/
ISBN978-4-8228-1132-7
「松浦晋也の“読書ノート”」 Copyright(c) 松浦晋也,2013
Shokabo-News No. 291(2013-8)に掲載
【松浦晋也(まつうらしんや)さんのプロフィール】
ノンフィクション・ライター.1962年東京都出身.日経BP社記者を経てフリーに.現在,PC Onlineに「人と技術と情報の界面を探る」を連載中.主著に『われらの有人宇宙船』(裳華房),『増補 スペースシャトルの落日』(ちくま文庫),『恐るべき旅路』(朝日新聞出版),『コダワリ人のおもちゃ箱』(エクスナレッジ),『のりもの進化論』(太田出版)などがある.ブログ「松浦晋也のL/D」
※「松浦晋也の“読書ノート”」は,裳華房のメールマガジン「Shokabo-News」にて隔月(偶数月予定)に連載しています.Webサイトにはメールマガジン配信の約1か月後に掲載します.是非メールマガジンにご登録ください.
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