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【裳華房】 メールマガジン「Shokabo-News」連載コラム 
松浦晋也の“読書ノート”

禁無断転載 → 裳華房メールマガジン「Shokabo-News」


第10回 2人の先輩を送る

 『新世紀未来科学』(金子隆一 著,八幡書店) ほか
 『パソコン創世記』(富田倫生 著,旺文社;青空文庫) ほか

 この8月、2人の尊敬する先輩が相次いでこの世を去った。2013年8月16日、ノンフィクション作家の富田倫生(とみたみちお)さんが逝去。享年61歳。そして、 8月30日にはサイエンス・ライターの金子隆一(かねこりゅういち)さんが去っていってしまわれた。享年57歳。ともに天寿と言うには短い人生を駆け抜けて去って行ってしまった。
 今回は、個人的感慨と共にお二人の著書を紹介したい。まずは金子隆一さんから。

 金子さんに最初に会ったのは、確か1985年の初夏だ。
 その経緯を語るには、まず光世紀(こうせいき)とハードSF研究所の話をしなければならない。1984年、SF作家の石原藤夫さんが、私家版で「光世紀の世界」という大部な星表を出版した。「太陽系近傍の宇宙を題材にしたSFを書きたい」と考えた石原さんは、大変な手間をかけて既存の星表を精査し、太陽系を中心とした直径100光年の空間を「光世紀」と名付け、 そこに存在する恒星のリストを作成したのである。
 当時工学部の大学生で、「SFマガジン」誌(早川書房)の読者だった私は、「光世紀の世界」の出版を同誌で知ってさっそく通販で購入した。なお、私家版「光世紀の世界」には、光世紀世界を詳細に解説した冊子が附属しており、こちらは後に、裳華房ポピュラー・サイエンスから『《光世紀世界》への招待−近距離の恒星をさぐる−』(1994)、『《光世紀世界》の歩き方−近距離恒星の3Dガイドマップ−』(2002)として復刊している。

 手元に届いた「光世紀の世界」には「ハードSF研究所入会のお誘い」が入っていた。当時神奈川県鎌倉市在住だった石原さんは、ハードSF研究所というSFファングループを主宰しており、鎌倉の隣の藤沢市で3ヶ月に1回例会を開催していた(ハードSF研究所は、例会はなくなったが今も存続し、会誌を発行している)。興味を持った私は、早速ハードSF研に入会し、例会に出席するようになった。ハードSFというのは「科学的な事実が、物語の根幹に関わってくるようなSFのサブジャンル」といえばいいだろうか。作家で言えば、アーサー・C・クラークやハル・クレメント、ロバート・L・フォワード。最近ならグレッグ・イーガンの諸作品が相当する。日本人作家なら、石原さんを筆頭に、堀 晃、さらに下の世代では野尻抱介、林 譲治、小林泰三の通称“NHKトリオ”の作品が該当するだろう。石原さんは、日本SF草創期からのハードSF作家だった。
 あの頃のハードSF研例会は、文字通りの知的パラダイスだった。石原さんの本業が電電公社(当時)の通信研究者だったからだろうか、例会は学会形式で会員各々が自分の研究を発表するというもので、会員は多士済々、発表もとくにSF関係に限定されることなく知的好奇心を多いに刺激する内容だった。
 その中に、金子さんがいた。当時29歳。すでにサイエンス・ライターとして活動を開始していた。私はすでに「メカニックマガジン」誌(ワールドフォトプレス、1981年〜1988年)で金子さんの書いた記事を読んでおり、その名前を知っていた。「この人が金子さんか」と思った記憶がある。

 一介の大学生から見て、科学とSFを股にかけて文章を発表していた金子さんは、ずいぶんとまぶしかった。が、当人はといえば、いつも身なりを気にした形跡のない服装と黒縁の眼鏡でふらりとハードSF研例会に現れ、丹念な調査の結果を、あのゆっくりとやさしい口調で発表するのだった。冬になると、ジャンパーやマフラーの代わりにどてらを羽織って例会にやってきた。あれは1986年か87年の冬だったと思うが、どてら姿で例会後の懇親会で酒を飲みつつ「これがねえ、締め切り過ぎちゃっているんですが、なかなか書けないんですよ」と鉛筆で原稿を書いていたのを思い出すことができる。その場で原稿を読ませてもらったが、バレエにおけるダンサーの身体の運動力学的解析を巡る、ロボットがバレエを踊る可能性についてのエッセイだった。
 とにかく、無茶苦茶に間口の広い人だった。SF、科学全般、宇宙、古生物、バレエ、ジャズ――どんな話題であっても「それについては、こんな話もありまして……」と的確な解説を加えることができた。フットワークも軽く、古生物の取材となると海外の学会へ、発掘の現場へと飛び回った。世界の辺境を旅するわけだから、旅のエピソードが面白くないわけがない。「ドンブリ一杯のキャビア」とか「ゴビ砂漠を我が物顔に闊歩する野良ラクダ」とか、なかなか普通の旅では聞けない話を聞かせてもらった。
 1990年代半ばごろから私は、航空宇宙分野の文章で生計を立てられないかと考え始めた。そこで――まったくひどい話なのだけれども――ライバルとしての金子さんが、意識に浮上した。あれほど書ける人がいるのに、自分がやっていける余地はあるのだろうか。ある出版社のパーティで同席した時、本人に訪ねてみた。
 「金子さんにとって終生のテーマとは何ですか」
 「古生物、恐竜ですね」
と即座に金子さんは答えた。「いろいろ手広く書いてますけれど、自分としては古生物でやっていきたいんですよ」
 そうか、と、姑息な私は密かに安堵した。この時のやりとりがなければ、私は今もサラリーマンをしていたかも知れない。

 金子さんの仕事は多岐に渡っている。おそらく人々に一番強い印象を残したのは、NHK教育(現Eテレ)のアニメ「恐竜惑星」(1993)、「ジーンダイバー」(1994)、「救命戦士ナノセイバー」(1997)だろう。これらの作品において金子さんの公式な立場は設定ないし監修というものだったが、実際には物語の根幹を作り上げる役割を果たした。結果として3作品は、子供向けながら妥協なくSF的に質の高いアイデアを詰め込んだ作品として評価されることになった。
 著書から選ぶなら、SFと科学という二つのテーマを股に掛けた『新世紀未来科学』(八幡書店、2001年)を代表作としてもいいだろう。この本で金子さんは、軌道エレベーターからナノマシン、反重力に至るまでの、ありとあらゆるSFに搭乗する未来技術を現実の技術開発、さらには関連SF作品とからめつつ紹介していく。金子さんが、SFと科学の両方に対して抱いていた愛と信頼が結実した本である。

 数多い古生物関連の著作からは、最後の単行本となった『ぞわぞわした生きものたち』(SBクリエイティブ、2012年)を選ぼう。恐竜ではなく、三葉虫に代表される古代の節足動物について解説した本だ。金子さんの古生物に対する興味は、恐竜に留まるものではなかった。海棲爬虫類、節足動物、さらにはエディアカラ生物群のような先カンブリア紀の現生生物とどう繋がっているかも判然としない古生物にまで及んだ。その意味では、金子さんは狭い区分に興味が集中する“オタク”ではなかった。生物の世界全体を一気にまるづかみして理解したいと願う、知の探究者だった。

 宇宙分野では、石原藤夫さんとの共著『軌道エレベータ−宇宙へ架ける橋−』(裳華房、1997年。現在はハヤカワ・ノンフィクション文庫から刊行、2009年)を抜かすわけにはいかない。軌道エレベーター(宇宙エレベーター)に関する一般向け解説書としては、世界的に見てもおそらく本書が史上初である。軌道エレベーターというのは、宇宙空間と地上を結ぶエレベーター設備のこと。その実現可能性は、1959年に旧ソ連のユーリー・アルツターノフが指摘した。現在、全世界的に技術的な概念検討が続いている。
 金子さんは、若い時から軌道エレベーターに強い興味を持っていたようで、SF監修で関わったアニメ「宇宙空母ブルーノア」(1979年)で、映像作品としては日本で初めて(おそらくではあるが、世界初の可能性もある)軌道エレベーターを登場させた。その後、2009年に一般社団法人・宇宙エレベーター協会[*1]が活動を開始すると、「日本でもこのような動きが出てくるとは」と大いに喜び、同協会の名誉会員を引き受けて講演活動などを行っていた。

 そんな金子さんの人生の核には、“美食”という大テーマが存在していた。とにかく世界を股に掛けた美味なるものの探究に、尋常ならざるエネルギーを注ぎ込んでいた。私は、海外旅行でクアラルンプールでトランジットすることになり、金子さんに「なにかうまいものありますか」と尋ねたところ、「モノレールのどこそこの駅を下りて、あれこれの角を曲がり三軒目の屋台のチマキです。あれは旨かった!」と言われ、仰天したことがある。「そのチマキに行き着くまでに、いったいどれだけクアラルンプールの屋台を食べ歩いたんですか?」である。
 結果として、美食が糖尿病という形で命を蝕んでしまったのは、残念というほかない。あれほど緻密な頭脳を持ち、きっちり知識を整理していける人が、なぜか自分の健康にはそれほどの管理能力を発揮することはなかった。
 弔問でお会いした弟さんは、「兄は生きたいように生きたのだと思います」とおっしゃっていた。その通りなのだろう。有限の人生のリソースを、どのように使うかは各自の自由だ。金子さんは、自分というリソースをめいっぱい使い切って去って行ったのだと思う。それでも……早すぎますよ、金子さん。まだまだやりたいことがいっぱいあったんじゃないですか?


 公私ともにつきあいのあった金子さんに比べると、富田倫生さんと私との縁は大分薄くなる。直接お会いしたのは一回だけだ。
 日本の電子出版の始まりをどこにとるかは諸説あるだろうが、私はボイジャーが電子ブックを作成するソフト「エキスパンドブック・ツール・キット」を発売した1993年7月を起点として良いのではないかと思う (気がつくともう20年経ってしまったわけだ)。 翌1994年2月、ボイジャーはアップルが開催していた展示会“Mac World Expo Tokyo”で、同キットを利用した電子出版の即売会「エキスパンドブック横丁」を開催した。私は当時パソコン雑誌編集部に在籍していて、個人的興味から電子ブックの売り手として参加した。その日の打ち上げの飲み会で、ただ一度だけ富田さんにお会いしたのだった。熱のこもった口調で「これ(エキスパンドブックのような電子出版)で本という形態の情報流通が、大きく変化しますよ」と語っていたのを覚えている。
 当時、富田さんはなによりも、日本パソコン草創期をテーマとしたノンフィクション『パソコン創世記』(旺文社、1985)で知られていた。が、お会いした印象は冷静なノンフィクション作家というよりも、電子出版の可能性に熱狂する“預言者”だった。その時は知らなかったが、富田さんは慢性の病でノンフィクションを執筆する体力を失っていたのだった。しかし、富田さんの電子出版の将来性への夢と確信は、1997年に至り「日本国内において著作権が消滅した作品をネットで公開する」青空文庫[*2]の運動をスタートさせることになる。
 漢字の導入とひらがな/かたかなの発明以来、我々は大量の日本語の情報を蓄積してきた。それらの情報資産を、うまくネットに移行して、いつでも誰でも閲覧・使用できるようにする――本来は国が文化政策として行うべきことである。しかし、ネット時代を迎えて、我々の政府は驚くほど反応が鈍かった。森喜朗首相がITを「イット」と読み、悪評だけが残ったあの「インパク」が開催されたのは、青空文庫が動き出してから実に4年後の、2000〜2001年のことである。
 青空文庫は、本来は国が組織的に行うべきことを民間のボランティアがより良い形で実現した事例として、将来にわたり記憶されることだろう。様々な困難があったことは、青空文庫の「そらもよう」[*3]を読んでいくとよく分かる。テキスト入力や校正の手順、公開のファイルフォーマット、文字コード、資金繰り――富田さんと青空文庫の関係者は驚くほど粘り強く、あきらめることなく前に進んできた。

 青空文庫トップページの一番下にはつつましく、現在の収録作品数が掲載されている。2013年10月21日現在、その数は「収録作品数:12206(著作権なし:11967、著作権あり:239)」となっている。これが活動開始から17年目の成果だ。その中には夏目漱石、森 鴎外、太宰 治、宮沢賢治、永井荷風、吉川英治、萩原朔太郎などの、今なお読まれるに足る生命力を保った作品も含まれている。
 これがどれだけ素晴らしいことか、私はどんなに高く評価してもし過ぎることはない思う。日本語という言語を維持発展させ、日本語によって培われた文化を未来へつなげていくという意味で、青空文庫は20世紀末のインターネットに起きた奇跡といっていいだろう。いや、奇跡というのは富田さんに失礼かも知れない。富田さんが、電子テキストに見た夢を現実のものにしようと行動した結果が青空文庫なのだから。

 人生の半分近くを病と共に過ごした富田さんの著書はさほど多くない。そして、代表作は青空文庫で公開されている。
 まず、パソコンという道具が日本に入ってきた熱気に満ちた時代をまとめた『パソコン創世記』[*4]だ。1985年に旺文社から出版された、富田さんの代表作だ。
 そして、電子書籍への期待と希望を語った『本の未来』[*5](底本は1997年、アスキー)だ。出版時期からして、これこそが実質的な青空文庫に向けた富田さんのマニフェスト(声明文)といえるだろう。この『本の未来』は、亡くなられた翌日に青空文庫で公開された。自分の死が近いことを知って準備していたのだろう。

 富田さんは、青空文庫にTPPの荒波が襲いかからんとしているタイミングで足早にこの世を去って行ってしまった。TPPでは、アメリカの要求によって著作権保護期間を加盟各国一律に権利者の死後70年とする検討が進んでいる。これが通れば、死後50年を前提に動いてきた青空文庫は大きな打撃を受けることになる。
 私も著作権者のはしくれだが、70年への延長には強く反対する。アメリカの要求は同国コンテンツ産業の度を過ぎた強欲(はっきり書くなら、彼らの態度はキリスト教七つの大罪の一つ Greedに相当すると思う)が顕わになった結果であろう。それは法を楯にした文化への収奪行為である。
 すべての著作は完全に独立して存在するものではない。先人の影響の元に成立し、後進へと影響を及ぼしていく。だから、適切な期間が過ぎた後には公へと還るべきであり、死後70年というのは適切というには長すぎる。私は死後50年でも長すぎ、30年程度が適当ではないかと考えている。

 2013年6月29日に開催された thinkTPPIPシンポジウム『日本はTPPをどう交渉すべきか〜「死後70年」「非親告罪化」は文化を豊かに、経済を強靭にするのか?』が、富田さんが公の場で行った最後の意見表明となった。その様子は YouTubeにアップされている[*6](この動画の27分過ぎから富田さんの発言となる[*7])。「PD(パブリックドメイン)を核にコンテンツ産業が栄えうる。70年への延長で、パブリックドメインに暗黒の20年が訪れる」という指摘を、早急にTPP参加を進める安倍政権は、あるいは霞が関はどう受け止めるだろうか。あるいは蚊に刺されたほどの痛痒も感じていないだろうか。
 しかし、これは日本語文化の死活に関わる大変重大な問題なのだ。政治と行政が文化をくびり殺すのを座視しているわけにはいかないと考える。

 良い仕事をした先達は、後進にとっては鏡だ。

   やさしい人らよ、たづねるな
   何をおまへはしてきたかと、わたしに…
    (立原道造「ふるさとの夜に寄す」)

 しかし誰が尋ねなくとも、自分は自分に問わないわけにはいかない。「彼らほどの良い仕事を自分はしたか、これからできるのか」と。

 さようなら、富田倫生さん、金子隆一さん。


【本文中で紹介したWebサイト】 
*1 宇宙エレベーター協会
 http://www.jsea.jp/
*2 青空文庫
 https://www.aozora.gr.jp/
*3 青空文庫「そらもよう」
 https://www.aozora.gr.jp/soramoyou/soramoyouindex.html
*4 富田倫生著『パソコン創世記』(青空文庫)
 https://www.aozora.gr.jp/cards/000055/card365.html
*5 富田倫生著『本の未来』(青空文庫)
 https://www.aozora.gr.jp/cards/000055/card56499.html
*6 YouTube(thinkTPPIPシンポジウム『日本はTPPをどう交渉すべきか』)
 https://www.youtube.com/watch?v=OsmeGmy0WuU
*7 http://youtu.be/OsmeGmy0WuU?t=27m


【今回ご紹介した書籍】 
◆金子隆一 著『新世紀未来科学
   A5判/340頁/定価3080円(本体2800円+税10%)/2001年2月発行/八幡書店
   ISBN 978-4-89350-395-4(品切れ中)


◆金子隆一 著『ぞわぞわした生きものたち −古生代の巨大節足動物−
   新書判/232頁/定価1047円(本体952円+税10%)/2012年3月発行
   SBクリエイティブ/ISBN 978-4-7973-4411-0
   https://www.sbcr.jp/products/4797344110.html

◆石原藤夫・金子隆一 共著『軌道エレベータ −宇宙へ架ける橋−
   四六判/168頁/定価1650円(本体1500円+税10%)/1997年7月発行/裳華房
   ISBN 978-4-7853-8665-8(品切れ中)
   https://www.shokabo.co.jp/mybooks/ISBN978-4-7853-8665-8.htm
   文庫版/220頁/定価704円(本体640円+税10%)/2009年7月発行/早川書房
   ISBN 978-4-15-050354-3
   https://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/90354.html

◆富田倫生 著『パソコン創世記
   文庫版/222頁/1985年発行/旺文社
   ISBN 4-01-009897-X
   ※本書は青空文庫で公開されています.
   https://www.aozora.gr.jp/cards/000055/card365.html

◆富田倫生 著『本の未来
   四六版/262頁/定価2670円(本体2427円+税10%)/1997年2月発行/アスキー
   ISBN 4-7561-1707-4
   ※本書は青空文庫で公開されています.
   https://www.aozora.gr.jp/cards/000055/card56499.html


「松浦晋也の“読書ノート”」 Copyright(c) 松浦晋也,2013
Shokabo-News No. 293(2013-10)に掲載 

松浦晋也(まつうらしんや)さんのプロフィール】 
ノンフィクション・ライター.1962年東京都出身.日経BP社記者を経てフリーに.現在,PC Onlineに「人と技術と情報の界面を探る」を連載中.主著に『われらの有人宇宙船』(裳華房),『増補 スペースシャトルの落日』(ちくま文庫),『恐るべき旅路』(朝日新聞出版),『コダワリ人のおもちゃ箱』(エクスナレッジ),『のりもの進化論』(太田出版)などがある.ブログ「松浦晋也のL/D


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