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【裳華房】 メールマガジン「Shokabo-News」連載コラム 
松浦晋也の“読書ノート”

禁無断転載 → 裳華房メールマガジン「Shokabo-News」


第19回 新聞記者が書くノンフィクションの面白さと限界

藤原章生 著『湯川博士、原爆投下を知っていたのですか』(新潮社)

『湯川博士、原爆投下を知っていたのですか』  大きな社会的事件が起きると、まずテレビや新聞のニュースメディアが動き、活発な取材を開始する。ある程度時間が経つと、今度はルポライターやノンフィクション作家がより深く題材を掘り下げ、雑誌連載や単行本の形で作品を出し始める。この中に「初動で積極的に取材活動を繰り広げた新聞・テレビ記者の手によるノンフィクション」というジャンルがある。
 面白いことに、ニュースメディア記者の手によるノンフィクションには、共通の臭いがある。まず、大変にきっちりと実地取材をしてあること。記者である以上当然ともいえるが、これは美点だ。ただし、“匂い”ではなく“臭い”と形容したのは、かならずしも良い部分だけではないからである。
 ニュースメディア記者の手によるノンフィクションの一番大きな問題点は、取材対象に対する深い考察が足らず、紋切り型の表現や形容、物のとらえ方に落ち着いてしまいがちなことだ。せっかくきっちりと取材しているにも関わらず、取材で得た情報に対する考察が浅い。
 そう、ニュースメディアの記者は激職だ。日々のニュースを取材したその日のうちにまとめて吐き出さねばならない。新聞やテレビのステロタイプなとらえ方は、「忙しくて、とてもではないが、深く考えているヒマなんかない」という職場の事情に起因している。

 私は2011年3月11日の東日本大震災以降、原子力に興味を持って様々な書籍を読み進めてきた。その中には、ニュースメディア記者の手によるものも多々あったのだが、取材成果と紋切り型の考察との落差が一番大きかったのは朝日新聞の『プロメテウスの罠』(朝日新聞特別報道部 著、学研パブリッシング)だった。緻密でしっかりとした取材の成果を、なぜここまで紋切り型に落とし込むのか――『プロメテウスの罠』は連載といっても、1回の掲載ごとに読み物として完結し、かつ数回でひとつのテーマが終わるスタイルをとっている。紋切り型になってしまうのは、文字数が限られる新聞連載で、1回ごとに“オチ”を付けねばならない制約がかかっているせいもあるだろう。が、それならば、なぜそのような連載形式を採用したのか。『プロメテウスの罠』の連載の形式からは、朝日が紋切り型の記事の落とし方にさほど問題を感じていないらしいことが感じられる。

 ※拙文の本旨からすると余談なのだが、『プロメテウスの罠』にはもうひとつ、一部の項目で科学的知見と異なるトンデモ系のまとめ方がまぎれこんでいる、という問題もある。最近も紙面連載で、蝶に放射線起因の奇形が出ているという、学会では疑問が呈されている論文を肯定的に扱っていた。
 『プロメテウスの罠』は、2012年度日本新聞協会賞、2012年度石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞など、そうそうたる賞を受賞している。共にジャーナリズム内部の賞であることからすると、取材重視、考察軽視はニュースジャーナリズムの宿痾なのかもしれない。

 一方、毎日新聞は少し違ったアプローチを選んだ。ひとりの記者がテーマを自ら選び、新聞小説のように長期の執筆を行う「戦後70年」というシリーズの中で、「原子の森、深く」[*1]という原子力をテーマとした全75回の連載を行ったのである。
 今回取り上げる『湯川博士、原爆投下を知っていたのですか』は、その「原子の森、深く」を単行本としてまとめたものだ。主人公は、科学記者から戦後原子力産業に入り込み、日本原子力産業会議副会長を務めて「フィクサー」とまで呼ばれた森一久(1926〜2010)という人。著者は、「森さん」とさん付けで、人となりを描いていく。著者と森氏は取材を通じて何度となく会っていた。「森さん」という書き口には、単なる取材対象への視線を超えた、森氏への敬愛の念が感じられる。
 森氏は太平洋戦争中に京都大学理学部に進学し、湯川秀樹門下に入り物理学を学んだ。ところが敗戦の年の8月6日、故郷の広島に落とされた原爆で被爆、生死の境をさまよう。戦後、「これからの日本には科学ジャーナリズムが必要だ」という恩師の言葉に従い、科学ジャーナリストとなった森氏は、やがて原子力産業に関わり、その中枢に食い込んでいく。が、70歳を過ぎて森氏は、あるきっかけから恩師の湯川博士は広島へ原爆が投下されることを知っていたのではないか、という疑問を抱く。本書は、その疑問を縦糸に、そして森氏の生涯を通しての原子力への決意と懐疑、期待と失望を横糸に展開していく。
 本書の題からすると、本当に湯川秀樹は事前に原爆が広島に投下されることを知っていたかを追った本に思えるが、実際にはこのスキャンダラスな疑問は本書のバックグラウンドに過ぎない。紙幅のかなりの部分は、被爆者であり原子爆弾に怒りを感じていた森氏が、どのような経緯で原子力産業に関わり、いかなる決意を持って産業界のフィクサーと呼ばれるまでになっていったか。また、その過程の中で、森氏は何を感じ、内心何を感じていたかに割かれている。森氏の心情は複雑にして重く、読み解けるようでなかなか読み解けない。著者は様々な人への取材、そして遺族から提供を受けた森氏の日記を通じて、氏の内心を追っていく。浮かび上がるのは“良心のインサイダー”たらんとした、森氏の立ち居振る舞いだ。自分の信念に基づいてやるべきことをやり、言うべきことをいうほどに、疎まれ、「あいつは反原発だ」と批判されるのである。

 重い読後感を残す本だ。と同時に、本書もまた「新聞記者が書いたノンフィクション」の持つ欠点から逃れていない。本書の欠点は、あまりに人と人との関係や、森氏の内面に重きを置きすぎたために、原子力技術に対する記述が薄くなっていることだ。核分裂反応のような物理現象に基づく科学技術は、物理的な「人以外の世界」と人間社会、あるいは個人との関わりこそが面白い――というのが私の持論なのだけれど、その部分の記述が、本書にはほとんどない。「人もの」に偏りすぎているのである。文学史を描くならそれでもいいだろうが、原子力という科学技術がテーマなのだから、もっと技術と人との関わりを描き込んでほしいところだ。
 ただし、そうなると本書は1段組205ページというコンパクトな形ではまとまらなかったろう。翻訳科学ノンフィクションにありがちな、2段組300ページ超となったはずである。読者へのリーチを考えると、どちらがいいかは難しいところだ。ぶ厚い本はなかなか読んでもらえないのである。


【本文中で採り上げたWebサイト】
*1 「戦後70年・原子の森、深く
  http://mainichi.jp/select/shakai/sengo70/forest/


【今回ご紹介した書籍】 
湯川博士、原爆投下を知っていたのですか −“最後の弟子”森一久の被爆と原子力人生−
  藤原章生 著/四六判/208頁/価格(本体1400円+税)/2015年7月刊行
  新潮社/ISBN 978-4-10-339431-0
  https://www.shinchosha.co.jp/ebook/E024351/


「松浦晋也の“読書ノート”」 Copyright(c) 松浦晋也,2015
Shokabo-News No. 315(2015-9)に掲載 

松浦晋也(まつうらしんや)さんのプロフィール】 
ノンフィクション・ライター.1962年東京都出身.現在,PC Onlineに「人と技術と情報の界面を探る」,日経トレンディネットで「“アレ”って何? 読めばわかる研究所」,日経テクノロジーで「小惑星探査機はやぶさ2の挑戦」を連載中.主著に『われらの有人宇宙船』(裳華房),『飛べ!「はやぶさ」』(学習研究社),『増補 スペースシャトルの落日』(ちくま文庫),『恐るべき旅路』(朝日新聞出版),『のりもの進化論』(太田出版)などがある.Twitterアカウント https://twitter.com/ShinyaMatsuura


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