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【裳華房】 メールマガジン「Shokabo-News」連載コラム 
松浦晋也の“読書ノート”

禁無断転載 → 裳華房メールマガジン「Shokabo-News」


第22回 郊外の街の歴史が証す「昔は良かった」の嘘

舟越健之輔 著『箱族の街』(新潮社)

 昨年末に国土交通省が子育て・介護支援に向けて3世代同居住宅に補助を出すという方針を出してから、どうにももやもやしている。「おじいちゃん、おばあちゃんが同居していた時代は良かった」という懐古主義の結果のように思えるためだ。
 今の安倍政権には「昔は良かった、昔のようにしないと」という意識があるのだろう。国交省の3世代同居住宅への補助も、もとは安倍首相ないしその周辺の発案のようで、2015年11月に安倍首相はスピーチ中で「大家族で支え合う生き方も、選択肢として提案していきたいと考えています」と述べている。

 しかし、だ。
 それぞれの時代の生活のありようは、その時代の状況に適応した結果だ。時代が変われば状況も変わる。そして同じ状況が再現することはまずない。だから単に昔はうまくいっていた手法を踏襲しても、待っているのは失敗のみだ。新しい時代の新しい状況には、新しい手法で適応するしかない。
 家族で支え合うという言葉は美しいが、支え合えばそこには近親者ならではの軋轢も起きるし、嫁姑のような近しいが故の支配と服従の関係も甦る。独立した個人を尊重するという近代の思潮の結果が核家族なら、発生した問題は単純に3世代同居に戻るのではなく、時代に即した新しい手法で解決するほうがずっと有意義だ。

 というようなことを考え、このところ「本当に昔は良かったのか」という視点で資料を読んでいる。今回取り上げる『箱族の街』はその中で見付けた一冊だ。

 「国鉄・高崎線の上尾駅で通勤客が暴動を起こしたんだよ」と聞いて、「ああ、あったあった」と思い出すのは、もう50代から上の世代になってしまった。思い出すことが出来る人は合わせて「順法闘争」「動労に国労に鉄労」といった言葉が口を突いて出てくるはずである。
 1973年3月13日の朝、群馬県・埼玉県方面から東京への通勤路線である国鉄高崎線(現JR東日本高崎線)の上尾駅(埼玉県上尾市)で、通勤列車が動かなくなったことから、苛立った通勤客が暴動を起こした。暴動は午後まで続き、駅の施設は破壊された。ほぼ一日中高崎線は運休となり、逮捕者が7名――これが上尾事件である。当時は上尾暴動とも呼ばれた。
 もちろん、通勤客が怒り狂って暴動を起こすに至るまでには、様々な理由が積み重なっていた。まず、高度経済成長に伴う高崎線沿線の急速な住宅開発があった。周辺人口が増え、高崎線の利用者は急増したが、当時高崎線沿線には東北新幹線を建設する計画が動いており、国鉄は埼玉県をはじめとした自治体や住民に対して、高崎線の輸送力増強は東北新幹線建設とセットであるという態度を取り、高崎線単独の輸送力増強をしようとしなかった。しかも高崎線は首都圏から上越方面へのアクセス路線でもあり、冬から春にかけては、多数のスキー列車が走るために、ただでさえ輸送力に余裕がなかった。結果、高崎線は遅延と運休が常態化していた。
 そこに、国鉄の組合活動が重なった。国鉄の組合活動は込み入った経緯の結果、国鉄労働組合(国労)、機関士の国鉄動力車労働組合(動労)、事務職員を中心とした鉄道労働組合(鉄労)と分裂していた。このうち、国労と動労は、当時国鉄職員には認められていなかったスト権の獲得を目指し、長年に渡って順法闘争を繰り広げてきた。順法闘争とは、仕事の手順をことさらに綿密・丁寧に行うことで業務効率を下げ、結果的にサボタージュと同じ効果を得るという労働闘争の一形式だ。が、これを高崎線で行うことは、人口急増で混雑する通勤電車が一層混雑し、遅延することを意味した。
 1973年初春、遅延・運休が日常化していた高崎線で春闘と共に順法闘争が始まる。ただでさえ大変だった東京への通勤は過酷さを増し、そして遂に乗客の怒りが暴力となって爆発したのである。

 本書の著者は、当時上尾市に建設された公団団地に住んで東京に通勤しており、上尾事件に遭遇した。その後、上尾事件の関係者に取材を重ね、本書を上梓してノンフィクション作家として独立。『災害救助犬「ヤール」の仲間たち』(東京書籍)、『われ広告の鬼とならん―電通を世界企業にした男・吉田秀雄の生涯−』(ポプラ社)などの著書を持つ。
 タイトルの『箱族の街』にある箱族とは、団地に住む人々のこと。箱族の街とは急速に公団団地が造成された上尾市に他ならない。本書は大きく3部構成になっており、最初が新たな団地に引っ越してきた人々の生活と団地自治会結成の経緯、次が本書の中核を成す上尾事件の経緯、そして最後に1974年夏に高校野球全国大会に初出場した埼玉県立上尾高校野球部が地元に起こす波紋を描いていく。上尾という土地に団地と共にやってきた新住民、人口急増が一因となって起きた上尾事件、急速に強くなり周辺住民の期待を集めすぎた野球部がひとつの不祥事によって引き起こす悲劇――浮かび上がるのは、かつて東京郊外のベッドタウンで繰り広げられていた生活そのものだ。

 上尾事件から43年、本書執筆から33年を経た現在における本書の白眉は、緻密な取材に基づく上尾事件の再現よりも、著者自身が体験した1960年代終わりから1970年代にかけての東京ベッドタウンに建設された団地における生活の、詳細な記述である。
 上尾駅西口には肥料工場があり、時折ひどい悪臭を街に流す。急増した人口に商店数が追いつかず、買い物も一苦労だ。団地の旺盛な食料需要を当て込んで、団地内には露天商が多数入り込むが、そこで販売された豆腐から赤痢が発生する。団地で自治会を結成しようとすると、創価学会会員の住人が主導権を握ろうとして悶着を引き起こす。創価学会が折伏大行進という大規模な勧誘活動を展開して、その強引な手法が社会問題となったのは1951年のことだ。1973年から見ると22年前である。
 上尾駅のホームは狭く、階段に至っては幅1.5mしかない。そこに通勤時間帯には数千人が殺到して、遅延が常態となった高崎線を利用する。通勤時の混雑率は200%はおろか300%にも達する。おそらくは極度の疲労のためだろう、近所の30歳になったばかりの住人が脳溢血で倒れて急逝する様子も描かれる。
 駅から団地までの交通機関であるバスも本数が少なく、激混み状態だ。見知らぬ団地住人同士が連れ立ってタクシーを利用する乗り合いタクシーが一般化する。違法行為だが、「やむを得ない」として黙認される。

 それでも著者は、団地に住み、東京に通勤する生活を「快適な日が続いた」と形容する。「新しい鉄筋5階建ての団地の室内は合理的で、広々としたキッチンに明るい部屋の間取り。スイッチひとつで風呂が沸く。そして新しいカーテンに日が照り返る。」(本書p.67)。

 当時の公団団地が本当に広かったはずはない。というのも、公団団地では畳のサイズを小さくして、狭い部屋を広く錯覚させつつスペースを節約するという設計が行われていたからだ。関東地方で標準の江戸間の畳は5尺8寸×2尺9寸(176cm×88cm)、それに対して、団地間と呼ばれる団地用の畳は5尺6寸×2尺8寸(170cm×85cm)なのである。
 著者が「快適」と感じたのは、それ以前、団地以前の日本の普通の住まいや生活様式が、今の目から見るとはるかに劣悪でつらいものであったからに他ならない。「スイッチひとつで湯が沸く」給湯システムは、今でこそ当たり前になっているが、当時は最新鋭の憧れの装備だった。それ以前は、風呂を沸かすにも色々面倒な手順があったし、それどころか「家に風呂がある」ということそのものが、けっこうな贅沢だった。

 本書の記述から見えてくるのは、人間はどんな劣悪な環境であってもそれが日常ならば適応し、その中に「良いところ」を見付ける生き物なのだということだ。そこに、自分の人生の思い出が絡んでノスタルジーの感情が発生すると、「昔は良かった」という言説まではあと一歩である。
 が、実際には日本の近代における人々の生活には、「昔のほうが良かったこと」はあまりない。むしろ、科学技術の進歩、社会インフラの充実、それに伴う社会制度の整備により、人々の生活の質はずっと向上してきた。「昔は良かった」のではなく、昔の劣悪な環境に慣れて生活していた記憶が、ノスタルジーと相まって「昔は良かった」と言わせているに過ぎないのだろう。


【今回ご紹介した書籍】 
箱族の街
  舟越健之輔/四六判/310頁/1983年7月刊行/新潮社(版元品切れ中)
  ISBN 978-4-10-347301-5


「松浦晋也の“読書ノート”」 Copyright(c) 松浦晋也,2016
Shokabo-News No. 322(2016-3)に掲載 

松浦晋也(まつうらしんや)さんのプロフィール】 
ノンフィクション・ライター.1962年東京都出身.現在,PC Onlineに「人と技術と情報の界面を探る」,日経トレンディネットで「“アレ”って何? 読めばわかる研究所」,日経テクノロジーで「小惑星探査機はやぶさ2の挑戦」を連載中.主著に『われらの有人宇宙船』(裳華房),『飛べ!「はやぶさ」』(学習研究社),『増補 スペースシャトルの落日』(ちくま文庫),『恐るべき旅路』(朝日新聞出版),『のりもの進化論』(太田出版)などがある.Twitterアカウント https://twitter.com/ShinyaMatsuura


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