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【裳華房】 メールマガジン「Shokabo-News」連載コラム 
松浦晋也の“読書ノート”

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第26回 阿片ケシ篤農家の生涯と、星一の苦難

二反長半 著『戦争と日本阿片史』(すばる書房)

 前々回前回と星製薬の創業者である星一(ほし・はじめ、1873〜1951)から話を展開したが、星一とモルヒネ(いうまでもなく阿片ケシの未熟果から採取する樹液から精製される)のことがどうしても気になって、『戦争と日本阿片史 −阿片王 二反長音蔵の生涯−』を読んでみた。本来なら一の息子である星新一の『人民は弱し 官吏は強し』(新潮文庫ほか)から読むべきなのかも知れないが、こちらは学生時代に読んで、みっちりと描き込まれた官による陰湿な民間いじめにすっかり参ってしまった記憶があって、どうしてもすぐには読む気になれなかったのである。

 本書は、日本の阿片ケシ栽培の先駆者である二反長音蔵(にたんちょう・おとぞう、1875〜1951)の生涯を阿片栽培の歴史とからめてまとめた本である。著者は音蔵の次男で、1907年生まれ。本名を二反長半二郎といい、長じてから二反長半(にたんおさ・なかば)というペンネームで児童文学者となり、関西で活動した。この本の校正が終わった直後に倒れ、不帰の客となる。つまり、この本は著者の遺著というわけだ。

 清朝と英国が戦った阿片戦争(1840〜1842)の結末を知った日本は、明治維新後、国内の阿片栽培と流通を厳しく禁止した。日本政府が阿片と向き合わねばならなくなるのは、日清戦争(1894〜1895)の勝利で台湾を植民地として得た時からである。台湾には多数の阿片中毒者がおり、供給を一気に断ち切ると反乱が起きそうな情勢だった。反乱が起きれば日本の支配体制の確立は難しくなる。嫌でも阿片を供給しなくてはいけなくなったのだ。
 第四代台湾総督となった児玉源太郎(1852〜1906)は、自ら民生局長に任命した後藤新平(1857〜1929)の策を容れて、台湾における阿片政策の基本ラインを策定する。阿片を専売品として登録した中毒者に販売する。その一方で流通を取り締まり、新規の中毒者の発生を防ぐ。世代交代とともに阿片中毒者は減っていく――漸減策と呼ばれる政策である。

 習慣性・中毒性のある嗜好品を専売品にすれば、政府は潤う。同時に専売に携わる者も潤う。
 大阪・摂津(今の茨木)の農民、川端音二郎は日清戦争直後にこのことに気が付いた。阿片ケシを栽培して政府に買い取ってもらえば、合法的に貧しい農村が豊かになる――彼は何度となく内務省衛生局長であった後藤新平に阿片の栽培許可と政府一括買い上げを求める建白書を提出し、まずは試験栽培ということで自らが栽培する許可を勝ち取る。やがて、裕福な二反長家に婿入りした音二郎は名前も音蔵と変え、阿片ケシの栽培の普及拡大と品種改良に没頭していく。
 音蔵の人生を描くパートは、文字通りの阿片バカ一代記だ。婿入りした二反長家の財産を突っ込んで品種改良に励み、野生種しかなかった日本のケシから良質の阿片がとれる品種を作り出していく。同時に、確立した栽培方法を惜しげもなく人に教え、阿片ケシ栽培を「儲かる、農村を豊かにする作物」として拡げていく。
 周囲に問題が出なかったわけではない。阿片ケシの栽培があれば、政府よりも高く買い取ろうとする密売者も寄ってくる。欲望に負け、密売者に阿片を売って逮捕される農民も出る。音蔵はバカ正直に「専売に応じろ、密売に応じるな」と説いて歩く。
 後藤新平の知己を得、さらには星製薬社長の星一と知り合い、一介の農民では考えられないほどのコネクションを築きつつ、あくまで音蔵は農民としての立場を全うする。やがて満州国が成立すると、音蔵は乞われて何度も阿片の栽培指導に満州に赴くようになる。渡満を重ねるほどに、目的地は奥地になっていく。それは、世界的な阿片流通監視の目を盗んで、政府組織が阿片密売で裏金を作っていたからなのだが、音蔵はそこまで考えない。あくまで「お国のため」と阿片ケシ栽培を進めていく。
 その一方で阿片のもつ暗黒面を、音蔵が知らなかったわけではないようだ。本書には密売人が音蔵のもとを訪れて「あんたの腹一つでいくらでも儲かりまっせ」と直談判する様が描かれている。音蔵は一切そのような雑音を聞き入れなかったそうだ。

 音蔵の一代記は、この本の価値の1/3だ。別の1/3は、一次資料に基づく、日本の阿片闇商売の実態の記述である。著者は、大陸浪人と思しき「祇園坊」と名乗る者の執筆した書簡を入手していた。祇園坊は大正年間に阿片密売に携わっていたが、日本の阿片密売のボスに中国大陸における阿片流通の実態を書き送っていたのだ。
 それによると、日本陸軍が阿片密売のうまみを知ったのは、第一次世界大戦で青島を攻略・占領した時だった。勝利と同時に陸軍は現地の阿片流通ルートも掌握し、1922年に撤兵するまでにかなりの裏金(30万円とも100万円とも)を作ったのだという。なお、撤兵にあたって裏金は協力する中国人の名義で青島周辺の不動産に変換されて塩漬け状態になり、15年後の1937年に始まった日華事変に際して、軍費を充当するため換金されたとのことだ。
 祇園坊書簡に基づく本書の記述は詳細である。大正年間の阿片の闇市場における価格まで出てくる。また、現地の阿片流通には軍を現地除隊した日本人も現地側エージェントとして関わっているともある。軍務経験がある民間人は、軍にコネがあると同時に、事が露見した場合にはシッポ切りのシッポともなる。日本の公的機関が継続的に、闇の阿片流通に手を出していたことは間違いないだろう。
 ただし、祇園坊が観察した時期の青島における阿片の取扱量は、英、仏、露、米、日の順番だったそうで、欧米のあこぎっぷりもなかなかのものである。
 祇園坊書簡には、天津における阿片流通も書いてあって、そこには「星製薬のモルヒネが最上級品として取り引きされている」とある。これは、星新一が『人民は弱し 官吏は強し』で描いた星製薬のモルヒネビジネスが、必ずしもきれいごとのみではなかったことの傍証と言えるのではなかろうか。

 そう、本書の価値の最後の1/3は、音蔵と星一の関係についてである。
 日本は薬用モルヒネの供給をドイツに頼っていたが、第一次世界大戦勃発でモルヒネが入らなくなる。かねてから後藤新平と懇意だった星一は台湾阿片に目を付け、後藤のバックアップを受けてモルヒネの精製に成功する。日本の薬用モルヒネは一手に星製薬が引き受けることとなり、星製薬は大きく成長する。さらに星は、モルヒネ原料の阿片ケシの国産化を画策し、その過程で星と音蔵は知り合った。星は阿片ケシ栽培にいそしむ音蔵を激賞し、鼓舞する。
 やがて、後藤・星のラインはモルヒネ利権を握っていたが故に、後藤の政敵であった加藤高明(1860〜1926)、そして加藤と結びついた第一製薬・三共製薬、さらには星と不仲であった内務省からの激烈な攻撃にさらされることになる。
 攻撃のネタとなったのは台湾総督府と星製薬の癒着だった。
 台湾総督府高官の夫人が組織した婦人慈善会という組織が、星製薬の株式を大量に持っていたのである。創業者の星一の持ち株が3572株、対して婦人慈善会の持ち株は3200株。大変な量だ。これが「利益供与ではないか」と1918年(大正7年)末から翌年にかけての第41期帝国議会において憲政会から追及されたのだ。
 音蔵は星の苦境に胸を痛め「公正明大にやらねばならん」と星に書簡を送ったという。が、星からの返事はなかった。本書によると、この騒動の直後に星製薬株主リストから、婦人慈善会は消えているとのこと。どうもこの婦人慈善会は、星一が裏で動いて設立させたものらしい。受け皿もお膳立てしての株式譲渡なら、完全な利益供与である。
 これに「阿片事件」が追い打ちを掛ける。1921年(大正10年)、横浜税関に100トンを超える精製前の阿片が星製薬の所有物として置いてあるのが見つかったのだ。星の側からすると「税関は慣習として国内法の適用を受けない」ということで、関係官庁に話を通した上で置いていたものだったが、「星が違法の阿片を国内に持ち込んだ」ことになり、一大裁判となってしまった。最終的にこの件は星の無罪となるが、これにより星製薬は大きな打撃をうけた。
 本書が描く星一と星製薬の苦難はここまでである。その後、1924年(大正13年)に加藤高明が内閣総理大臣に就任して、星製薬にはより一層の圧力がかかるのだが、おそらくは二反長音蔵とは関係なしということで割愛したのだろう。

 本書の記述だけで、明治から昭和に至る日本の阿片ビジネスがすべてわかるわけではないだろう。後藤新平発案の台湾における漸減策も、どうもなにか裏があったような雰囲気がある。扱う題材が題材だけに、本書もすべてを正直に書いているかどうかはわからない。それでも、私にとっては色々知らないことが多く、大変ショッキングな一冊だった。
 特に、第一次世界大戦時の青島から、日本陸軍の阿片を巡る闇商売が始まっていたというのは、驚きだ。阿片王・里見甫(さとみ・はじめ、1896〜1965)に代表される、阿片を使った軍部の裏金作りは大正時代から始まっていたのである。
 その闇と欲望の渦の中心にいながら、愚直に篤農家としての立場を貫きとおした二反長音蔵もまた、特異な人物だと言わねばならないだろう。本書の記述には息子である著者のひいき目も入っているかもしれないが、少なくとも70歳近くにもなって、阿片ケシ栽培指導のために満州奥地に赴く音蔵の姿勢は、強烈な無私の精神を感じさせる。

 その無私の善意が、阿片の害悪の直視には向かずに、魅力的な換金作物としての阿片ケシ栽培に向かった理由を、本書は教えてくれない。「音蔵には教養がなく、視野が狭かったのだ」と言ってしまえばそれまでなのだが、私はそれだけが理由とは思えない。なにしろ、本書で描かれる音蔵は、非常に聡明な人物なのだ。
 読後、心に残るのは、人間の精神が時として見せる、奇妙な歪みなのである。


【今回ご紹介した書籍】 
戦争と日本阿片史 −阿片王二反長音蔵の生涯−
  二反長半 著/A5判/222頁/1977年8月刊行/すばる書房


「松浦晋也の“読書ノート”」 Copyright(c) 松浦晋也,2016
Shokabo-News No. 329(2016-11(1))に掲載 

松浦晋也(まつうらしんや)さんのプロフィール】 
ノンフィクション・ライター.1962年東京都出身.現在,日経ビジネスで「宇宙開発の新潮流」,日経テクノロジーで「小惑星探査機はやぶさ2の挑戦」を連載中.主著に『われらの有人宇宙船』(裳華房),『飛べ!「はやぶさ」』(学習研究社),『増補 スペースシャトルの落日』(ちくま文庫),『恐るべき旅路』(朝日新聞出版),『のりもの進化論』(太田出版)などがある.Twitterアカウント https://twitter.com/ShinyaMatsuura


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