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「生物の科学 遺伝」 2004年5月号(58巻3号)


特集 学習・教育と脳科学


特集にあたって


小泉英明


 脳科学の最近の進展はめざましい.ひと昔前には,とても信じられなかったようなことが起こっている.
 私たちの脳の構造だけでなく,その働き,すなわち精神活動さえも実証的に少しずつ明らかになってきた.
 デカルトは「われ思うゆえにわれあり」と言った.この“われ思う”のは,とりもなおさず私たちの脳である.

 先端科学技術は,生きた人間の脳をイメージングできるようにした.
 バイオ隆盛の昨今にありながら,2003年のノーベル医学生理学賞は,磁気共鳴イメージング装置(magnetic resonance imaging:MRI)の画像化方法の開発に与えられた.物理学賞あるいは化学賞のほうがより近いのに,医学生理学賞が授与されたことにも大きな意味がある.
 生きたままの私たちの脳を知ることによって,今後に得られる知見はほとんど無限であろう.

 脳の計測を仲立ちとすると,自然科学と人文・社会科学の諸分野を橋渡しすることができるようになる.
 21世紀の学問分野や産業分野は,大きく異なった分野間の新鮮な出会いと共に,互いに手と手を携えることによって進むことになる.
 学習や教育の分野も,脳科学との出会いによって思いがけない展開が始まった.

 この特集では,文部科学省 科学技術振興機構の「脳科学と教育」研究プログラムを進めておられる9名の代表研究者の方々にご執筆いただいた.
 数多くの優れた研究提案の中から,選考委員会によって最終的に選ばれた先生方であるから きわめてご多忙である.
 それぞれの分野で大活躍をしておられる合間をぬって原稿を準備下さったことに,まず,深く感謝申し上げたい.

 脳科学の知見はともすると誤解されやすい.
 最近は神経神話(neuro-mythology)という言葉も生まれた.
 脳科学を標榜しながら,単なる憶測・希望的観測の域をでないものも少なくない.
 私たちは,現時点で分かっているものと分かっていないものを明確して,あくまでも実証的論拠をもとに社会問題への取組みを進めていきたいと考えている.

 この特集では,最初にわが国独自の研究プログラム「脳科学と教育」の概要と経緯を書かせていただき,その後に,比較的基礎的なものから,社会応用の色彩の濃いものへと順次並べさせていただいた.
 最初は真鍋俊也先生による記憶の分子機構の解説から始まり,最後は川島隆太先生による学習療法の解説に終わっている.
 もし,現実世界の応用に,より興味をもたれる方は,後ろから読んでいただいてもよいかもしれない.
 読まれた方々は,それぞれの論文に斬新な視点を感じられるのではないかと思う.
 また,特集の最後に定藤規弘先生が,脳機能イメージングの概説を付加してくださったので,手法についてはそちらを参照されたい.

 現在の日本では,どうしても欧米追従型とみられる研究が多い.
 日本では独創研究が少ないといわれるが,必ずしもそうではない.
 最初に日本からアイデアをだしていても,競争の激しい海外では,論文の引用文献から意図的にはずされていく傾向がある.そのうちに主客転倒してしまうことも多い.

 「脳科学と教育」は,純粋に日本発の研究領域である.科学技術振興機構が新技術開発事業団と呼ばれていたころからの10年近い地道な努力の延長線上にある.
 このような背景もあって,初めの概論には我田引水の点もあろうが,ご容赦いただければ幸甚である.

 日本は天然資源に乏しく,国土が狭く,そして人口密度が高い.
 また,日本語という欧米の言語から遠い特殊な言語を用いている.
 これらの特殊事情からすると,広義の学習・教育概念のもとに,すべての人的資源を生かしきる新・教育立国にしか道はないことは明らかである.

 今回の特集は,東京大学の石浦章一先生が「脳科学と教育」をご推薦くださったことがきっかけと伺っている.深く感謝して本稿を終えたいと思う.

(こいずみ ひであき,科学技術振興機構)

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