第52回 阿片で得た裏金はどこにいったのか
『昭和の妖怪 岸信介』(岩見隆夫 著、中公文庫)
『巨魁 岸信介研究』 (岩川 隆 著、ちくま文庫)
前回書いたように、中国大陸での阿片密売ビジネスの上がりが、敗戦後に日本の政治に流れ込んだルートがひとつはっきりと判明している。フィクサー・児玉誉士夫(1911〜1984)のルートだ。
児玉は戦時中、海軍航空本部の物資調達を請け負い、巨利を得た。扱う物資の中には阿片も入っていた。1945年(昭和20年)、敗戦必至の情報を得た児玉は、その利益を宝石や金に換えて日本に持ち帰り隠匿した。戦後、日本における反共政権の樹立を目指した児玉は、そのカネの一部を鳩山一郎(1883〜1959)に渡して支援する。1954年に鳩山は内閣総理大臣に就任するが、国会は混乱し、1955年に鳩山率いる日本民主党と吉田茂(1878〜1967)らの自由党が合同し、現在に続く自由民主党が成立した。
実はこのようなルートは他にもあったのではないか。もっと何本もルートがあって、戦後保守政治は、戦前・戦中の国ぐるみの阿片密売のカネの上に成立しているのではないか。保守合同のような大規模な政界再編にはかなりの政治資金が必要だろう。それは誰がどんな意図で出したのか。当時の財界が出したのは間違いないが、本当にそれだけか?
……と、まあそんな疑問を持ってしまった。もちろんこれは現時点では証拠のない疑問でしかない。ひとつ間違えば陰謀論の闇に落ち込む危ない疑問といえるだろう。とはいえ、だ。
都道府県立図書館レベルの図書館で蔵書を検索し、関連図書を片っ端から読むと、かなりのことが分かる。私はこのことを、阿片に関する読書で身をもって知った。
日本の戦後保守政治に後ろ暗いインモラルな阿片の裏金はどれほど流れ込んだのか──さて、この疑問を読書だけでどこまで解き明かすことができるだろうか。
ここまでの読書で、日本陸軍が第一次世界大戦の青島攻略で現地の阿片流通ルートを掌握し、現地で阿片を商って裏金を作るようになったことが分かっている(第26回参照)。陸軍の阿片密売は拡大し、上海では「阿片王」里見甫(さとみ・はじめ;1896〜1965)を使って阿片をさばくようになる。本連載では直接取り上げなかったが、私は連載の本の選定のために、このあたりの本も大分読み漁った。以下、まずその内容をまとめてみよう。
里見の扱った阿片は、陸軍が外交特権を利用しトルコ・ペルシャ方面から三井物産に密輸させたものだった。里見は上海に宏済善堂という商社を設立し、実質的なトップに就任する。宏済善堂は、上海マフィアの青幇(チンパン)に阿片を流し、青幇が末端の阿片窟に売りさばいた。里見は大変中国語が堪能だった。中国人は、国家を信じず親族と仲間の団結で生きる。里見には、そんな中国人の間に入り込んで強固な信頼関係を作る能力があった。
この上がりが陸軍の裏金になったわけだが、里見が金に恬淡とした性格であったために、莫大な手数料が宏済善堂に蓄積された。一説によると売上げの半分が陸軍の裏金、1/4が青幇の取り分、最後の1/4が宏済善堂の手数料として配分されたという。ちなみに青幇は、日本と敵対する蒋介石(1887〜1975)の国民党とも通じていた。日本陸軍の密輸する阿片の利益の一部は、青幇経由で敵である国民党に流れていたのだ。もうなにがなんやらである。
ちなみに、敗戦後、里見や児玉といった日本の阿片関係者は東京裁判での起訴を逃れた。これは、日本の阿片関係者を起訴すると、国民党にも累が及ぶことになるとアメリカが判断したためらしい。当時、国民党は毛沢東率いる中国共産党と内戦の真っ最中で、アメリカは国民党を支援しなければならない立場だった。
当然だが、上海の青幇はアメリカの諜報機関OSS(Office of Strategic Services:後に改組されてCIAになる)ともコネクションを持っていた。だから、ひょっとするとOSSにも日本陸軍の商う阿片の上がりは流れ込んでいたのかも知れない。
トルコ・ペルシャ方面からの阿片は、1941年12月の日米開戦で輸入できなくなる。代わって流通するようになったのが、陸軍が満洲各地の直轄の農場で栽培した阿片である。大阪・摂津の篤農家である二反長音蔵(1875〜1951)が、せっせと栽培技術指導に通った農場である(第26回参照)。日本は敗戦時に大量の書類を焼却しているのでもはや分からないことのほうが多いのだが、上海の里見甫・青幇ルートとは別の販売ルートを、陸軍が持っていたことは間違いない。それは第一次世界大戦時の青島攻略にルーツを持つもので、現地除隊した旧陸軍関係者が関与していたのは間違いないだろう。
おそらくはそちらのルートのトップ、ないしトップに近い地位にいたのが、甘粕正彦(1891〜1945)である。関東大震災に乗じてアナーキストの大杉栄を殺害した甘粕事件で有名な人物だ。事件で短期服役した後に満洲に渡り、関東軍で通称「甘粕機関」という組織を作って謀略を担当。満州事変から満州国建国にあたって裏工作を行った。この裏工作の原資が、どうも阿片ビジネスの上がりだったらしい。戦時中は満州映画協会(満映)の理事長という軍とは直接無関係の地位にあったが、かなりのカネを動かし満州国に隠然たる影響力を及ぼした。
ここで、話を整理しよう。
阿片販売ルートを押さえていたのは、里見甫、児玉誉士夫、甘粕正彦の3人。他にもいたのかも知れないが、歴史の表に名前が出てくるのはこの3人だ。彼らのところに阿片ビジネスの上がりが蓄えられたと考えられる。児玉は大々的に阿片を扱っていた陸軍ではなく海軍の物資調達担当で、阿片については里見に供給をねだっていたという話もあるので、おそらくこの三つの中で一番小さい。甘粕は基本的に阿片からの上がりを溜め込むのではなく、満州国建国や汪兆銘政権の維持といった一定の政治目的や謀略を遂行するために自分で使っていたように見える。戦時中はカネを満映にどんどん突っ込んでいたようなのだが、敗戦時に社内現金をすべて社員に配って自決した。辞世に「大ばくち 身ぐるみ脱いで すってんてん」というふざけたとも自虐ともつかない川柳を残していることからも、このルートから敗戦日本に持ち込まれたカネは、たとえあったとしてもそう多くはないと推定できる。
残るは里見の宏済善堂に蓄積された裏金だ。里見は青幇とつながっていたし、青幇は国民党やアメリカのOSSともつながっている。諜報機関のOSSだって領収書の要らない現地通貨の裏金は秘密工作に便利なわけで──つまり里見は、敗戦後も付け届けと交渉次第で、いくらでも財産を大陸から日本へと動かせるポジションにあったわけだ。個人の信義を徹底して重んじる中国人は、一度信用した者に対して敗戦ぐらいで手のひらを返すことはない。
青幇を通じれば宝石や貴金属に交換可能だったろうし(児玉誉士夫が使った手段だ)、それこそ里見⇔青幇⇔OSSの流れで当時最強の通貨だったドルに交換することだってできただろう。
では、陸軍の裏金とは別に、彼ら3人の溜めたカネを使う側にいたのは誰か。満州国の実力者と噂された「二キ三スケ」だ。陸軍の東條英機(1884〜1948)、大蔵省から満州国に転じた官僚トップの星野直樹(1892〜1978)、鮎川財閥(後の日産グループ)のトップで満州重工の社長だった鮎川義介(1880〜1967)、そして岸信介(1896〜1987)、満州鉄道総裁を務めた松岡洋右(1880〜1946)である。このうち岸、鮎川、松岡は親戚・姻戚関係でつながっている。
東條英機は戦後の東京裁判で死刑になり、松岡洋右は東京裁判の最中に病死した。星野直樹は同じく東京裁判で無期懲役となって、1958年に出獄。その後いくつかの会社の経営者として1978年まで生きた。鮎川義介は、東京裁判では不起訴になり、参議院議員となり後半生を生きた。岸信介の内閣では経済最高顧問を務めている。岸信介はご存知の通り東京裁判では不起訴になって政界に復帰、内閣総理大臣となり、その後も自由民主党の重鎮として影響力を保持し続けた。
つまり戦後政治に中国での阿片ビジネスの裏金を引き込むとしたら、星野、鮎川、岸の3人に可能性がある。このうち星野はかなり長く投獄されていたので、その間に戦前戦中に築いたコネクションが弱体化していた可能性が高いだろう。また、出獄後の地位(東京ヒルトンホテル副社長、東京急行電鉄取締役、旭海運社長、ダイヤモンド社会長)からすると、献金する側であっても、政治の内側にまで積極的に手を突っ込んだとは考えにくい。
──と、安楽椅子探偵よろしく思考を巡らすに、読書としては、裏金を貯める側として里見甫、裏金を政治に使う側として岸信介と鮎川義介、なかでも首相まで務めた岸を想定し、読書していけば良いということになる。
では、まずは岸信介関連の本を読んでいくことにしよう。
というわけで、やっと今回取り上げる本にたどり着いた。政治家を調べる場合、同時代のジャーナリストが書いた本を読むと、手早く全体像を概観することができる。同時代だとまだ記憶鮮明な関係者に直接インタビューすることができるし、場合によっては政治家本人からも話を聞くことができるからだ。もちろん時代が近いが故に隠蔽される事実もあるわけだが、それは後世の視点から複数の本を突き合わせていくと、それなりに「なにかあるな」と見えてくる。今回取り上げる2冊はそんな本だ。
『昭和の妖怪 岸信介』の著者・岩見隆夫(1935〜2014)は、毎日新聞の名物政治記者にして政治評論家。この本は、1977年に「文藝春秋」誌に掲載した二つの岸信介関連記事をつなぎ合わせたものだ。私は1979年刊行の底本(書誌情報欄参照)を入手して読んだ。
いかにも記者の仕事で、フットワーク軽く様々な人に会って証言を引き出していく。なにしろ当時まだ存命だった星野直樹にまで会いに行くのだ(さすがに星野夫人に「病床にあるので」と面会を断られている)。
1970年代半ばに存命だった関係者の口から語られるのは、官僚として政治家としての岸の豪腕っぷりと、親しい人も目的達成のために切り捨てるドライさ、そして目的のために事の善悪を問わぬ没倫理っぷりだ。それは、特に1936年10月から1939年10月にかけての、満州国に赴任していた時代の記述に色濃い。
岸の満州時代の金遣いに関連して、阿片関連の記述も出てくる。岸はがんがん決済不要の金を部下や関係者に渡して仕事を進めた。甘粕が金が足りないというので、岸が巨額の資金を融通したなどという話も出てくる。事実なら、岸が握った資金源が甘粕の資金源とは別ということの証拠だ。ここで、岸の、さらには東條英機の資金源として名前が出てくるのが里見甫である。ああ、やっぱり、という感じだ。
岩見が会う岸の関係者は、みな阿片に関しては口が重い。その中で満州国における岸の側近だった古海忠之(1900〜1983)は語気を荒げて「アヘンは私と里見がすべて取り仕切っていたのであって、甘粕も岸さんもまったく関係ないのだ」(底本p.77)と主張する。ところが、そんな古海も阿片ビジネスの詳細を語らない。今の視点からすると「古海という人は岸の言う濾過器として働いたのだな」という感想になる(前回引用した岸の発言を参考のこと)。岩見もまた「大蔵省から出向し、最後は(松浦注:満州国の)総務庁次長まで務めた古海が、中国全域でアヘンの総元締めをやっていた里見と「相棒だった」ということは二つのルート(松浦注:里見がさばいた輸入阿片と、満州国内で栽培された阿片の二つのこと)が、結局は「満州国」政府という一本の糸でつながっていたことになる」(p.77〜78)と書く。
古海のこの発言は大変な驚きだ。満州国官僚のトップまで務めた古海が自ら阿片を扱っていたと明言しているのだ。ということは、満州国は表向きの「五族協和」とはほど遠い、その五族に阿片を売って帳簿外の裏金を作る国家だったということだ。しかも、その簿外の金を使ったのは日本陸軍だったから、満州国は独立国の格好をしつつも、実は日本陸軍の出店のような傀儡国家であると、その元トップが公然と認めたということである。
岸をかばうあまりの失言だったのかもしれないが、もし失言だとしたら、それは失言をしてまでかばわねばならぬほど、岸が阿片の裏金に深く関与していたということでもある。
岩見は、関係者から「岸は満州の阿片密売の中から、間に人を挟んできれいな金だけを受け取るノウハウをつかんだ」さらに「満州時代、高級官僚の岸と満州国通信社を運営していた里見は、取材する側、される側として知り合った」という話を聞き出す。その上で岩見は、千葉県市川市にある里見の墓に刻まれた文字は岸信介が書いたものだと記す。墓に揮毫を寄せるというのは、里見と岸がただならぬ関係、それも岸が里見に恩義を感じるという関係であったことを意味する。
もう一冊『巨魁 岸信介研究』の著者・岩川隆(1933〜2001)は、ノンフィクション作家。サラリーマン向け週刊誌の勃興した1960年代に、ノンフィクション・ライターと作家の二足のわらじで活躍した梶山季之(1930〜1975)のスタッフとして修行を積み、その後独立して戦争物や競馬物、スポーツ物のノンフィクションを多数執筆した。
この本の内容は、1976年から講談社の「月刊現代」誌に10回にわたって連載されたもの。こちらは、戦前の岸よりも、1957年に内閣総理大臣の地位に就いた後の岸に焦点を当てている。特に、1956年から始まった航空自衛隊の戦闘機選定問題──第1次FX問題──と、日本の戦後賠償を巡るインドネシアとの交渉とそこから甘い汁を吸う政商、そしてそれら政商と岸との関係の記述は、大変興味深い。いや、興味深いというより「こんな後ろ暗いことやっていたのか!」と顎が外れるような記述の連続である。
私の世代は中学生でロッキード事件の直撃を受けており、「政治というのは一体何をやっているのだろう」という不信感を持った経験がある。が、実はロッキード事件の前にはFX問題があり、日本国の航空機大量購入と政治汚職の関係は、FX以降ずっと続いてきたのだった。FX問題には児玉誉士夫も米ロッキード社を推す形で介入している。児玉はロッキードから金を受け取って同社のエージェントして動いていたのだ。これが後のロッキード事件の伏線になるのである。
この本の記述から分かるのは、首相就任後の岸には、FX絡みか戦後賠償絡みの金、それも十分にロンダリングされていて岸が使っても問題にならない金が入ってきて、潤沢に政治資金を使えるようになったということだ。実際1958年に、岸は熱海に豪華な別荘を建てている。「後に井戸塀しか残らない」と言われたぐらい、政治にはカネがかかった。だから政治資金が十分でないと別荘の建築などできない。ここまで来ると、岸が満州の阿片絡みの裏金を当てにする必要性は薄れる。
つまり、岸が満州の阿片資金を必要としたとすれば、首相就任以前。かつもっとも政治資金を必要とした時期ということになる。つまり、1954年に日本民主党の幹事長に就任して党全体の政治資金を差配するようになってから、1955年の保守合同にかけて、さらに翌1956年に保守合同で成立した自由民主党の総裁の座を石橋湛山(1884〜1973)と争ったあたりだ。
ここまで、里見甫、岸信介ともに真っ黒だ。が、すべて状況証拠であって、「中国大陸の阿片密売で得た裏金が、児玉誉士夫以外のルートでも戦後保守政治に政治資金として流れ込んだ」と言い切るには弱い。なにしろ「政治資金は濾過器を通す」ロンダリング上手の岸信介だ。そう簡単に決定的証拠が見つかるものでもないだろう。
というわけで、この話続きます。
【今回ご紹介した書籍】
『昭和の妖怪 岸信介』
岩見隆夫 著/文庫判(中公文庫)/280頁/定価838円(税込み)/
2012年11月刊/中央公論新社/ISBN 978-4-12-205723-4
https://www.chuko.co.jp/bunko/2012/11/205723.html
※本書の底本は田尻育三名義で1979年5月、学陽書房刊。
『巨魁 岸信介研究』
岩川 隆 著/文庫判(ちくま文庫)/320頁/定価880円(税込み)/
2006年9月刊/筑摩書房/ISBN 978-4-480-42252-1
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480422521/
※本書の底本は1977年11月、ダイヤモンド社刊。
「松浦晋也の“読書ノート”」 Copyright(c) 松浦晋也,2021
Shokabo-News No. 372(2021-11)に掲載
【松浦晋也(まつうらしんや)さんのプロフィール】
ノンフィクション・ライター.1962年東京都出身.現在、日経ビジネスオンラ
イン「Viwes」「テクノトレンド」などに不定期出稿中。近著に『母さん、ごめん。−50代独身男の介護奮闘記−』(日経BP社)がある.その他、『小惑星探査機「はやぶさ2」の挑戦』『はやぶさ2の真実』『飛べ!「はやぶさ」』『われらの有人宇宙船』『増補 スペースシャトルの落日』『恐るべき旅路』『のりもの進化論』など著書多数.
Twitterアカウント https://twitter.com/ShinyaMatsuura
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