第14回 Eureka! 〜眠りの中で〜
大野 泰生
数学の研究をはじめると,何か月もいや何年も,$1$ つの問題を考え続けることがしばしばである.年中ずっと単調に計算を進めてゴールにたどり着くというような研究はどちらかというと少なく,多くはいくつもの壁にぶつかり何度もの停滞や撤退を繰り返しながらそれらの壁を突破しあるいは回避して,ゴールにたどり着くものだ.
そういった突破の場面はどのようにして訪れるのだろうか.様々な突破の場面があると思われるが,今回はひらめきに絞った個人的な経験を記そうと思う.
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「ひらめいた」とか「解けた」と思ったけれど失敗だった,という話は山のように存在する.数学者が集まるとしばしば,そういった話題になる.
酒を飲みながら研究の計算を続けていると,いつのまにか深酒になっていて,難しいはずの計算がスラスラ進むようになり,問題が一気に解決する.ところが翌朝,酔いの醒めた目でノートを見直すと,ポイントとなる計算で大ミスを犯していて,その後の計算はまったく無意味だったことがわかる,といった話であって,「酔って計算するとダメだね.その時は気分よく計算して,幸せな気持ちで眠れるのだけれど.」というのが一般的な結論だ.妄想の深みへどっぷりと浸かってしまうのだ.中には,数学界を震撼させる驚異の新理論の発見が目覚めとともに消え失せた,などの話もある.
私も,押し寄せる睡魔をこらえて計算し続けた結果,懸案の問題が解決し,その興奮で眼が冴えたので,さてと再計算をしたところ,
比較的序盤で大間抜けな勘違いをしていたことがある.
数学者はしっかり眠らないといけない.そしてまた,没頭する時間が大切である.
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実は私には一度だけだが,寝ている間にひらめきが訪れたことがある.
大学教員になる直前の冬を私は二度目のドイツ滞在で過ごしていた.そのときの私は,多重級数に関してアメリカの研究者が考え出した
$1$ つの予想関係式を証明することに尽力していた.連日たくさんの時間をずっと $1$ つの問題に捧げていた.
寝ても覚めても $1$ つの問題を考える,という状態を,四六時中その問題を考えていることだとするならば,このときは少し異なり,研究所で同僚と議論しているときはそちらの課題に集中しているし,寝ている時も深い眠りを得て,しっかりと日々の疲労を癒せている感覚があった.しかし,そういった友人との議論や会食の場,そして講演準備などの時間を除くと,起きている時間のほとんどをただ $1$ つの問題に費やしていた.
こういう生活を続けると俗世間の諸事からどんどん興味が薄れていって,本来気にすべきことも気にならなくなるものだと思う.そのかわりに,通常はじっくり考えないと判断のつかないようなことがたちどころに判断できたり,飛躍的に理解できるようになっていくようだ.このときの私は,研究対象としていた多重級数に関する感覚がどんどん鋭敏になっていった.別世界の感覚が身についていったのだ.
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そういえば高校時代,私はバレーボールに夢中になったことがある.来る日も来る日も,休み時間のほとんどをバレーボールに費やした結果,
バレーコートで上空のボールを見上げながら動き回り,どんなに体をひねろうとも向きを変えようとも,コートのラインとネットの位置が常にはっきりとわかるようになった.熱中して打ち込んでいると特殊な感覚が身についていくのだろう.
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その日も研究所からの帰途に夕食を済ませ,下宿として借りた民家の屋根裏部屋(といっても,シャワーつき2DKだが)へ帰り,
居間の窓下のスチーム暖房をつけて部屋をあたため,$3$ 時間程度この問題について研究を続けた.テレビも何もない真冬のドイツの夜,階下の人の気配を除けばまったくの静寂である.
これまでの取り組みの中で,最初に試みた古典的な級数操作の方法では活路を見出せず一旦あきらめており,その後,多重積分を用いる方法,非可換多項式環の上で考える方法,そして母関数を構成する方法なども試みたがなかなかうまくいかず,ふたたび級数を扱う直接的な方法へと立ち戻っていた.そしてこのときは,証明の道具として,関係式への橋渡しになるような変則的な級数の導入を模索していた.
静寂の中,いつものように試行錯誤に没頭し,いくつ目かの試行が破たんしたところで暖房を切り,熱いシャワーを浴びて頭部から背中にかけての力みをゆるゆると解きほぐしてから,深夜の床についた.日中の疲れからすぐに深い眠りが訪れた印象だったのだが,床についた $1$ 時間ほど後,どうしたことかその眠りの中で突如,異変が起こった.真っ暗闇の中,心地よくベッドに横たわりぐっすりと眠っていたはずなのだが,ある見覚えのない級数が脳裏に現れて,直感的に「あれ?解けた!」と感じた途端,目が覚めたのだった.
通例,ここで我に返って勘違いに気付いたり,級数の姿が薄れて消滅しそうなものだが,不思議とその時はちっともそんないぶかしさも感じず,あざやかなままの記憶にある種の確信があった.すぐさま寝室を出て,居間の明かりと暖房をつけ,大きなソファーにあぐらをかくと,テーブルに身を乗り出すようにして,いま眠りの中で現れた新たな級数を紙に書きつけて,イメージのあるとおりに計算を始めた.この級数で「解けた」と感じた感覚に狂いはなく,数回の視点を変えたチェックを経て $1$ 時間余りで,解けていることを確認し終えた.それから手早く身支度を整え,午前 $4$ 時の深夜運転のトラムに乗って研究所へ向かった.研究所のパソコンで論文様の文書に書き起こすためである.残り数日となった研究所滞在中に書き上げなければならない.
◇ ◇ ◇
不思議なのは,この鍵となった変則級数に私が気付いたのはいつなのか,である.ノートを使わず頭の中だけで操作するには変則級数の式変形は,少なくとも私にはやや複雑であり,起きてノートに向かっている間にできないことが,ぐっすり眠っている間にできるとはなかなか考えにくい.日中すでに脳裏にあったのだろうか.あるいは本当に眠っている間に脳が勝手にどんどん検討を突き進めたのだろうか.
研究所の同僚たちも察しが良い.朝から研究所でパソコンに向かって,休まず文書を打ち込んでいる私の様子から感づいて,まったく声をかけてこない.毎日交わしている挨拶もしてこないし,昼食にも誘いに来ず私抜きの普段のメンバーで行ってくれた.ほとんど何も食べず誰とも会話せず夜までかかって打ち上げた論文様の書類を,この研究課題をよく知る所長に見せに行くと,即座にあの変則級数に目をとめて「これはいい!」と褒めてくれた.
ようやく一息ついた私に,待ち構えてくれていたオランダ人の友人が話しかけてきた.
「いや,あの様子を見ればすぐわかるよ.今朝ひらめいたんだろ? “Eureka”おめでとう.」
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アルキメデスが王冠の体積を求める方法を入浴中に思いつき,「ヘウレカ!(Eureka!)」と叫んで裸のまま通りに駆け出したというエピソードは有名である.
ある日本人数学者は,大学キャンパスから外へ続く坂道を歩いている時に突然ひらめき,大きな問題の解決につながったという.
いつどこで Eureka が訪れるかはまったく定かでない.われわれはただひたすら考えるしかないのだ.考えて考えて,情熱を傾けて考え続け,その世界の感覚を身に纏うまで考え抜いてようやく,Eureka が巡ってくるかもしれないその場所に立てるのだろう.
(2016/12/7掲載)
(イラスト:マエカワアキオ)
※ 次回(第15回)は2017年2月1日(第1水曜日)に掲載いたします.どうぞお楽みに!
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