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  第3回 サイン・コサイン・タンジェント  

谷口 隆    

 8月の終わりに,とある県の首長が教育会議で,「女性委員には怒られるが」と前置きした上で「高校教育で女の子にサイン,コサイン,タンジェントを教えて何になるのか」「社会の事象とか植物の花や草の名前を教えた方がいい」と述べたというニュースがあった.もちろん即大騒ぎとなり,首長氏は翌日釈明の上で発言を撤回した.これが撤回で済むというのも不思議だが,まぁとにかく,女性だから三角関数を教える意味がないというのは到底容認できない考え方だ.とはいえヒートアップするばかりでは今ひとつ生産的でなさそうなので,気を取り直して少し冷静に考えてみる.
イラスト  突き詰めれば結局,どこかで “三角関数を学ぶ意義” も問題になるだろう.男女差別の観点からは例えば,朝日新聞デジタルの『WEBRONZA』で高橋真理子さんにより論じられているので,それは少し脇に置こう.三角関数はこれまでも,「数学なんて何の役に立つのだ」と批判されるとき幾度となく犠牲になっているので,数学関係者としては,三角関数の名誉回復も考えたい.サイン・コサイン・タンジェント――あれは何のために学ぶのだろうか.

◇   ◇   ◇

 気候の移り変わりに思いを向けてみよう.私の住む神戸でも,涼しくて過ごしやすい季節は名残惜しく終わろうとしている.ところでこの秋の涼しい季節,そして春の暖かい季節,夏の暑い季節や冬の寒い季節に比べて,過ぎるのが速いと感じないだろうか.真夏の厳しい暑さはいつまでもジリジリと続き,冬の肌を刺すような寒さもなかなか和らがない.それは単に,快適な時間は実際よりも短く感じ,その逆は長く感じるという,心理的なものなのだろうか.それとももう少し理由があるのだろうか.
 このことを,グラフを使って考えてみよう.気温は年単位で繰り返しになる.実際には年により温度は変わるし,細かい誤差もあるだろうけど,大まかには気温のグラフは次のような波の形になると考えてよいだろう.

サインカーブのグラフ

この波の形は三角関数のサインのグラフなので,サインカーブ(正弦波)という.このグラフをよく見てみよう.サインカーブには,上の話の答えが隠れている.
  夏の暑い時期は,グラフの山になっている部分だ.そのあたりでグラフは変化が緩やかで,気温があまり変わらないことが分かる.冬の寒い時期,つまりグラフの谷の部分もやはり変化があまりない.これに比べると,点を打った中間ぐらいの気温のところは,変化が速い.暑い夏がやっと終わって涼しくなってきたなぁと思っていると,その季節はサーッと過ぎて寒くなってしまうのだ.
 比較のために,次のようなノコギリの刃のようなグラフを考えてみよう.

ノコギリの刃のようなグラフ

周期的に変化するといっても,気温がもしこのように直線的に変化するなら,変化が緩くならない分,暑い時期や寒い時期は短くなる.グラフを重ね合わせて比べたらこんな感じだ.

二つを重ね合わせたグラフ

暑い気温の幅を仮に上のようにとってみると,ノコギリ波の方が暑い期間が短いことが分かる.サインカーブもノコギリ波も周期的に変化しているが,変化の仕方が違うのだ.周期的であるということ以上の性質を問題にしたいとき,三角関数が必要になってくる.

◇   ◇   ◇

 正確にいえばこの気温変化の話では,サインカーブの波の形さえ知っていれば,三角関数まで持ち出す必要はない.関数として定義し,性質を分析する――それが何のためかという問いに答えるには,どうしても数式が必要だと思われたので,これは本文の後の補遺で改めて考えることにした.それでもここまでの話で,三角関数が大切になりそうな雰囲気は,感じてもらえるのではないだろうか.
 サインカーブは,自然現象に現れる周期的な変化のなかで,もっとも基礎になる形だ.だから周期的な変化を分析・活用しようとすれば,ほぼ必ず三角関数を使うことになる.テレビやラジオの周波数合わせといった今日ではごく日常的な技術から,脳の聴覚野の現在の研究に至るまで,三角関数が顔を出す場面は限りがない.サインカーブの特徴を掴めば暑い時期や寒い時期が長いのもシャーナイと諦めがつく――というのも,人間が自然界の法則に理知的にアプローチしていくことができるひとつのモデルだと主張したいのだ.
 三角関数は,人類が自然現象を理解しようとする努力と試行錯誤の末に手にした,もっとも基本的な関数のひとつだ.三角関数を直接使う職業に就かなくても,それを教養として学ぶことは,相応に意味のあることではないだろうか.もちろん,性別なんて関係ないと思う.


【追記】
 「三角関数」という名前には実は少し問題があると思う.高校の教科書にも書いてあるとおり,コサインとサインの定義は,円の $x$ 座標と $y$ 座標である.だから本当は「円関数」とよぶ方が適切だが,歴史の綾で「三角関数」になってしまった.「三角形とかかわる関数」ではなぜ周期的なのかはっきりしないが,これは試行錯誤の名残りといっていいのかもしれない.
 円周をぐるっと1周回ると同じ点に戻ってくる.一定の速さで回っていると,同じ動きの繰り返しになる.それがサインもコサインも(そしてその比のタンジェントも)周期的になる理由である.

(2015/11/4掲載) 
(イラスト:マエカワアキオ) 




【補遺】
 三角関数の意義を考えるために,三角関数の加法定理とよばれる定理をみてみよう.これはひとつの解釈として,一方を変数,他方を定数に見立てて($x$ を変数, $\alpha$ を定数として)

$\begin{equation}\label{eq:addition} \sin(x+\alpha)=\cos\alpha\sin x+\sin\alpha\cos x\tag{$*$} \end{equation}$

とすると,「位相をずらした $\sin(x+\alpha)$ は, $\sin x$ と $\cos x$ の重ね合わせで表される」と考えることができる.このことから,逆に $(*)$ の右辺を変形して左辺を得たとみれば,これは合成の公式とよばれるものになる.つまり, $\sin x$ と $\cos x$ の任意の重ね合わせ $a\sin x+b\cos x$ は, $(a,b)=(r\cos\alpha,r\sin\alpha)$ と 極座標に表示すれば, $r\sin(x+\alpha)$ となる.だから,例えば $\sin x+2\cos x$ のグラフは,再び完全なサインカーブになる.

二つを重ね合わせたグラフ

また, $(*)$ は三角関数の微分公式

$(\sin x)'=\cos x, \qquad (\cos x)'=-\sin x$

を示すときにも必要だ.
 このように理論を着実に積み重ねていくことができるのは,おおもとの $(*)$ が「大雑把な近似としてだいたい等しい」というレベルでなく,厳密な等式として成立しているからだ.この厳密さを,数式を使わずに日本語(あるいは英語など外国語)だけで簡潔に表現することは不可能だろう.この正確さのためには三角関数という形式によって表現する必要があり,またそれによって,多くの応用へと道が開かれる.それはやはり,本連載第1回「数学書の読まれ方」に述べたような意味で,三角関数も数学的な内容がギッシリと詰め込まれた結晶のようなものだと思われる.学校で学ぶような三角関数の式の操作や計算は,正しく扱えるようになるためにある程度は必要なトレーニングであるのだろう.

(2015/11/4掲載) 



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「数学者的思考回路」 Copyright(c) 谷口 隆,2015

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執筆者紹介

大野 泰生
おおの やすお 
1969年生まれ.東北大学大学院理学研究科数学専攻教授. 専門は整数論,多重ゼータ値など.趣味は美味しいものを探すこと. 一般向け著書に『白熱! 無差別級数学バトル』(共編,日本評論社)がある.

谷口 隆
たにぐち たかし 
1977年生まれ.神戸大学大学院理学研究科数学専攻准教授. 専門は整数論,概均質ベクトル空間.趣味は中国茶. ブログ「びっくり数学島」でも数学について綴っている.




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