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  第5回 素数定理を紐解く 〜後編〜  

大野 泰生・谷口 隆(共著)    

 「素数定理」とよばれる定理がある. $x$ 以下の素数の個数を $\pi(x)$ で表すと,

$\displaystyle \lim_{x\to\infty}\dfrac{\pi(x)}{x/\log x}=1 \tag{1}$

だという定理である.ただし $\log$ は自然対数である.第4回(前編)に引き続き,この素数定理について考えていこう.

緩慢な収束

 第4回では,いくつかの $x$ で, $\pi(x)$ と $x/\log x$ の値を見比べてみた.もう一度, $x=10^6$, $10^8$, $10^{10}$(それぞれ $100$ 万, $1$ 億, $100$ 億)での両方の値を比べて表にしてみよう.

$x$ $10^6$ $10^8$ $10^{10}$
$\pi(x)$ $78498$ $5761455$ $455052511$
$x/\log x$ $72382$ $5428681$ $434294482$
$6116$ $32774$ $20758029$
誤差(割合) $8.4$ % $6.1$ % $4.8$ %

($x/\log x$ の方は,小数点以下は四捨五入している.) 

イラスト  先月は触れなかったけれど,誤差について気になった読者がおられたかも知れない.確かに誤差はだんだん小さくなっている.しかし,その小さくなり具合は,何だかエライゆっくりではなかろうか.表中の誤差 $8.4$ %, $6.1$ %, $4.8$ %は,順に小さくなってはいる.比はどこまでも $1$ に近づくという素数定理の,状況証拠だということはできる.しかし $x$ が $1$ 億で $6$ %程の誤差, $100$ 億でも $5$ %弱の誤差,というのでは法則としては今ひとつ力強さに欠けるのではないか.「いつになったら $1$ %を切るんだい?」と言いたくなる.実際, $x=10^{20}$ でもまだ $2.3$ %ぐらいの誤差があるのだ.
 もうちょっと,「これこそ法則だ」と感じさせるような形にはならないだろうか?――当時の数学者もこの点は気になったようだ. $x/\log x$ に代わる,よりよい近似を与える関数を探したのである.数学者は競うように関数の候補を考え提案した.

これが正しい関数だ!

 いろいろな関数が提案されたが,最終的に数学者の間で広く公認されることになったのは,次の関数である.

${\rm Li}(x) =\displaystyle \int_2^x\dfrac{1}{\log t}\,dt$

先ほどと同じく $x=10^6$, $10^8$, $10^{10}$ で, $\pi(x)$ の値と比べてみよう.

$x$ $10^6$ $10^8$ $10^{10}$
$\pi(x)$ $78498$ $5761455$ $455052511$
${\rm Li}(x)$ $78627$ $5762208$ $455055614$
$129$ $753$ $3103$
誤差(割合) $0.16$ % $0.013$ % $0.00068$ %

 差に注目してほしい.例えば $x=10^6$ なら差は $129$ だ. $7$ 万 $8000$ 個ぐらいを $130$ 程度の差で見積もっているというわけだ. $x=10^8$, $10^{10}$ のときの差もみてほしい.それぞれ実際の個数と $800$, $3000$ 程度の差である.誤差の $0.16$ %, $0.013$ %, $0.00068$ %も,先ほどの $8.4$ %, $6.1$ %, $4.8$ %とは文字通り桁違いで, $0$ に近づいていくスピードも断然速い.
 ここまで近ければ, $\pi(x)$ と ${\rm Li}(x)$ に何か関係があると考えたくなるのは人情ではないだろうか. ${\rm Li}(x)$ のこの近似のよさは,「素数はランダムに散らばっている」と考えていた当時の数学者にこの上なく鮮やかな印象を与えた.力強い法則の存在を感じさせ,心を惹くに十分だった.
 素数定理の式 $(1)$ は,

$\label{eq:pnt-li} \displaystyle \lim_{x\to\infty} \dfrac{\pi(x)}{{\rm Li}(x)}=1 \tag{2}$

と書き換えることができる(これについては補遺で簡単に説明することにした).以降は素数定理といえば式 $(2)$ を考えることにしよう.

素数率?

 上の表でみたように, ${\rm Li}(x)$ の近似精度は目を見張るほどよい.このことの意味を少し考えておこう.そもそも関数 ${\rm Li}(x)$ にはどんな意味があるのだろうか.
 いま仮に,

『整数 $n$ が $t$ ぐらいの大きさのとき,確率 $\dfrac{1}{\log t}$ で $n$ に起きる事象 $P$』

があると考えてみよう.このとき $2$ から $x$ までの範囲にある整数のうちで事象 $P$ が起きるものの個数は,およそ

$\displaystyle \int_2^x\dfrac{1}{\log t}\,dt$

で見積もられる――ところで,これこそ先の ${\rm Li}(x)$ である.つまり,『$x$ 以下の素数の個数を数えるとほぼ ${\rm Li}(x)$ になっている』ということは,

整数 $n$ が $t$ ぐらいの大きさのとき, $n$ が素数である確率はほぼ $\dfrac{1}{\log t}$ である

ということと解釈できる.この解釈にはちょっと面白い発展性があるので,また回を改めて話してみたい.

素数定理の証明

 このように,まずデータを集め,そこから統計的視点で法則や意味を見出すことは興味深い.でも,それで素数定理が証明できるかというと,これはまた別の問題である.
 証明を試みた数学者たちはほどなくして,これがアプローチの仕方すら見つからない相当手ごわい難問であることに改めて気づかされた. $\pi(x)$ はなかなか捉えどころのない関数なのだ.数学者は少しずつでも証明に近づこうとした.例えば,“チェビシェフの不等式”などで有名なロシア人数学者チェビシェフは,

・ あるところから先の $x$ では,必ず $0.89<\dfrac{\pi(x)}{{\rm Li}(x)}<1.11$ は成立している.
・ 式 $(2)$ の極限が存在するかどうかは分からないが,仮に存在するならばそれは $1$ 以外にはありえない.

などを証明した.しかし,素数定理の証明は依然として困難をきわめた.
 最終的に決定的な転機をもたらしたのは,リーマンというドイツ人数学者の $1859$ 年の研究だった.ゼータ関数とよばれる次の関数

$\zeta(s) %=\sum_{n=1}^\infty\dfrac{1}{n^s} =1+\dfrac{1}{2^s}+\dfrac{1}{3^s}+\dfrac{1}{4^s} +\dfrac{1}{5^s}+\dfrac{1}{6^s}+\cdots$

で,変数 $s$ を実数だけでなく複素数の範囲に広げると,関数 $\pi(x)$ と緊密な繋がりがあることを発見したのだ.リーマンは,微積分は実数だけでなく複素数でも考えることに大きな可能性があることを見出し,理論を作り上げた人物のひとりである.リーマンのこの研究により, $\zeta(s)$ は彼の名を冠してリーマンのゼータ関数と呼ばれるようになった.約40年後,素数定理は“複素数の微積分”を使い, $\zeta(s)$ の研究から証明された.リーマンが見抜いた通りの筋書きだった.
 この複素数の微積分というのは相当風変わりな考え方に聞こえるだろう.実数の微分や積分は,速度を考えることや面積・体積を考えることと繋がっている.でも,複素数の微積分を考えたところで,現実世界の対応物があるとはとても想像できない.現在ではしかし,例えば電磁気の理論や量子力学の理論で,はっきりとした意味をもつことが分かっている.先に数学者が理論上のこととして考えたものが,後で物理学を通して現実世界での意味を獲得する――その不思議さはときどき話題になる.複素数の微積分の場合は,その初期の研究が素数の研究と繋がっていたというのも,また奇妙で面白い逸話だと思う.

エピローグ

 整数の研究で素数の問題なのに複素数でしかも微積分だなんて,なんかとっても不思議だろう.でも $x$ が大きくなると, $\pi(x)$ の値は,素数を直接数えるよりもゼータ関数を調べて間接的に計算する方が効率よく求まることが分かってきた.最近,ゼータ関数を使って $\pi(10^{24})$ が計算された. $10^{24}$ とは $1$ 億の $1$ 億倍の $1$ 億倍で,それ以下の素数の個数が求められたのだ.せっかくなので ${\rm Li}(10^{24})$ とどれぐらい近いかも,あわせて見ておこう.

$x$ $10^{24}$
$\pi(x)$ $18435599767349200867866$
${\rm Li}(x)$ $18435599767366347775143$
$17146907277$

13桁合ってますネ.誤差で考えると $0.0000000000093$ %ぐらい.やっぱり ${\rm Li}(x)$ は精度抜群です.

(2016/1/13掲載) 
(イラスト:マエカワアキオ) 




【補遺】
 式 $(1)$ と式 $(2)$ の関係を考えておこう. $x/\log x$ と ${\rm Li}(x)$ について,

$\displaystyle \lim_{x\to\infty} \dfrac{x/\log x}{{\rm Li}(x)}=1$

となることは比較的容易に分かる.例えば部分積分を使うか,あるいはロピタルの定理を使うと早い.だから,もし式 $(1)$ が正しいとすると,

$\displaystyle \dfrac{\pi(x)}{{\rm Li}(x)} = \dfrac{\pi(x)}{x/\log x} \cdot \dfrac{x/\log x}{{\rm Li}(x)} \underset{x\to\infty}\longrightarrow1\cdot1=1$

となって式 $(2)$ も成り立つことが分かる.同じようにして,式 $(2)$ が正しければ式 $(1)$ も成り立つことが分かる.これは確かめてみてほしい.したがって式 $(1)$ と式 $(2)$ は同一の内容である.

(2016/1/13掲載) 



次回(第6回)は2月3日(第1水曜日)に掲載いたします.どうぞお楽しみに!

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執筆者紹介

大野 泰生
おおの やすお 
1969年生まれ.東北大学大学院理学研究科数学専攻教授. 専門は整数論,多重ゼータ値など.趣味は美味しいものを探すこと. 一般向け著書に『白熱! 無差別級数学バトル』(共編,日本評論社)がある.

谷口 隆
たにぐち たかし 
1977年生まれ.神戸大学大学院理学研究科数学専攻准教授. 専門は整数論,概均質ベクトル空間.趣味は中国茶. ブログ「びっくり数学島」でも数学について綴っている.




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